第30話 太一朗とその仲間たち

 地区大会が終了してから一日と空けずに、光陵テニス部は都大会へ向けての練習を開始した。
 都大会へ行けば、うちも弱小。そう話したコーチの言葉は単なる脅しではない。真剣な表情で練習に打ち込む先輩達の姿からも、それは充分に感じ取れる。
 先の大会で敗れ去ったライバル達の為に。そして何より自分達の為にも、簡単に負ける訳にはいかない。
 激闘の果てに振り分けられた勝者と敗者。その両方の想いを背負って勝ち進もうと、放課後のテニスコートはどこも熱気に包まれていた。

 一日の練習が終わり、無人となったコートの中で、透は用具の後片付けに忙しく動き回っていた。コート六面分のネットを手早く降ろし、テニスボールと共に急いで部室へ運ぶ。後輩の務めである片付け当番の仕事を疎かにするつもりはないが、一刻も早く区営コートで練習したいというのが本音であった。
 次のバリュエーションでは何としてもレギュラーの座を取りに行く。ライバル・遥希に対する競争心とは別に、地区大会での経験を通して、透の中に新たな意欲が芽生えていた。
 自分も先輩達のように、各校の代表選手と真剣勝負がしてみたい。しのぎを削る戦いの中にこの身を投じてみたい。皆の勇姿を目の当たりにし、透のレギュラーへの想いはより一層強くなっていた。
 「とにかく練習あるのみ!」
 気合を入れ直して畳んだネットを運んでいると、部室の中から楽しげな笑い声が聞こえてきた。
 練習中より終了後の方が部員のテンションが上がるというのは珍しい事ではない。特に個性派揃いの光陵テニス部では、部活動以外で一致団結する事の方が遥かに多かった。
 呆れたチームカラーではあるが、自分もその一員であることに透は前ほど嫌悪感を持たなくなった。普段は奇行が目立つ先輩達でも、真剣勝負の場ではこの上なく頼りになる存在だと、誇らしく思える部分を見付けたからだろう。
 それにしても、いつも以上に騒々しい。気になって中を覗くと、賑やかな笑い声と共に部員達から頭を撫でられ揉みくちゃにされている太一朗がいた。

 地区大会の出場選手にもかかわらず集合時刻に遅れた太一朗は、部長の成田から厳しい処罰を言い渡されていた。一ヶ月の部室掃除とコート整備、そして五ミリ以下の丸坊主。
 部員達を締め上げることに関しては、成田は決して手を抜かない。本当はもっと厳しい罰を下そうとしていたが、副部長・唐沢のフォローによって三つに止めた経緯がある。
 年頃の中学生にとって、極刑とも言うべき丸坊主。この歓声は、潔く頭を丸めた太一朗の勇気を称えるものらしい。透がそう感じたのは、初めのうちだけだった。
 短く刈り込んだ頭を部員が代わる代わる撫でて、叩いて、小突いていく様は、本当に勇気を称えているのだろうか。むしろ他人の不幸を楽しんでいるような気がする。厳命を下した部長が帰宅したのを良い事に、この極刑をおもちゃにしているとしか思えない。
 確かに、つい手を出してしまう気持ちは分からなくもない。刈りたての坊主頭は触りたくなるものだ。青々とした地肌に残る短い毛がビロードのように見えて、思わずその滑らかさを確認したくなるのである。
 実際、透もどさくさに紛れて触りたい衝動に駆られた。しかし大恩ある先輩にそんな失礼な事は出来なかった。テニスシューズも持たずに入部した自分に、気前よく新しい靴を譲ってくれたのが太一朗である。いくら坊主頭から魅力的なアピールをされたとしても、恩を仇で返すような真似をしてはいけない。その思いが、かろうじて不義理な衝動を抑えていた。

 ざっと見渡した限りでは、部室に残っている部員は一、二年生を中心に三十人ぐらいだろうか。そしてその騒ぎの中央に座しているのは、やはり唐沢だった。
 厳格な部長をサポートする模範的な副部長。太一朗の処罰が軽減されたのも、唐沢の助言があっての事だった。だがそれはあくまでも表向きの姿で、この手の所業の裏には必ずと言って良いほど彼がいる。
 影の司令塔に転じた唐沢の隣には、同級生の藤原もいた。大胆にも二人して部室のロッカーの上に胡坐を掻いて、部員達にいじられる太一朗を楽しげに眺めている。
 「最初から太一が坊主にすれば、俺ッチが金髪にしなくても良かったのに」
 弟の陽一朗もこの騒ぎに参加しており、兄をかばうどころか、後ろから羽交い絞めにして皆を煽っている。その傍らで千葉が一年生を並ばせ、テニスの講義をし始めた。
 「良いか、よく聞けよ? トップスピンってのは、こうやってラケットを下から上に擦り上げる要領で……」
 講義の内容はまともだが、やっている事は最悪だった。太一朗の頭をテニスボールに見立て、ラケットをグリグリと押し付けているのだから。
 坊主になった短い毛がテニスボールの毛羽立ち具合によく似ているのは確かだが、さすがにここまでやるのは見ていて気持ちの良いものではない。注意すべき立場の唐沢と藤原に至っては、「お前等、ホント悪魔だな」と言って、ロッカーの上で笑い転げている。

 見るに見兼ねて、透は太一朗に助け舟を出した。
 「そろそろ太一先輩にコート整備をしてもらわないと……」
 遅刻の処罰は坊主だけではない。部室の掃除とコート整備も含まれている。それを示唆する為の行為であった。
 ところが透の助け舟を無視して、唐沢が大量のスプレー缶を袋から出し始めた。
 「それじゃあ、最後の仕上げと行くか?
 太一、一分間だけお前にやる。逃げるなら今のうちだ」
 唐沢の声掛けと同時に、太一朗が猛スピードで部室から出て行った。それを見届けてから、唐沢がスプレー缶を一本ずつ部員達の手元に渡るよう放り投げている。
 部室の入口に立っていた透と着替え中の遥希にも、それぞれ配られた。見るとカラフルなデザインの缶の表には「ファンキーメッシュ」と書かれている。どうやら毛先にメッシュを入れる際に使用するカラースプレーのようで、透は黄色、遥希は赤を受け取った。
 徐々にスプレー缶の使い道が明らかになってきた。
 「唐沢先輩、まさかこのスプレーを太一先輩にかけようなんて、思ってないですよね?」
 あえて否定形で尋ねてみたが、返ってきたのはその意向を一切無視した答えであった。
 「それ以外、あり得ないだろう?」
 「でも大人数で追い掛け回してスプレーをかけるなんて、これじゃあ苛めじゃないですか? 俺、こういうのはちょっと……」
 「俺も、興味ないから遠慮します」
 遥希も透と同じ意見なのか、スプレー缶を唐沢に返そうとした。
 「タ〜コ! お前等が一番迷惑かけられたんだぞ? きっちり太一にケジメつけさせてやらないと」
 「ケジメ?」
 透も遥希も唐沢の言葉が理解できずに、二人して顔を見合わせた。
 太一朗が遅刻した事で、危うくダブルスを組まされそうになったのは事実である。しかしケジメをつけさせてやれとは、まるでこれが彼の為であるかのような口振りだ。
 状況が飲み込めずポカンとする二人の前に、千葉が「俺の出番」とばかりに進み出て、物々しい口調で説明し始めた。
 「良いか? うちの丸坊主は極刑だ。よっぽど皆に迷惑をかけた時しか、こんな重い刑は下らない。
 だから迷惑かけられた俺達が迷惑をかけた太一に制裁を加える。そしてお互いキッパリ忘れる。これが、うちの部のやり方だ」
 「おい、一分経ったから俺等も行くぞ!」
 ロッカーの上を陣取っていた藤原がひょいと飛び降り、部室から出て行くのと同時に、他の部員達も一斉に後を追った。
 二人取り残された透と遥希に、唐沢が満面の笑みでこの所業の名を告げた。
 「名づけて『闇の処罰』。コーチと成田には黙っとけよ?」
 『闇の学園祭』と言い、この男はよほど『闇の』と名のつくイベントが好みのようである。陰で悪さをするのが楽しくて仕方がないと、その嬉々とした笑顔が伝えている。

 事情は分かったが、まだ気乗りのしない透と遥希に向かって、唐沢が真顔で問いかける。
 「いつまでも太一に負い目を感じさせたくないなら、さっさと追いかけろ。それとも、あいつに土下座して謝って欲しいのか?」
 いくら何でも土下座は嫌だった。恩ある先輩に頭を下げられたら、自分達の方が困ってしまう。
 透はここでようやく「ケジメ」の意味を理解した。もしも自分が逆の立場で、部員の皆に迷惑をかけたとしたら。たとえ苛めに近い仕打ちを受けたとしても、一日で忘れてもらえる方が有難い。遠慮の混じった慰めの言葉より、分かりやすくて気も楽だ。
 遥希も同じ事を感じたらしく、スプレー缶をシャカシャカ振って、やる気を見せている。
 「俺の赤とお前の黄色、混ぜたら何色になるんだろうな?」
 悪戯っぽい目を向けながら、遥希が聞いてきた。
 「そりゃ、やっぱオレンジだろ!」
 二人はほぼ同時に部室を飛び出した。考えている事は同じであった。
 まずは背の高い藤原を目印に太一朗を見つけ出す。俊足の藤原なら、そろそろ太一朗に追い付く頃だ。そこを目指せば、確実にターゲットまで辿り着けるに違いない。

 案の定、校庭の中程まで走ったところで、太一朗が藤原の率いる追跡組に囲まれ立ち往生していた。その頭はすでに青やピンクのスプレーが掛けられ、地毛の色が見えない状態になっている。
 透は遥希が太一朗の後ろに回り込んだのを見計らい、真正面から攻め入った。普段はいがみ合っている二人だが、どういう訳か、この時だけは気持ちも息も合っていた。
 前と後ろからターゲットを挟み撃ちにし、一気に赤と黄色のスプレーを噴射する。もくもくと色付きの煙幕を張ったような怪しい煙が立ち上り、中から芸術的に彩られた太一朗が飛び出した。
 赤と黄色が混ざって出来たオレンジ色はほんの一部分で、残りはピンポン玉サイズの色とりどりのスプレー痕で占められている。さしずめ“歩くレインボーアイス”といったところか。リゾート地などで売られている、カラフルなシロップをかけたカキ氷に良く似ている。
 「太一先輩、メッシュ頭、格好良いッスよ!」
 透のかけ声につられるようにして、遥希も大声で叫んだ。
 「覚悟してください、先輩。まだスプレー残っていますから!」

 珍しい事もあるものだと、透は思った。あの他人と距離を置きたがる遥希が、自ら進んでくだらない行事に参加している。しかもその顔は渋々というより、実に楽しげだ。
 誰とでも簡単に打ち解けられる透と違って、遥希はどこか卑屈なところがあると思っていた。だが、もしかすると彼は不器用なだけなのかもしれない。
 誰かとふざけ合い、羽目を外しながら、まったく意味のなさない会話や遊びを通して互いを理解し合う。そういった一見無駄に思える少年時代を、彼は知らずに過ごしてきたのだろう。
 缶蹴りや鬼ごっこの代わりにステップの訓練を、悪戯や喧嘩を覚える代わりに試合に勝つ為の術を教え込まれた。一つの事を極める為には必要な犠牲だったかもしれないが、それが彼を部内で孤立させる原因にもなっていた。
 迷惑をかけ合い、許し合える仲間との絆を、きっと今日、遥希は手にしたはずである。コーチの息子だからと彼を遠巻きに見ていた皆との距離も、少しずつ縮まっていくだろう。
 遥希が笑っている。子供のようにはしゃぐライバルの笑顔が自分の事のように嬉しい、と思った瞬間。深まりかけた絆の糸はいとも簡単に切れた。

 「悪りぃ、手元が狂った」
 遥希が、太一朗とは正反対の方向にいる透を目がけてスプレーを噴射してきたのである。
 「ハルキ、てめえ!」
 遥希の笑顔を見て、一瞬でも嬉しいと感じた自分が愚かであった。性格も根性も悪いライバルとの溝を深める事はあっても、絆を深めようとしてはいけなかった。
 透の標的は、太一朗から遥希へと変わった。太一朗を追い回す部員達の隙間を縫って、透と遥希の間でも『闇の処罰』が開始された。素早く逃げる遥希と、それを追いかける透。後から千葉や陽一朗も加わり、スプレー缶を使い切る頃には誰の処罰か分からなくなっていた。
 「ようし、そこまでだ! 全員、缶をこっちによこせ」
 唯一スプレーの餌食にならなかった唐沢が、缶の回収をし始めた。彼はこうなる事を見越して最初から参加せず、高みの見物を決め込んでいたようだ。手際の良い撤退振りは、いかに裏の行事をやり慣れているかを物語っている。
 全ての缶を回収し終えると、唐沢は
 「太一の遅刻の件は、今日を限りに忘れろよ。話を蒸し返す奴は、俺が直々に個別指導に行くからな」
 と釘を刺してから、参加者全員を速やかに解散させた。

 『闇の処罰』に時間を費やした所為で、辺りはすっかり暗くなっていた。透は部員達が続々と帰宅の途に就く流れに逆らい、テニスコートへと向かった。
 太一朗にはまだコート整備の仕事が残っている。今から独りで六面を回るとしたら、終了する前に校門を閉められてしまうに違いない。
 「太一先輩、俺も手伝います!」
 「ああ、真嶋か。気持ちは嬉しいけど、これは俺の仕事だから」
 「でも独りじゃ大変だし、俺にも手伝わせてください。仲間じゃないですか」
 透の真意を確かめるように、太一朗が整備の手を止めてじっと見た。
 「俺、何か失礼なこと言いました?」
 「いや……ただ、うちの部員から仲間だと言われたのは、初めてだったから。テニスって、基本的に個人プレーだろ?」
 「けど、俺の中では同じ目標を持って戦う仲間です。駄目ですか?」
 「変わった奴だな、真嶋は。でも、悪い気はしないかな」
 奇抜な配色の顔面から白い歯が覗く。
 透は自分も整備用のブラシを手に持つと、
 「太一先輩には、テニスシューズを譲ってもらった恩がありますからね」と言って、彼に余計な気を遣わせないよう笑いかけた。
 「そんな事、まだ覚えていたのか? あれは元々誰かにあげるつもりだったし、気にする事はない」
 面倒見の良い彼らしい返事であった。
 「でも俺にとっては、入部して初めて親切にしてもらった恩人なんです。ほら、鶏の雛が生まれて最初に見た物を親だと思うって言うでしょ? そんな感じです」
 「律儀な奴だな。
 それより、真嶋? 今のシューズは練習で使うとしても、後々の大会に向けて自分の足に合ったシューズを買っておけよ?」
 「はあ。それが、なかなか金が貯まらなくて……」
 ただでさえ貯えがない上に、透は唐沢に多額の借金を背負わされている。新たにシューズを買う余裕など何処にもない。
 明らかに買う意思のない後輩を認めて、太一朗が真面目な口調でその理由を説いていく。
 本来テニスシューズは自分の足に合うものを選ぶのが基本だが、それに加え、コートの種類ごとにシューズを使い分けるやり方がベストだという。コートの表面を覆う材質によって靴底のブレーキングの仕方が異なる為に、種類別に使い分けた方がプレーもし易く、ケガもない。今後の大会が何処で開催されても良いように、コート別にシューズを揃えておけとの話であった。

 太一朗の丁寧な説明を聞きながら透がコートにブラシをかけていると、帰ったと思われた弟の陽一朗がひょっこり現れた。
 「太一、そのレインボー頭に免じて今日だけ手伝ってやる。俺ッチにも、ちょっとだけ責任あるし」
 照れ臭そうに話す陽一朗の背後から、千葉も顔を覗かせた。
 「ま、弟分のトオルが残るなら、兄貴分の俺も帰る訳には行かねえからな」
 「先輩達、何だかんだ言って、太一先輩のことが心配で戻って来たんでしょ?」
 透が二人に一本ずつブラシを渡していくと、更にもう二本の手が伸びてきた。久保田と中西であった。
 「あ、あのう……僕も仲間だから、一緒にやらせてもらえないかな?」
 小心者の久保田は『闇の学園祭』の時に透から仲間として扱われた事を覚えていたらしく、「仲間だから」の部分を妙に重々しく言いながら、ブラシを大事そうに受け取った。
 「中西先輩も仲間ッスね?」
 日頃から無口な中西は透の問いかけを無視して、黙々と作業を開始した。面倒見の良い太一朗の事だから、中西にも何か世話をしたのだろう。
 「仲間って、良い響きだな」
 コート整備に取りかかるチームメイトを一人ずつ眺め、太一朗は仲間の意味を噛み締めているようだった。

 「で、お前等、どこまで行ったんだ?」
 コートにブラシをかける振りをして、千葉が透に小声で囁いた。
 「はあ?」
 「あれからナッチと何処まで行ったのか、包み隠さず話してみ?」
 陽一朗も素早く会話に加わった。結局、この二人は区営コートでの続きが聞きたい一心で、太一朗を手伝う事にしたらしい。
 「何処までって、区営コートで軽く打ってから、彼女を家まで送るついでに近所の公園へ寄って……」
 「それから、それから?」
 「帰りました」
 「それだけかよッ!?」
 驚きと落胆の混じった叫び声が二つ、作業中のコートの間を駆け抜けていった。
 「本当にそれだけか? 俺達に隠し事はしていないか?」
 二人から疑いの目を向けられても、それが全てであった。
 「他に何処へも行ってないッスよ」
 「その行くじゃなくて、何処まで行ったか……。だから『進展したか?』って聞いてんだ」
 「進展って言われても……」
 最初から奈緒との関係は良好だ。彼女には遥希と違って卑屈なところもなく、クラスで最も仲が良い。進展も何も、今が最高値ではないか。
 首を傾げる透に向かって、苛立った様子の陽一朗が具体的な質問をよこしてきた。
 「だ・か・ら、お前等デキたのかって、聞いてんの! 『俺の女』って公言したんだから、彼女の手ぐらい握ったんだよな?」
 「それとも、もっと先までか?」
 調子に乗った千葉が陽一朗を抱き締め、唇をつんと突き出しキスの真似事をして見せた。
 「な、なに言ってるんですか! 俺は鞄を修理してくれたお礼をしようとしただけで……。奈緒とは、そんなんじゃないッスよ!」
 ようやく先輩達の質問の意図を理解した透は、動揺のあまり思わず素っ頓狂な声を上げた。そこへもう一人、フェンス越しに声をかけてきた人物がいた。

 「随分楽しそうな罰当番だな。せっかくだから、グラウンド十周も追加するか?」
 その声にコート内にいた全員が瞬時に凍りついた。
 「あれ? ぶ、部長……お帰りになったんじゃ……?」
 千葉が話をごまかそうと、必死で取り繕っている。一学年上の彼には、透よりも正確に自分達が陥った状況が分かっているようだ。
 透は硬直した体の首から上の部分だけを動かし、成田の方へ目を向けた。制服ではなく私服に着替えているところを見ると、確かに成田は一旦帰宅したのだろう。恐らくは多くの処罰を言い渡した太一朗が気になって、そっと様子を見に来たといったところか。もしかしたら、部員に内緒で手伝ってやろうと思っていたかもしれない。
 そうだとしたら、非常にまずい。温情をかけて戻ってみれば、奇抜なカラースプレーに彩られた部員達が俺の女がどうの言いながら、コート整備もろくにせずにふざけ合っていた。しかも千葉と陽一朗に至っては、神聖なるテニスコートで抱き合ってキスの真似事をしているではないか。反省を促す為の処罰は、悪ふざけの場と化していたのである。
 「あの、部長? これはですね……」
 どうにかグラウンド十周を免れようと、陽一朗も慌てて事情を説明しようとした時だ。
 「責任の取り方は色々ある。お前達が望むなら、連帯責任にしてやろう」
 成田の一言で、先輩二人の動きがぴたりと止る。厳格を絵に描いて、更にワックスまで塗ったような部長の言葉には、やんちゃ坊主の二人ぐらいは簡単に大人しくさせられる威力がある。
 「ここにいる全員、コート整備が終わったらグラウンド十周だ。分かったな?」
 無慈悲な厳命を無表情のまま言い残し、成田は去っていった。
 思いも寄らない展開に、太一朗は茫然自失で佇んでいる。彼に仲間だからと言ってコート整備を手伝い始めた透は、まともに目を合わす事が出来なかった。先程まで「仲間って良い響きだ」と語っていた先輩の肩に後悔の二文字が圧し掛かって見える。
 心なしか涙目の太一朗に向かって、それまで黙々と整備をしていた中西がぼそっと呟いた。
 「太一、仲間は選べよな」






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