第23話 落とし穴

 唐沢から笑顔が消えたのは、ダブルスのニ試合目が終了した直後であった。苦戦した第一試合とは対照的に、第二試合はあまりにも簡単に決着がついた。どうやら彼はその楽勝としか言いようのない一方的なゲーム展開に違和感を覚えたらしく、しばらくの間、“思案のポーズ”を取っていた。
 長い前髪に息を吹きかけ、それが空中に舞い上がってからゆっくりと落ちていく様を無言で見つめる。まるでランダムに動く毛先から起こり得る全ての可能性が割り出せるかのように、前髪の隙間から覗く視線はその行方をひたすら追っている ―― 学園祭の時に発見したのだが、これは彼が考え事をする時の癖だった。
 「海南中は、最初からターゲットをシングルス戦に絞っていたのかもしれないな」
 「と、言うと?」
 「うちの伊東兄弟は、都大会でも通用する程の試合巧者だ。選手層の薄い海南中としては、リスクの高いD1で二人分の戦力を割くより、シングルス戦に注ぎ込んだ方が有効に使えると踏んだんだ。一試合目の敗戦は計算外かもしれないが、それでも残りの三試合で勝負を決める腹だろう」
 部内一の切れ者と称される先輩の推論を聞いて、透は得心した。通常は、試合に出場する順番が後ろになるにつれて、実力の高い選手がオーダーされている。第一試合で光陵学園と互角に渡り合った海南中が二試合目をあっさり落としたという事は、残りのシングルス三戦に勝負を賭けていると見て間違いない。
 すでに二敗の海南中には後がないとは言え、ベストメンバーを揃えたと思われるシングルスの初戦で勝ち星を挙げれば、形勢はがらりと変わる。何故なら光陵サイドの布陣は決勝戦に照準を当てて組まれている為に、今回のシングルス戦に部長の成田は出場せずに温存の形を取っている。万が一、エース不在のオーダーで初戦を落とすようなら、続く二戦もどう転ぶか分からない。

 両校の命運を背負ってS3に出場するのは、千葉と伊達である。共に二年生同士の対決だ。
 日頃から彼等を兄貴分と慕う透には、唐沢の顔を見ずともこの対戦がシビアな戦いになると分かっていた。
 伊達の練習量は海南中の中でも最も多い上に、持って生まれた才があるのか、彼は山育ちの透と互角の勝負をする程に足が速かった。練習の帰りによくラーメン屋まで競争するのだが、今のところ大差で勝った記憶はない。つまりフットワークの良さで言えば、伊達の方が有利である。
 だが千葉には、優れた脚力があった。例えば、俊足の選手と反復横飛びをさせれば前半は相手にリードを許すが、後半からは千葉が逆転するというように、瞬発力と持久力を兼ね備えた脚力を彼は持っている。
 陸上競技の短距離走では足の速い伊達が、中距離から長距離にかけては脚力のある千葉が能力を発揮するだろう。彼等が己の長所をどう活かすのか。それが今回の対戦のネックとなるはずだ。
 コート上では、すでに両者が睨み合っていた。
 「てめえが、千葉か? 伝言、聞いたよな?」
 試合前から伊達は闘志をむき出しにして息巻いていたが、対する千葉も負けてはいなかった。
 「トオルに預けた伝言なら、そっくり返してやる。痛い目を見るのは、そっちだぜ?」

 第1ゲームは、先にサーブ権を手にした千葉のペースで進められた。ベースラインでの打ち合いの後、相手の浅くなったボールを拾ってネット前まで詰めて行き、ボレーで攻撃する。成田と同じオールラウンドプレーヤーを目指しているだけの事はあり、どんな球にも臨機応変に対応しながら、そつなくサービスゲームをキープした。
 続く第2ゲームでは、今度は伊達がベースラインでの粘り強さを見せて、ゲームカウントを「1−1」の同点に戻した。
 この頃から、透は伊達のプレーに不自然さを感じていた。いつもの伊達のスタイルなら我先にとネットについて先制攻撃を仕掛けるはずだが、今日の彼は一度も前に出ようとはしなかった。相手の出方を待つにしても、少し慎重過ぎるのではないか。
 透自身、テニスの経験は浅くとも、勝負に関する勘は働く方である。これといった根拠はないが、伊達は何かを待っている。そんな予感がした。

 試合前の挑発的な態度とは裏腹に、伊達はベースラインで粘り強く返球するだけで一切仕掛けてこなかった。痺れを切らした千葉が、前方にダッシュをかけた時だった。
 サイドラインぎりぎりに、伊達の鋭いショットが駆け抜けた。
 「唐沢先輩? 今のは、もしかして……?」
 「ああ、パッシングショットだ。それも嫌なタイミングでやられたな」
 パッシングショットとはコートの前に出てくる、あるいはネットについた相手のサイドを打ち抜くショットで、決まれば得点になるだけでなく、前方からの攻撃を牽制する効果もある。
 今の伊達のパッシングショットは、ネットにつこうとした千葉の脇を抜いたもので、サービスエリアに足を踏み入れた瞬間に打たれている。恐らくは千葉の足止め効果を狙ったものだろう。
 ネット前を陣取ろうとした矢先に足止めを喰らい、攻撃のチャンスを逃した千葉は、しばらくベースラインに釘付けとなっていた。伊達のパッシングはスピードがある上に、コースコントロールも正確だ。縦方向に真っすぐ突き刺さるショットは、千葉の脚力をもってしても容易に追いつける代物ではない。

 絶妙なタイミングで打たれたショットは、これ程までにプレイヤーにダメージを与えるものなのか。千葉は本来、警戒心の強いタイプではない。どちらかと言えば、度胸はある方だ。それにもかかわらず踏み出せずにいるとは、先制攻撃の出鼻をくじかれた先の一打がよほど響いているのだろう
 じりじりと開く点差に、透は不安を隠せなかった。千葉は一旦、ネットからの攻撃を諦め、ベースラインでの打ち合いに切り替えたが、思い描いた勝ちパターンとは違うのか、あるいは後手に回らされた焦りからか、どのショットも精鋭さを欠いている。
 ゲームカウントが「1−3」と海南中に傾き、光陵学園の応援者側にも不穏な空気が渦巻く中で、唐沢が厳しい形相のまま話しかけてきた。
 「真嶋はケンタのプレーをどう思う?」
 「完全に相手のペースにはまった感じに見えます。ケンタ先輩らしくないというか、実力を出し切れていないような」
 「やっぱり、そう見えるか。本当は、あいつにはシンゴを目指して欲しかったんだ」
 伏せ目がちに語る横顔には、現状を良しとしない、後悔のようなものが浮かんでいた。
 「シンゴ」とはテニス部一の俊足で、サーブ&ボレーを得意とする藤原慎悟の事である。彼を目指して欲しかったという事は、もしかして頭の中がギャンブル一色の唐沢にも後輩の成長を気にかける先輩らしい一面があったのか。
 驚きを露にする透の表情を見て取って、すかさず唐沢が言い添えた。
 「勘違いするな。俺は“馬として”の話をしている」
 口ではギャンブラーを強調しているが、その突き放すような言い方が却って疑わしい。本当は彼の真意は別の所にあって、それを他人に知られたくないばかりにバリアを張られた気がする。第一わざわざ「馬として」と訂正する事自体、不自然だとも思ったが、ポーカーフェイスを常とする先輩から本心を読み取る事は出来なかった。
 もとの厳しい表情に戻った唐沢が、更に続けた。
 「あいつ、成田を目指しているだろ? 何故だと思う?」
 「ナンバーワンになりたいからじゃないんですか?」
 「いいや、少し違う。ケンタが成田にこだわる理由は、シンゴと比べて足が遅いというコンプレックスがあるからだ」
 「あのう、俺、コンプレックスってイマイチよく分からないんですけど?」
 昔から透は横文字に弱く、テニス用語がなかなか頭に入らないのも、それが原因の一つであった。
 「前向き思考のお前には、理解できないか?」
 唐沢はそこでふと表情を緩めてから、コンプレックスについて簡潔に説明してくれた。
 「平たく言えば、劣等感だ。自分を他人と比較して駄目だと思う気持ち。
 どうだ、イメージ湧いたか?」
 「それなら分かります。俺、ハルキにバリュエーションで負けた時、そう思いました」
 「だけど、お前にはそのコンプレックスをバネにして前に進む強さがある。逆にケンタの場合は、コンプレックスを持つ事で本来の姿を見失っている。
 コンプレックスは、原動力にも落とし穴にもなる厄介な代物なんだ」
 そう言ったきり、唐沢はしばらく遠くを見つめたまま喋らなかった。

 それは不思議な光景だった。まるで過去の古い記憶を探るかのように、焦点を定めず視線をさ迷わせている様は、いつもの唐沢とは異なる印象を受ける。
 普段の彼は、もっと鋭い目をしている。隙を見せないと言うべきか。考え事をする時でさえ気を緩める事なく、揺れる前髪を一心に見つめている。
 その姿を知る透には、ぼんやりと遠くに視線を這わせる先輩がまるで別人に映っていた。
 テニス部内では軍師と称され、事の善悪を問わず切れ者振りを発揮する唐沢が、今だけは意図的にその力をセーブしている。そうしなければならない程の過去が、この先輩にはあるのだろうか。あるいは、落とし穴にもなるというコンプレックスの話が、千葉とは別の次元から来ているのかもしれない。
 いずれにせよ、今の透では計り知る事は出来なかった。

 唐沢が遠くに置いた視線を戻し、再び口を開いた。
 「例えば、ずっと俊足を自負していた人間が自分より足の速い奴に出会ったとする。当然、そいつを抜きたいと思うよな? だけど、どうしても敵わないと悟ったら、お前ならどうする?」
 「違う方法で……例えば山の中で勝負するとか。場所を変えて、もう一度挑戦します!」
 透は以前、藤原とテニス部の敷地内で競争して負けた時の事を思い返していた。最初は両者とも激しいデッドヒートを繰り広げていたのだが、フェンス脇に追い込まれる形で直線コースに入った途端、急激にスピードアップした藤原に捕まり、最後はネットです巻きにされたのだ。今でもあの時の敗因は障害物のないテニスコートで勝負した事であり、山の中なら違う結果になったと思っている。
 「それでも、勝てなかったら?」
 「勝つまでやります! 『何度負けても、勝つまでやる』っていうのが、俺の信条ですから」
 気合のこもった後輩の答えを聞いて、唐沢が軽く鼻で笑った。決して透を馬鹿にした訳ではなく、微笑ましく思う気持ちが堪らず噴出したような笑い方だった。
 「残念ながらケンタには、お前のような良い意味でのしぶとさが無い」
 唐沢が一旦緩んだ頬を整えてから、先を続けた。
 「あいつは、シンゴに対するコンプレックスからサーブ&ボレーヤーになる事を拒んでいる。足の速さで一番になれないから、成田を目指しているんだ」
 「それでも、ナンバーワンを目指すのは良い事だと思いますけど……」
 「勿論、ナンバーワンを目指すのは構わない。ただ、成田のスタイルにこだわっていては、ケンタがトップを取るのは難しい。
 お前、さっきケンタが実力を出していないと言っただろう? あれは本来武器とすべき脚力を百パーセント活かし切れていないから、そう見えるんだ。あいつがオールラウンダーのこだわりを捨てない限り、道は開けない」

 透は唐沢の話を半信半疑で聞いていた。あの鋭いパッシングを見た後で、ネットへ出て行き、ボレーで勝負をするのは至難の業である。だが今の話では、千葉の脚力をもってすればこの難局を打破出来るかのような口振りだ。但しその為にはオールラウンダーのこだわりを捨てて、藤原と同じサーブ&ボレーヤーに徹する必要があると。
 唐沢が深い溜め息を吐きながら、視線をコートに移した。やはり彼は後悔しているのだと、透は思った。千葉をサーブ&ボレーヤーとして育てられなかった事を、そこに導いてやれなかった事を悔いているのである。
 「残念だが、時間切れだ。俺もそろそろアップに入る」
 三回戦で唐沢はS1にオーダーされている。大将格の唐沢が準備に入るという事は、このS3の敗色が濃厚であることを意味している。
 「唐沢先輩、あの……」
 本当は「頑張ってください」と言おうとした。しかし、どうも月並みな表現に思えて言えなかった。出場選手に選ばれているならともかく、見ているだけの自分では月並みな表現が更に薄っぺらなものになってしまう。今から旗色悪いシングルス戦に参戦しなければならない先輩に対し、送り出す言葉が見つからない。
 「真嶋? もしかして、身の程知らずにも俺の事を励まそうとしてないか?」
 「えっ? あ、あの……はい?」
 確かに励まそうとしていたが、そんなに身の程知らずの行為だろうか。いまだかつて、エールを送ろうとした相手から身の程知らずと叱責された事はない。
 戸惑う後輩に構わず、唐沢が畳み掛けてきた。
 「タ〜コ! お前が今やるべき事は、先輩達の試合を頭に叩き込んで自分の糧にすることだ。俺を励まそうなんて、二万年早い」
 「に、二万年ですか?」
 口調はひどく乱暴だが、これは透に対するアドバイスに違いない。もしかすると彼は本当に後輩思いの先輩なのかもしれない。そうあって欲しいと願いつつ、透は準備に向う唐沢の後姿を見送った。

 シングルスに限らず、ダブルスでも、コートの中では孤独な戦いを強いられる。自分で判断し、行動を起こし、それに付いてくる結果を他人の所為にしてはならない。分からないからと言って周りの人間を頼ることは許されないし、あの白いラインの内側に入った時点で、どんな事情も関係なく戦う準備を整えた一人の選手とみなされる。
 唐沢が「先輩の試合を自分の糧にしろ」と助言したのは、試合を見ながら「選手になったつもりで判断しろ」との意図が含まれている。より多くの試合を見て、自分で判断する機会を増やす事で、コート内で窮地に立たされた時でも打開策を見出す力がついてくる。それが自分の糧となる。
 こんな時、自分ならどうやって切り抜けるのか――。透はコートの上で苦戦を強いられている千葉と、自身の姿を重ね合わせた。
 ゲームカウントは「1−4」と、更に差を付けられている。ここで踏ん張らなければ、一気に叩き潰される。これ以上、点差を開かせない為には、あのパッシングショットが出る前にネットを陣取り、攻撃するしか策はない。
 だが千葉のスピードでは、一気にネット前までダッシュするのは不可能だ。だからと言って、このままベースラインに釘付けでは、自滅するのは目に見えている。
 唐沢は、千葉の脚力があれば打破できるような事を仄めかしていた。一体、どうすれば良いのだろう。

 千葉が大きく深呼吸をしている。懸命に冷静になろうとしている姿が、透にも見て取れる。
 「勝負事は、どんな時でも冷静でいられる奴が勝つ」
 以前、唐沢から教わった教訓を思い出し、透も同じように深呼吸をした。
 まずは、冷静になること。何か見落としている箇所はないか、もう一度よく観察してみる。唐沢に見えている事が、自分にも見えてくるかもしれない。コートのラインに沿って速いスピードで抜けていく、あのパッシングショットを攻略する方法が。
 ところが先に攻略法を見つけ出したのは、コートに立つ千葉の方だった。
 千葉はベースラインにポジションを置くと、伊達からのサーブをじっと待っていた。その顔から、序盤のような焦りの色は見られない。勝負に対して腹を決めた者独特の落ち着き方をしている。
 千葉がサーブを拾うと同時に、前方へダッシュし始めた。伊達はパッシングの構えに入っている。
 「このままでは抜かれる……」
 そう思った瞬間に、ネットを目指しているはずの千葉が途中で素早くブレーキングして、サイドラインへ駆け寄った。伊達のショットが、一直線に駆け抜けていく。それをサービスエリア手前で捕らえた千葉が深いコースで返球すると、一気に駆け込みネット前を陣取った。
 「そうか、アプローチショットだ!」
 先に答えを出した先輩のプレーを見て、ようやく透も納得した。何故、唐沢が「脚力を活かし切れていない」と話していたのかも。
 まずネットダッシュをすると見せかけて、相手のパッシングを誘う。サイドに抜ける伊達のパッシングはコースが明確だ。そのコースを見極めてから、素早くブレーキをかけて横へと方向転換をした後、遠くへ伸びるスライスで返球してネットにつく。
 ベースラインからダイレクトにネット前を目指すのではなく、パッシングをスライスで返球するという行程を一つ増やす事によって、ネットに到着するまでの時間を段階的に作り出したのだ。ネットに近付く目的で前進しながら打つショット。これをアプローチショットという。
 この方法なら千葉のスピードでも、充分に対応できる。むしろ彼の脚力がなければ出来ない芸当だ。

 前に出た千葉に怖いものはなかった。左右に振られるボールを巧みに捌き、次々とボレーを決めていく。
 左右のボールに追い付く瞬発力と、どんな揺さぶりでも持ち堪えられる持久力。この双方の力を保持する、彼ならではのプレーである。
 ネットの前でポイントを積み上げる千葉は、ようやく生き生きとした表情に戻っている。防御に回った伊達もロブを上げて応戦するが、千葉のジャンプ力の前ではどんなに高い球でもスマッシュの餌食となった。
 勢いに乗った千葉の快進撃で、カウントは1ゲーム差の「3−4」にまで縮まった。
 今度は、伊達が冷静さを求められる番だった。果たして彼は、この局面でどんな反撃を見せるのか。
 「千葉、だったよな? せっかく良い脚しているのに、使い始めるのが一手遅かったな」
 余裕とも取れる台詞と共に伊達から放たれたショットは、前方へダッシュをかけようとする千葉の足元へと落ちてきた。今までとは球種が違う。恐らくトップスピンをかけたに違いない。
 体勢を崩した千葉は、のけ反るような姿勢での返球を強いられた。回転を強くかけたボールを足元に落とされる事で、それを受ける側は後ろに下がって返さざるを得なくなる。そしてその隙を突いて、伊達がネットに詰めてきた。

 「とうとう出て来たか……」
 ここで伊達がネットに出る事が、何を意味するのか。彼と日々練習を共にしている透には、この先の展開が読めてしまう。
 伊達は俊敏さにかけては千葉よりも上であり、しかも角度のきついクロスのボレーを難なく繰り出す腕もある。いく度もラリーの経験があるだけに、透はネットについた彼の怖さを知っている。
 「今日の試合で俺達は光陵学園から『強豪』の名をぶん取るつもりだ」
 先に受けた宣戦布告が、脳裏に甦る。もしかしたら、その通りになるかもしれない。唐沢が早めにスタンバイに入った意図が、透にも見えてきた。
 苦労して封じたあの強烈なパッシングショットは、伊達の数ある攻撃パターンの一つに過ぎず、続けて放たれた足元に落ちるトップスピンの所為で、またも千葉は動けない。
 「使い始めるのが一手遅かった」
 今なら透にも、その言葉の意味が理解できる。
 伊達は、スピードはあるが持久力がない。自身の欠点を踏まえた上で、彼は最後の2ゲームまで体力を温存していたに違いない。そして一気に勝負を決める為に、ネット前からの反撃を開始したのである。
 対する千葉はオールラウンダーに固執するあまり、本来使うべき脚力を最初から有効に使わずベースラインに踏み止まった。100パーセントの実力を、完全に追い込まれるまで出そうとしなかった。その判断ミスが前半の失点に繋がり、敗北をもたらす結果となったのだ。
 戦いが終わった白いラインの中で、兄貴分と慕う先輩の一人が唇を噛み締め、肩を落としている。ゲームカウント「6−3」で、宣言通り、伊達が勝利を掴んだ。
 「光陵」イコール「強豪」の図式が、今、透の目の前で崩れ去ろうとしていた。






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