第39話 フェイク

 「次が山場だな」と漏らした疾斗の言葉に、透も頷いた。
 決勝戦のダブルス二戦を引き分けた今、残りのシングルス三戦の結果が直接優勝に結びつく。両校ともベストメンバーを揃えたハンデなしの一騎打ち。その先陣を切るのは、光陵学園からは藤原、明魁学園からは岬という、いずれも部長、副部長に次ぐ部内ナンバー3の選手であった。
 光陵サイドはこのシングルス三戦に照準を合わせ、出場選手が途中でスタミナ切れを起こさぬよう充分に配慮して臨んでいる。これで条件は互角とは言え、実際に選手の技量までもが互角かどうかは蓋を開けてみなければ分からない。万が一、ここで黒星がついた場合、光陵学園は一勝二敗の苦しい状況に立たされると同時に、両校の実力差は決定的なものとなる。S3を託された藤原が、明魁のナンバー3にどこまで喰らい付いて行けるのか。全てはそこに懸かっている。

 「トオルは岬さんのこと知らないか? 確か、お前ん家の近くに住んでいるはずだけど」
 疾斗は対戦相手の岬を知っているような口振りだが、透にはまるで覚えのない顔だった。一日の大半を学校と区営コートで過ごす人間に、近所の住人の顔を覚えろという方が無理な話である。
 「前に海斗から聞いた事がある。岬さんはバスケ部からの転向組だって」
 疾斗の話によると、岬は当初、明魁学園のバスケットボール部に籍を置いていたのだが、その並外れた脚力を見込んだテニス部副部長の越智が、彼をスカウトしたとの事だった。
 「そう言えば、藤原さんも陸上部からの転向組だよな?」
 「ああ、そう聞いている」
 「藤原さんをスカウトしたのは、海斗だって知っていたか?」
 「いや、知らなかった。やっぱり脚力を見込んでか?」
 透の問いかけに、疾斗が記憶を手繰るような仕草をしてから、自信なさげに「たぶん」と答えた。自らこの話題を持ち出したわりには、答え方が頼りない。不思議に思って、もう一度視線だけで問いかけると、彼はその理由をボソボソと話し出した。
 「藤原さんがテニス部へ転向した時、兄貴も海斗も珍しく上機嫌でさ。うちは二人揃って機嫌が良いのって滅多にないから、よく覚えているんだよ。
 たださ、兄貴は『これで全国が近くなった』って喜んでいたんだけど、海斗は『これでレースが面白くなる』って口走っていたような気がしたんだよな。俺の聞き間違いかもしれないけど」
 それは断じて疾斗の聞き間違いではない。唐沢を心優しき兄だと信じる彼はそう解釈するのだろうが、バリュエーションで借金まみれにされている透にはよく分かる。唐沢は藤原を光陵テニス部の戦力を上げる為にスカウトしたのではなく、まして全国大会を見据えてでもなく、レースの “馬”として利用するつもりで転向させたのだ。
 透はこの場で唐沢の所業を洗いざらい暴露したい衝動に駆られたが、疾斗が真実を知って人間不信になっては困る。せっかく更生したばかりの彼に余計な裏話は無用と考え、知らん顔を通す事にした。

 これまで透が見聞きした情報から判断するに、藤原と岬はよく似たタイプの選手のようである。テニス部に必要とされた理由は違うにしても、他種競技から転向してきた者同士、また脚力のある者同士、己の経験と能力をどう試合に活かすのか。ここが勝負の鍵となりそうだ。
 静かに靴紐を結び直す藤原の背後で、ベンチコーチの日高がどっかりと構えている。日高がコートに残っているという事は、まだ勝敗の行方がハッキリしないという事だ。いつもなら、先が見えた時点で他の部員と交代している。地区大会での決勝戦がそうだった。あの時、日高はシングルス戦が始まると同時に、透と一緒にフェンスの外から試合を観戦していた。
 だが、今回は違う。可能性は五分五分なのだろうか。それとも、優勝実績のない光陵学園が不利なのか。いずれにせよ、これから始まる一戦が山場である事は、無言で座るコーチの横顔からも感じ取れる。
 反対側のベンチでは、岬が同じく準備に入っていた。元バスケットボールの選手というだけあって、すらりと伸びた彼の両手足は絞り込まれた筋肉が正しくついている。まるでアスリートの見本のような体躯であった。
 特に脚の筋肉は、大腿四頭筋やら腓腹筋やら、各所の名称とその役割が分かる程に盛り上がっている。岬も藤原と同様、かなりの脚力を有していると見て間違いない。
 岬の長い脚が、小刻みに動く口に合わせて、軽快なリズムを取っている。見方によっては貧乏揺すりにも見えるが、あれも集中力を高める為の習慣なのだろう。変わった癖だとは思ったが、日頃から個性豊かな先輩達に囲まれている透は大して気にも留めなかった。

 最初のサーブ権は、岬にあった。
 予想通り、岬はサーブと同時にネットについた。そのスピードは、元スプリンターに負けず劣らずの素早さで、相手が前に出ることを許さない。あのネットダッシュの得意な藤原よりも先にネットを占領できるのだから、その瞬発力はかなりのものである。
 透の目には、岬と藤原がネットではなく鏡を挟んでプレーしているように映っていた。
 俊足を武器として、ネット前からボレーで攻める。この得意パターンに持ち込む為に、相手より先に有利な体勢を作ろうとせめぎ合う。
 今回は体力的には不安はないが、0.1秒の遅れが命取りになる。一瞬の奪い合いとでも言うのか。一歩でも出遅れた方がポイントを失う。そんな試合展開が予想される始まりだった。

 「互いのプレースタイルも分かったところで、そろそろ、どっちかが仕掛けるはずだ」
 ゲームカウントを「2−2」と引き分けた直後に、それまで無言で観戦していた疾斗が口を開いた。
 疾斗がテニス部に入部したのは最近だが、実戦経験においては透よりも遥かに上である。体験的に何処でどうゲームが動くのか、分かっているのだろう。
 岬のサーブから始まる第5ゲームで、藤原が先にネット前を陣取った。サーバーがネットに詰めてポイントを得る今までのパターンを、彼は徐々に崩し始めている。岬より藤原のスピードの方が勝っている証拠である。この有利な体勢のままボレー合戦に持ち込めば、光陵がブレイクするチャンスは充分にある。
 しかしネット際での攻防が開始されて間もなく、透は先輩の様子がおかしい事に気が付いた。ほんの一瞬ではあるが、藤原の動きが止まるのだ。そして、その隙を突いて、岬がボレーを決めている。
 僅かな遅れも許されないのは藤原が一番よく分かっているはずなのに、何故か動きを止める空白の間がある。一体、ネット際で何が起こっているのか。

 疾斗も異変に気付いたらしく、訝しげな顔を向けてきた。
 「藤原さん、何か変だよな?」
 「俺もさっきから気になっているんだけど、一瞬だけ動きが止まるように見えるんだ」
 「肉離れでも起こしたか?」
 「いや、そうじゃない。理由は分からないけど、フリーズしている感じ? 妙な間があるって言うか……」
 「岬さんの方に原因があるんじゃねえか? お前、注意してよく見てみ?」
 疾斗は、視力に関しては透の方が上だと思っているのだろう。
 言われた通りに透が岬に視線を移すと、彼は何かを口ずさみながら、ボレーを繰り出していた。
 「ツタタ……タン……タタ……」
 岬の唇の動きを注視している最中、突然、視界が崩れた。眩暈にも似たその感覚は、ズレと言うのか、歪みと言うのか、ひどく気分が悪くなる。
 「な、何だ?」
 おかしな現象が何故起きるのか。原因も分からぬままに、もう一度ネット際の岬に注意を向けてみた。小声で口ずさむリズムに合わせて、軽快にステップを踏んでいるように見えるのだが――。
 「ツタタ、タン、タン……タタ……」
 リズムに合わせて同じテンポで体を動かし、サイドへと動いた。その時だ。
 「あれだ!」
 透が声を上げたと同時に、藤原の動きが止まり、またも岬がボレーを決めた。先にネット前を占領して優位な立場にいたにもかかわらず、藤原はせっかくのブレイクチャンスを逃していた。

 「どういう事だ?」
 説明を求める疾斗に、透は岬の口ずさむリズムと体の動きに注目させた。
 「基本的に、俺達は人間が口ずさむリズムと体が取るリズムは同一だと思い込んでいるだろう?」
 「あんまり考えた事はないけど、言われてみれば、そうかもな」
 「ところが岬さんは、一瞬だけ口と体の動きをずらす瞬間を作るんだ。ほら、今!」
 「えっ……なに?」
 疾斗の視力ではいくら口頭で説明されても0.1秒のズレが判別つかないようで、コートを凝視するものの、しきりと彼は首を傾げている。恐らくは俊敏な世界に入り込める者のみ引っかかるトリックなのだろう。
 それはバスケットボールの選手が使う“フェイク”と呼ばれる技法と理屈は同じである。フェイクとは、ボールをシュートすると見せかけてドリブルで相手を抜いたりする、言わばフェイント技で、相手が予測するリズムを外して隙を突くボレーはテニス版“フェイク”であった。岬は藤原の脚力ならネット際の攻防になる事を見越して、この作戦を用意していたに違いない。
 一瞬を競い合う勝負の中で、最も頼りとするのは視界からの情報だ。そこでわざと唇と体のタイミングをずらせば、反射的に相手はそこに生じたズレを修正しようと動きを止める。岬はその隙を突いてボレーを叩き込んでいる。つまりは相手から0.1秒を奪い取る為のリズム外し作戦だ。

 岬のフェイクでペースを乱された藤原は、第6ゲームもブレイクされた。
 スピード勝負の試合では、いかに集中力を維持するかが勝利の決め手となる。相手の動きを注視しなければならない状況で、その対象が集中を切らす原因とあっては、このまま接近戦を続けたとしても勝ち目はない。ここは相手から距離を取ってベースラインでの打ち合いに切り替えた方が良いのだろうが、ボレーに絶対的な自信を持つ藤原が安易に後ろへ下がるとも思えない。
 退けば負ける。苦境に立たされても尚、ネットを見据える先輩の背中が、このままでは終われないと訴えている。
 藤原がコートに屈み込み、再び靴紐を結び直している。集中力を取り戻す為の、彼のオリジナルの儀式である。いつもより時間をかけているのは、岬の仕組んだ映像を頭の中から消そうとしているからだろう。
 藤原も岬のリズム外し作戦に気付いているはずだ。問題はフェイクの仕込まれた映像に頼らず、相手の動きをどう見破るか。それさえ出来れば、岬のスピードを抜きつつある藤原の方が優位に立てると思うが、いまだ打開策は無いようだ。
 やはり明魁のナンバー3は一筋縄ではいかない。透が勝利への不安を感じた直後である。
 「そこが渡世人の辛いところだよなぁ」
 『寅さん』が発したと思われる台詞と共に、藤原が何やら口ずさんでいる。自分の動体視力の良さを恨む気持ちから飛び出した台詞だろうが、あの口の形は何を歌っているのか。
 いや、透にははっきり分かる。『寅さん』をこよなく愛するマニアの藤原が口にすると言えば、たった一つ。日本人なら一度は聞いた事がある有名なメロディ。『男はつらいよ』の主題歌を、彼は決勝戦のコートの上で口ずさんでいるのである。
 現に、唇の動きが記憶の片隅にある歌詞と一致する。だが演歌調の節回しと童謡並みのスローテンポの曲で、一体彼は何をしようというのか。少なくとも、スピード勝負のこの試合で、絶対にBGMとして聴きたくない歌の一つである。

 勝負師と称される先輩の意図が見えないまま、第7ゲームが開始された。岬のサーブの返球と同時に、藤原がネット前へ飛び出した。そして数秒遅れで、岬も前へ躍り出た。
 またしてもネット際での攻防が始まった。
 岬は先程と同じ作戦を続行しているらしく、透はまた嫌な眩暈を覚えた。しかし藤原の方を見やると、今回は振り切られていない。それどころか、振り切られたのは岬の方だった。
 「名づけて『寅次郎わが道をゆく』作戦!」
 藤原がしてやったりと言わんばかりの笑顔で、岬に向かってVサインを送っている。その得意げな表情から判断するに、偶然に動きを見破った訳ではないようだ。
 再び、両者の動きを確かめてみる。相変わらず藤原は『男はつらいよ』の主題歌を口ずさみながら、視線を一点に集中させている。答えは、その視線の先にあった。
 「そうか、ラケットヘッドだ!」
 「どういうことだ?」
 得心する透に向かって、疾斗が更なる説明を求めてきた。
 「シンゴ先輩は相手のフォームを見ないようにして、ラケットヘッドの傾き方で動きを判断しているんだ」
 「だけど相手のラケットに注目すれば、あの紛らわしい口元だって視界に入ってくるだろう?」
 「だから、それに惑わされないように、自分も違うテンポの曲を口ずさんでいる」
 「違うテンポの曲?」
 「あんまり言いたくないんだけど、『男はつらいよ』のテーマソング……」
 「『男はつらいよ』って、昭和の映画だよな? そんな古い曲、なんで藤原さんが知ってんだ?」
 確かに中学生には馴染みのない曲である。
 「先輩達から聞いた話だと、同居している爺さんの影響だって。『寅さん』マニアなんだ、シンゴ先輩の家系。
 因みにあの作戦名は、二十一作目のタイトルからパクってる。昨日の夜、うちの親父が同じタイトルの映画を見てた」
 「海斗とお前だけだと思っていたけど、光陵って変な奴多いな?」
 「お前が言うな」

 コート上では、勢いに乗った藤原が追い上げを見せている。
 「なるほどね。体はフェイントをかける事が出来ても、ボールに直接触れるラケットヘッドだけは誤魔化しようがないか」
 すっかりペースを取り戻した藤原の動きを見て、疾斗も納得した。
 「フェイクに惑わされずに動きが予測できれば、岬さんを振り切ることだって可能だから」
 透の説明を聞いて、ようやく疾斗も笑顔になった。
 光陵の勝利が見えてきた。ゲームカウント「4−3」と追い上げる藤原をネット前に残し、岬が後方に退いた。ネット際の攻防を制したのは、光陵のナンバー3・藤原だ。
 試合の流れを熟知する勝負師が、この機を逃すはずはない。相手をベースラインに釘付けにしたまま、得意のネットプレーで巻き返しを図る。
 あまりの猛攻に対応し切れなくなったのか、岬からロブが上げられる。だが、高いジャンプ力を誇る藤原の前では、そのロブはスマッシュの餌食になるしかない。得意のジャンピング・スマッシュだ。
 地区大会の相手なら、これで決まるはずだった。しかし、明魁のナンバー3には通用しなかった。
 高い打点からのスマッシュを、岬はいとも簡単にスライス・ロブで返してくる。二打、三打とスマッシュを連打した後、ようやく藤原はコートに沈めることが出来た。
 さすがに岬は適応力が高い。何度かスマッシュを打ち返すうちに相手の癖を掴んだのか、ロブで返球する回数が増えてきた。
 どうにか藤原がスマッシュを捻じ込み第8ゲームを制したものの、相手の実力の高さを考えると、まだ勝負は分からない。ゲームカウントは「4−4」と引き分けているが、透には主導権を握ったはずの藤原の方が、岬よりも辛そうに見えていた。

 「そろそろ、岬の本領発揮ってとこか。この勝負、うちが貰ったね」
 コート脇でスタンバイする越智が、隣にいる京極に囁いた。
 「何だよ。俺の出番はねえのかよ?」
 シングルス二連勝を予言する京極の発言を受けて、越智が軽く笑んだ。
 「岬で一勝、俺で一勝。うん、そうだね。成田との一戦は、またお預けになるんじゃない?」
 コート上では、藤原が得意のスマッシュで猛攻撃をかけていた。対する岬はベースラインから離れることなく、ひたすらロブで返している。一見、藤原が有利に見える試合展開だが、その表情は険しい。
 「彼、そろそろ落ちるかな。岬の罠に」
 越智の薄笑いと同時に、藤原の頭上をロブがすり抜けた。物差しで測ったように正確な軌道を描くロブは、空中に舞い上がった後、ベースラインぎりぎりに落ちていった。
 他の観客達には岬のロブが偶然、藤原のジャンプ力を超えたように見えただろうが、出場選手の能力を全て把握している越智には当然の結果に映っていた。
 「やっぱり飛べなくなっちゃったね。まあ、仕方ないか。散々ボレーで左右に振られた後に、スマッシュで上下に揺さぶられたら、誰だって筋肉疲労を起こすよね。
 彼、体力的には余裕があると思い込んでいるから、気付いていないんじゃないの? 急性疲労は、筋肉が充分に温まっていない時の方が陥りやすいのに」
 苦痛にあえぐ藤原を認めた越智は、自身の口の端が自然と持ち上がるのを自覚した。
 「おい、越智。露骨に嬉しそうな顔すんなって。まったく、お前は陰険さにかけては、唐沢以上だな?」
 口では越智を諭しながらも、京極から同情の色は少しも見られない。
 「だって相手が罠に落ちる瞬間って、楽しいじゃん。そもそも、岬のネットプレー自体がフェイクなんだから。
 あいつの本来のプレースタイルは、ベースライナーだよ」

 今までの一連の流れは、サーブ&ボレーヤーの藤原を陥れる為の罠だった。
 初めにネット際で脚の筋肉を極限まで左右に使わせ、続いてジャンピング・スマッシュの連打で上下に揺さぶる。岬がスマッシュを拾わされているかのように見えたかもしれないが、実際には藤原が岬のロブを拾わされていたのである。そうやって脚の筋肉疲労を誘いながら、最後はジャンプ力が落ちて飛べなくなった藤原をロブで抜く作戦を取っていた。
 この作戦は俊足の岬でなければ、相手をここまで追い詰める事は不可能だ。特に高い角度からのジャンピング・スマッシュを拾い続ける芸当は、俊足且つ、ベースラインでのプレーを得意とする者のみ成せる技だった。
 越智が岬をスカウトしたのは、脚力だけが理由ではない。オールラウンダーが多い部内で、サーブ&ボレーヤーに対抗し得る“俊足のベースライナー”が欲しいと思ったからである。
 極度の筋肉疲労から、藤原のジャンプ力が徐々に落ちていくのが誰の目にも見て取れる。
 「確かにいくら脚力が優れていたとしても、それだけじゃあ、うちには勝てねえな」
 最後のロブが藤原の頭上を抜けたのを見届けてから、京極も越智と同じ類の笑みを浮かべた。

 ゲームカウント「6−4」で、ナンバー3の対決は明魁学園が優勝に王手をかける結果となった。
 苦しそうに肩で息をしながら、藤原が唐沢と入れ替わる。
 「悪りぃ、海斗。負けちまった」
 「気にするな。俺等で決めたら、成田に悪いだろ?」
 善戦したチームメイトへの労いの言葉を、コートに上がった越智が遮った。
 「残念だけど、成田の出番はないよ。次で勝負は決まるから」
 敗者に追い討ちをかけるような物言いに対し、唐沢はさほど気に留める風でもなく、まったく別の質問をよこした。
 「これはこれは明魁きってのオタク……じゃなかった。データマンの越智君? 俺のデータ、ちゃんと更新してきたかい?」
 「見え見えの挑発には乗らないよ。あと相手のペースを乱すとか、そういうセコい手を使っても無駄だから」
 「セコい手ねぇ。わざと筋肉疲労を誘った連中が吐く台詞とは思えないな」
 「自分の脚力を過信して負けたんだ。自業自得さ。
 ここはテニスコートだ。陸上競技のトラックじゃない。足だけじゃなくて、頭も使わないと勝てないよ。
 唐沢もあまり自分の能力を過信しない方が良い。君の得意なトリック・プレーも、俺には通用しないから」
 口元に笑みを湛える越智に対し、唐沢は無表情のまま黙っていた。
 勝算があると思った時点で負ける。唐沢にそこまで言わしめた越智を対戦相手に迎え、光陵テニス部の運命は次の副部長同士の対決に委ねられた。






 BACK  NEXT