第33話 頂点に立つ男

 これまでの練習メニューの見直しに加え、透にはもう一つやるべき事があった。明魁学園の部長である京極と交わした約束。来週までに、あの強烈なフラット・サーブを返せるようにしなければならない。
 冷静に考えて、今の透では相手コートに打ち返すだけのパワーが足りない。だからと言って急激に練習量を増やしたとしても、一週間の短い期間で都合よく筋肉がつくはずもなく、アドバイスを受けた滝澤からも「無理はするな」と釘を刺されている。鍛え始めたばかりの乏しい筋力でこの難題に挑むとなると、以前、村主がやって見せたブロック・リターンで対抗するしかないだろう。
 ブロック・リターンとは、ボールに対して壁を作る要領でラケットを当てて返すだけのシンプルな返球方法で、威力のあるサーブほど反発力も強くなり、ネットを越える率も高くなる。但し、京極のサーブは、スピードはもちろん、重みもある。たとえ当てるだけのリターンであっても、ボールの向かってくるコースを瞬時に見極め、一ミリの狂いもなくガットの中心部で捕らえるつもりでなければ、前回と同じように打ち負けてしまうに違いない。
 まずはスピードに慣れることが肝要だが、大した設備もない中で京極と同レベルの剛速球をどうやって捻り出せば良いのか、見当もつかなかった。
 何か画期的な練習法はないものか。あれこれ思案するものの妙案は浮かばず、結局、透は策もないまま昨晩と同じく区営コートへ向かっていた。

 壁打ちボードの前に立ち、京極のフォームを思い出しながらサーブを打ち込んでみる。あのスピードさえ再現できれば、後は戻ってきたボールを捕らえる事に専念すれば良い。
 しかし、何度やっても透の記憶にあるような速さのボールは戻って来なかった。そもそも透が放つサーブでは球速自体が遅い上に、壁と地面の二箇所を経由する為、更に速度が低下する。ボールを打ち込む際に限界まで力を溜めて挑戦してみたが、結果は変わらなかった。
 落ち着いて、例のサーブをもう一度思い返してみる。京極は荒木ほど隆とした筋肉はなかったが、彼の放つ打球は同等、もしくはそれ以上に速かった。よほど体の使い方、特に力の加え方が上手いのだろう。
 自分にも何かあるはずだ。少ない筋力をカバーして、ボールをスピードアップさせる方法が。
 透が今より球速を上げる方法を思案していると、ふと子供の頃にイノシシを倒した時の記憶が甦った。
 確かあの時も、小学生の小さな体で野生のイノシシを打ち負かす為に、最も効率の良い方法を模索した。その結果、足りない球威を補うには物理的に打点を高くしようと思い立ち、大木の上からテニスボールを叩き込み、見事、山の主を仕留めることに成功したのであった。
 だが、平地に建てられた壁打ちボードの前で同じやり方が通用するとは思えない。たとえ手頃な大木が見つかったとしても、一人の人間が木の上からサーブを放ち、すぐさま降りて来てそれを拾うという瞬間芸は出来そうにない。
 ただ考え方は、そんなに外れてはいないはず。打点を高くする事で、スピードは確実に上がる。
 段差のない平坦な場所で今より打点を高くするには、どうすれば良いか。この時、透の頭に地区大会で藤原が放ったジャンピンング・スマッシュが浮かび上がった。
 「あれなら、いける!」

 透は意識して高いトスを上げると、その場でジャンプしながら出来るだけラケットが上の打点を通過するよう腕を振り上げた。
 頭上から響き渡る快音と共に、ボールが勢い良く跳ね返るのが見えた。京極の放つサーブには程遠いが、それでも格段にスピードはアップした。通常よりも高くなった打点と、飛び上がる際の体のしなりが反動となって、限界だと思っていた打球に更なる力が加わった。
 後はこの調子で練習を重ね、少しずつでも京極のスピードに近付けていけば良い。
 リターンの精度を上げる為にサーブ練習を行う。決して要領の良い方法とは言えないが、ここは我慢して遠回りするしかなさそうだ。
 昼休みに滝澤から言われた螺旋階段の話が甦る。確かに、いま自分が進もうとしているのは、僅かな努力で成果が出るような短絡的な道ではないのだろう。今より一段上のステージへ上がる為に、百ある階段を一歩ずつ登っていく。この途方もない長い道のりを諦めずに進んだ者だけが、レギュラーの座に到達する事が出来るのだ。

 一週間後、透は約束の時間より早く来て、念入りにストレッチを行った。
 今夜、京極のサーブを返せなければ、二度と彼と勝負をするチャンスはないだろう。何としても、一本目のサーブで返してみせる。そう心に決めていた。それが再びチャンスをくれた恩人に対しての礼儀だとも思った。
 あの力強いフラット・サーブを返すには、腕や肩だけでなく、腹筋、背筋、脚の筋肉も連鎖的に使う事になる。たった一度のリターンの為に、透はそれら全ての筋肉を入念に解していった。
 「お前が本当に頂上を見たいのなら、来週のこの時間までに俺のサーブを返せるよう練習しておけ」
 指定された通りに待っていると、目付きの鋭い男が歩いてくるのが見えた。闇夜のせいで全身に影が掛かっていたが、額から少し奥まった目だけはギラギラと光っている。
 「おう、来たな?」
 京極は透にひと声かけると、さっさとコートの中へ入って準備をし始めた。気の所為かもしれないが、前回会った時より態度が軟化したようだ。
 だが、ここで気を緩めてはいけない。一本目のサーブを確実に返すまでは。
 京極の後を追ってコートに入った透は、大きく深呼吸をしてからベースラインよりも少し後ろにポジションを置いた。どのコースを狙われたとしても、ラケットを伸ばせばどうにか届く距離を計算しての位置決めだった。
 京極のしなやかに伸ばした腕から、トスが上がる。
 「えっ!?」
 一瞬、透は我が目を疑った。トスの高さもフォームも、記憶に刻んでいたものとは明らかに違う。急いで通常のポジションに戻ったものの、時すでに遅く、激しいバウンドを繰り返すボールの後姿を見送ることしか出来なかった。
 「スピン・サーブ……?」
 思いも寄らない展開に、透は唖然とした。この一週間、京極のフラット・サーブを返す為に練習を重ねてきたというのに、まさか球種を変えられるとは思わなかった。一体、今までの努力は何だったのか。

 あまりのショックに呆然と立ち尽くす透に向かって、京極が口の端だけの薄ら笑いを投げかけた。
 「どうした、ぼうっとして? 一週間もやったのに、何の準備もして来なかったのか?」
 「いや、だって『俺のサーブを返せるようにして来い』って……」
 「ああ、そう言った」
 「でも、今のはスピン・サーブ……」
 「バ〜カ! 俺はサーブと言ったんだ。フラット・サーブに限定した覚えはない」
 「そんな……」
 「それじゃあ、何か? お前は、本番でも対戦相手に向かってサーブの球種を指定するのか? ポイントごとに『次はフラット・サーブでお願いします』と、いちいち頼むのか?」
 まんまと京極にはめられたような気がしないでもないが、一応、話の筋は通っている。「俺のサーブ」を勝手にフラット・サーブだと信じた透が甘かった。これがサーブを返すという条件の下で行われている勝負である以上、どんな球種が来ても文句は言えない。
 せっかくの練習が無駄になったのは悔しいが、今は試合の約束を取り付ける方が先である。そもそもこのゲーム自体、京極と試合をさせてもらう為のハードルのようなものである。四本中、たった一本で良い。サーブを返せば、この男と勝負が出来るのだ。

 透は気を取り直して、通常の位置で構えを取った。再び、京極からトスが上がる。
 彼が放つスピン・サーブは恐ろしく回転がかかっている。地面に着いたと同時に急激に跳ね上がる厄介なバウンドを想定し、高い打点でも返せるよう少し高めにラケットをセットして待っていた。
 「まさか!?」
 上げられたトスが低かった為に、てっきりスピン・サーブだと思って構えていたが、今、足元に向かって真っ直ぐ突っ込んでくるのは、例のフラット・サーブではないか。
 咄嗟に出したラケットのフレームが空を切った。散々練習したにもかかわらず、透はスピン・サーブを意識し過ぎてタッチの差でフラット・サーブを逃してしまった。
 完全に裏をかかれている、と言うより遊ばれている。その証拠に、サーブのたびに右往左往する透の姿を見て、眼光鋭い男の目尻は下がり、締まりのない顔になっている。
 「ちっくしょう、あの野郎……!」
 透の強く噛んだ唇から、じきに沸点に達するであろう怒りの声が漏れていた。
 もしかしたら、京極には最初から試合をする気など無かったのかもしれない。常識的に考えて、都大会の優勝候補と囁かれる明魁学園の部長が、レギュラーにもなれない他校の一年生を相手にまともに試合をしてくれると思う方がどうかしている。彼は諦めの悪い素人に力の差を見せ付ける為に、わざわざ練習時間まで与えてここへ呼んだのだ。そう考えると、ますます悔しさが込み上げてきた。
 「こうなったらスピンだろうが、フラットだろうが、ぜってえ返してやる!」
 透は激しい憤りを腹の底に感じながらも、努めて冷静になるよう自分自身に言い聞かせた。
 「勝負事は、どんな時でも冷静でいられる者が勝つ」
 唐沢から最初に教えられた教訓を胸の内で呟き、一旦、気持ちを落ち着かせてから、自分が置かれている状況を分析する。
 フラット・サーブだと思っていた一本目はスピン・サーブ、スピン・サーブだと思っていた二本目はフラット・サーブと、京極はことごとく透の裏をかいている。あくまでもサーブを取らせないつもりなら、次の球種はあれしかない。
 三本目のサーブに備えて、透はわざと左寄りに構えてみた。それを見届けてから、京極がサーブの構えに入る。
 トスが上がったと同時に、透は素早く右へ移動した。ボールの落下点を見定め、低い体勢から全身の筋力を向かってくるボールに集中させた。
 「ビンゴ!」
 透の予想通り、三本目のサーブはスライス・サーブであった。
 相手が初心者である事を承知の上で、次々と慣れないサーブを打ち込んでくる京極。スピン・サーブ、フラット・サーブと来れば、次はスライスである事ぐらいは容易に想像がつく。
 だがそれだけでは充分ではないと判断した透は、予想通りのサーブを誘うべく、わざと左サイドにポジションを置いて右側に空間を作った。それにより、相手は右側へ大きく逸れるスライスを選ぶはず。初めに左サイドに構えておいて、トスアップと同時に逆方向へ移動すれば、右側へ鋭く切り込むスライスに届く計算だ。

 透の読みに狂いはなかった。リターンのポジションも、完璧にボールを捕らえられる場所にいた。
 だが一つだけ、計算外があった。京極が放ったスライス・サーブには思った以上に鋭い回転がかけられていた。
 ラケットはボールを捕らえているというのに、それでも尚、相手にコントロールされているかのような圧迫感がある。回転が激しくてボールを制御し切れない。このままでは返したとしても、前回と同じく失速して相手コートへ届く前に落ちてしまう。
 何としても、ネットを越えさせなければ――。
 一つのボールを返す為に、全身の筋力が集結していくのが分かる。筋力だけではない。視覚も、聴覚も、あらゆる能力が黄色いボールに集まっていく。
 ほんの一週間前だがウェイト・トレーニングとパワー・トレーニングも開始した。京極のフラット・サーブを返そうと、毎晩、百を越えるボールを打ち込み、訓練を重ねた。幸い、このスライス・サーブにはフラット・サーブ程の重さはない。練習通りの力が出せれば、必ず返せるはずである。
 祈るような気持ちで、透は全神経を集中させてボールを押し返した。先週は到達し得なかった一段上のステージを、今度こそ自分の足場とする為に。
 「頼む、超えてくれ!」

 夜間照明の白い光が眩いばかりに反射するコートの中を、黄色いボールがコート中央に向かって突き抜けていくのが見えた。その後姿は、まるでネットの僅か数センチ上を行くハードル走のランナーのようだった。
 弱者と強者を分断する高い防壁が、本来の姿に戻っていく。黒い網目模様の間から、向こうの世界がよく見える。
 相手コートの内側に力強い跡を残して、外へと飛び出していくボール。その足跡を目で追う京極の顔つきが変わった。
 「思ったよりやるじゃねえか?」
 鋭さの増した視線に負けじと、透も睨み返した。
 「約束通り、俺と勝負してもらいますよ?」

 一週間の苦労を経てようやく実現した京極との対戦は、あまりにも呆気なく終了した。試合時間で言うなら、初めて村主と対戦した時よりも短かったかもしれない。
 透は挑戦者として最初にサーブ権を与えられたにもかかわらず、ゲームの主導権を握る事は一度もなかった。リターンに回った京極から返されるボールはサーブに劣らず強烈で、どうにか喰らいついて返球したとしても、次の瞬間にはボレーを叩き込まれていた。
 後から知らされた事だが、京極は「ボレーの達人」と呼ばれるほど多種多様のボレーを操る天才で、一瞬の隙を突いてストロークからネットプレーに転じる素早さもさる事ながら、様々な角度からポイントを決める技術は透の方が球出しをさせられているのではと錯覚するほど鮮やかなものだった。
 攻撃の手段としての認識しかなかったボレーが、実は防御をも兼ね備えた万能なショットである事を、透はこの時、自らの手痛い失点をもって理解した。
 京極のボレーは鋭いスライス回転がかけられている為にバウンドが低く、こちらが強引にロブを上げようとしても中途半端な高さとなり、浮いたところをハイボレーで叩かれる。だからと言ってネットぎりぎりの低いボールで攻めれば、これもローボレーで際どいコースを突かれて逆襲される。要するに、何処へどう返しても、守備範囲の広いボレーに捕まり決められてしまうのだ。
 これがオールラウンドプレイヤーの強みなのか。サーブ、リターン、ストローク、ボレー。どのショットにおいても、どのポジションについたとしても、変幻自在に攻めてポイントへと繋げていく。
 苦労してこぎ着けた対戦であったが、結局1ポイントも取れないまま試合は終了した。

 ある程度の覚悟はしていたものの、頂上との距離は透が想像していた以上に離れていた。全身汗だくで立っている事さえままならない透に反し、京極は息一つ乱していない。
 「どうだ? 頂上は見えたか?」
 「いえ……京極さん、まだ本気出していないですよね?」
 京極からの問いかけに答えたと同時に、またしても悔し涙が襲いかかってきた。
 頂点に立つ男の実力が知りたくて試合を申し込んだというのに、力の差があり過ぎて、勝負にならなかった。二人の間に横たわる途方もない距離を自覚した途端、悔しさと情けなさが対になって透の涙腺を刺激した。
 しかし前回に続いての悔し涙は、やはり格好が悪かった。どうにもならない歯痒さをぶちまけたいのは山々だが、泣き虫だと思われるのは嫌だった。大差で負けた敗者にもプライドがある。
 目を大きく見開いて、かろうじて溢れそうな涙を塞き止めた。体では感じなかった夜の風が、濡れた目尻に冷たく沁みる。
 「これだけコテンパンにやられて、まだ懲りないのか?」
 「俺、口と諦めは悪い方なんです。また試合、やってもらえませんか?」
 何度負けても勝つまでやる。それが未熟な透に通せる唯一の信条であった。
 「どうして俺なんかに、そこまで拘る? 光陵なら、いくらだって強い選手がいるだろう?」
 あまりのしつこさに、京極が透の顔を呆れたように見返した。地区大会を勝ち抜いた光陵テニス部ならば、まして経験の浅い一年生であれば尚更、練習相手には事欠かない。わざわざライバル校の部長に勝負を挑む理由が分からないと、言いたげであった。
 「『自分より強い奴を倒さなきゃ意味がない』って、親父が言っていたから。壁打ちボードの前で練習している京極さんを見た時、その言葉を思い出しました」

 あれは透が十歳の時だった。
 都会の生活ではイノシシどころか、野生動物そのものを目にする機会も滅多にないが、透の育った岐阜の山奥では彼等との共生共存が当たり前であった。人間も自然の一部であり、野生動物から見れば、最も弱いランクに位置することを嫌でも思い知らされる。
 この純然たる事実は、透の場合、学校からの帰り道に偶然出くわした山の主によって教えられた。
 大人達が獰猛だと騒ぐイノシシを間近で見たのは、その時が初めてであった。黒々とした巨体は想像していたものより大きく、牛のような印象さえあったが、全身から発せられる気迫は明らかに人間に飼い慣らされた家畜のものとは違っていた。
 瞬時に弱者を退かせる眼差しは下から上に向けられているにもかかわらず、上から見下ろされているような凄みをまとっていた。言葉が通じるはずもないのに、どういう訳か「道を開けろ」と命令されている気がした。
 一瞬で、幼い透には手に余る相手だと悟ったが、それと同時に理屈に合わない欲求が湧き上がった。この問答無用の気迫を放つ獰猛な野獣を従えたい。自身にどれ程の力があるのか、試してみたいと思う年頃だったのだ。
 そのイノシシは額に十字の傷があった。十歳の透には、それがまた強そうに映っていた。
 額に十字の傷があるイノシシが山の主であるという事実は後から知らされた事であり、当時のやんちゃ坊主には生きるか死ぬかの危険が迫るまで、地元の猟師が手を焼く程の大物である事など知る由もなかった。
 山の主を倒す為にテニスボールを打ち込み攻撃しては、その度に威嚇されて逃げ帰る。そんな“戦いごっこ”をくり返していた。単に己の力量を試したいが為に。
 ところが群れを守る野生動物にとって、それは“ごっこ”ではなかった。何度も攻撃と威嚇のやり取りを繰り返すうちに透を天敵と認識した山の主は、こちらに戦う準備がなくても襲うようになってきた。
 一見それほど鋭利には見えない牙だが、成人男性でさえ、それで体当たりされれば肋骨の一本や二本は確実に折れてしまう。まして成長期前の子供の体など、一溜まりもないはずだ。
 反撃されるようになって初めて野生の怖さを理解した透は、父親である龍之介に助けを求めた。「山の主を何とかしてくれ」と。だが父の答えは「ノー」だった。
 透は今でも覚えている。あの時の龍之介の一瞬たりとも動じない落ち着き払った態度。息子が涙ながらに訴えているにもかかわらず、父は朝のニュース番組を聞き流すかのように平然とコーヒーを飲みながら寛いでいた。
 「自分より強い奴を倒さなきゃ意味がない。だからお前が倒すんだ」
 鼻先に漂う白い湯気を吸い込み、満足げにコーヒーをすする父の顔はいまだに忘れない。

 「それで、その山の主は倒せたのか?」
 「はい。126回目でようやく」
 「126回ねえ……つまり1勝125敗って事だよな?」
 「そうッスね。だけど1勝125敗でも、勝ちは勝ちですから」
 「つまり俺は、その山の主と同じ扱いをされているのか?」
 「ええ、最初に会った時から似ているなぁと……」
 躊躇う事なく答えた透を、京極がギロリと睨みつけた。さすがにイノシシに似ているからという理由で勝負を挑まれるのは、気持ちの良いものではないのだろう。
 「俺さ、しつこい奴は嫌いなんだ。面倒臭せえだろ? 相手すんの」
 いかにも不機嫌そうな顔を見せて、京極が帰り支度をし始めた。
 「あ、いや……顔が似ているとか、そういう事じゃなくて……」
 慌てて言い直してみたが、フォローの言葉を重ねるごとに状況は悪化する。
 いかつい形相を更に強張らせた京極が、コートを出る直前で足を止めた。
 「だから、気が向いた時だけな」
 「えっ!? 今、何て?」
 透は思わず聞き返してしまった。つまりそれは「気が向いた時だけ、試合をしても良い」という意味なのか。
 「俺は、同じ話は二度しないと、教えたはずだ」
 「あっ、そうでした。聞こえました。えっ……でも、なんで……?」
 てっきり機嫌を損ねたと思っていたのに、なぜ急にそんな事を言い出したのか。彼の心変わりが不思議で仕方がなかった。
 透の疑問を無視して、京極が名前を尋ねてきた。
 「お前、名前は?」
 「真嶋……真嶋透です」
 「そうか、真嶋。俺は、面倒は嫌いだが……」
 呆ける透を肩越しに振り返り、京極がいかつい横顔をほんの少し崩して言った。
 「面倒は嫌いだが、他人の悔し泣きを見るのは嫌いじゃない。特に俺に挑んできた奴が無様に涙を流す姿は、見ていて実に気分が良い」
 山の主は意味ありげな笑みを向けると、透に頂上への新たな切符を残し、悠々とした足取りでコートから出ていった。






 BACK  NEXT