第20話 潜入捜査

 不機嫌さを前面に出した仏頂面を取り繕うこともせずに、透は隣の部屋をノックするなり、
 「なあ、エッリク? 同じ学生なのに、なんで俺だけ追い出されると思う?」と言って、自分よりも遥かに賢い親友に説明を求めた。
 「追い出されるって?」
 扉を開ける際にも、疑問を投げかける際にも、読書中の彼の気を引くには充分な騒音を立てていたにもかかわらず、エリックは青い瞳を上げようとはしなかった。彼は決して冷淡な人間ではないが、一旦、本を開くと、その世界観にどっぷり浸って、帰ってこない事がある。
 タイミングが悪かったと後悔しながらも、透は唇を尖らせ、続きを述べた。
 「BMIに入ろうとしたら、全力で拒否された」
 BMIとは『ビショップ・ミーンバーグ・インターナショナル』の略で、この辺りではテニスの名門校で知られる私立高校の名前である。
 「BMIに入るって……トオル、まさか飛び級で高校へ?」
 「違う、違う! なんて言うか、その……門の中へ入れれば良いんだ」
 いつになく歯切れの悪い物言いを不審に思ったのか。エリックは読みかけの本を脇に置くと、話を整理し始めた。
 「つまり、BMIの敷地の中へビジターとして入りたいと?」
 「そうそう、ビジターだ」
 「でも、どうして?」
 「それはだな……」
 透は自身で開け放した扉の向こうに誰もいないか、首を伸ばして確認してから、その理由を小声で告げた。
 「絶対、誰にも言うなよ? 実は、ある人からスパイを頼まれた」

 今朝、透は日本にいる滝澤から一通のメールを受け取った。
 二学年上の先輩にあたる彼とは、自宅のリビングに設置されているパソコンを通じて、時々だがメールのやり取りをしている。金銭的な理由から携帯電話を持たない、いや、持てない透にとって、この留学生達のための共同使用のパソコンが日本との唯一の通信手段である。
 初めは単なる近況報告だと思った。年度が変わって四月に入り、かつて光陵テニス部の中等部で活躍していた三年生達が高等部へ進学し、全員揃ってテニス部に入部した。あの個性豊かな先輩達が下級生に戻って球拾いをする姿は想像しにくいが、唐沢以外は、皆、元気でやっているとの話であった。
 唐沢は、現在高校三年生の兄・北斗と同じ敷地、同じ校舎、同じ部室と、顔を合わせる機会が増えたせいで、すこぶる機嫌が悪いらしい。彼はまだ、兄との確執を抱えたままなのだろう。
 以前、唐沢と北斗の間でトラブルがあったと聞いた事があるのだが、その時は末の弟の疾斗を立ち直らせる方へ気持ちが向いていた為に、深くは追求しなかった。だが詳細を知らされなくとも、二人の関係を自分たち親子に当てはめれば、唐沢がどんなにムカつく思いで毎日を過ごしているかは、見当がつく。
 最も毛嫌いする人間と自宅以外でも顔を突き合わせて過ごさなければならない。しかも相手はテニス部の先輩の中でも部長という最重要ポジションに就いており、自分は奴隷とも下僕とも称される新入部員の立場にある。頂点と底辺の果てしなく差のある上下関係は、底辺側に一方的なストレスを与えているに違いない。
 他の先輩達には申し訳ないが、この時ばかりは日本にいなくて本当に良かった、と思った。機嫌の悪い唐沢ほど、性質の悪いものはない。
 今頃は、元部長の成田を除く全員が悪質なギャンブルの餌食となり、そのうちの一人ぐらいは背負わされた借金の額が万単位にまで膨れ上がっているだろう。それが北斗の引退まで続くのだから、強引に転校させられた我が身が恵まれているとさえ感じてしまう。

 短い近況報告の後、いつも通り、トレーニングに関するアドバイスが細かく書かれ、最後に「頼みごとがある」と付け加えられていた。それがBMIの調査依頼であった。
 話によると、毎年BMIは留学生の名目で選りすぐりの選手を関西にある城西外語大学付属高校へ送り込んでいるという。
 城西外語大学付属高校と言えば、インターハイの出場最多記録を持つ強豪校である。
 滝澤の事だから、高等部へ上がった自分達の目標を三年後のインターハイに合わせ、今から必要な情報を集めているのかもしれない。BMIを調べることで、いずれ戦うであろう選手達のデータも入手出来るという訳だ。
 「無理はしないで」と念を押されていたが、滝澤に数々の恩義を感じる透は少しでも役に立ちたくて、早速、BMIへ向かった。
 ところが建物の前で警備員と目が合うや否や、不審者のごとく扱われ、それがどうにも納得がいかなくて、エリックの知恵を授かろうと部屋を訪ねたのであった。

 「トオル? もしかして、その格好でBMIに入ろうとしたの?」
 その格好とは、Tシャツにジーンズ、そして麻袋に放り込まれた背中のラケットを指している。
 「まずかったか?」
 エリックからの指摘を受けて、ようやく門前払いの原因がハッキリした。
 BMIはテニスの名門校であると同時に、血統書付きのお坊ちゃまだけが入学を許される超・エリート校でもある。ストリートコートに出入りするのと同じ格好でお堅い門を叩いても、入学希望者とみなされるはずがない。
 「あそこは資産家の跡取りなんかも通っているから、警備が厳重なんだ。学校関係者じゃないと中には入れないよ。
 見学者の振りをするにしても、親と同伴が原則だから、パパかママを連れて行かないと……」
 「親と同伴かぁ」
 「リュウなら問題ない、と思うけど?」
 確かに大学教授の父親であれば、入学希望の保護者としても、学校関係者としても、問題ない。不審者に間違われるような息子が独りでごねるより、よほどスムーズに事が運ぶだろう。
 だが、あまり気乗りはしなかった。龍之介に頼み事をしたくないのである。たとえ大恩ある先輩からの依頼だとしても。
 しばらく思案した後で、透は母親に付き添ってもらうことにした。黙ってさえいれば、彼女だって“普通の母親”だ。
 また透自身もそれらしく見えるよう、エリックからジャケットとネクタイを借りた。シャツとパンツは光陵学園の制服を使うとして、あとは伸び放題の髪をどうにかすれば良い。
 ここはメークアップアーティストを目指している姉貴分の出番である。
 突然のリクエストにもかかわらず、ディナは快く承諾してくれた。むしろ腕の見せ所だと張り切っている。
 「前からこういうの、やってみたかったんだ。モデルを劇的に変身させちゃうアレンジ!」
 「ディナ? そんなに劇的にしなくても、それらしく見えれば良いから」
 「トオルの場合は劇的に変身させないと、お坊ちゃまには見えないの!
 でも、安心して。トオルはママ似だから、エレガントな髪型にすれば誤魔化せるわ。
 デビュー当時のマイケル・J・フォックスにしてあげる。それとも、子供の頃のウィリアム王子が良いかしら?」
 「いや……あの……」
 「今風の髪型は駄目よ。クラッシクな方が、育ちが良く見えるから」
 「とりあえず、普通に頼む」

 自身の髪の毛がサクサクと音を立てて床へ落ちる度に、透は不安に駆られた。ディナに任せて、本当に良かったのだろうか。人選を間違えたような気がしなくもないが、今さら逃げ出すわけにも行かない。
 仕方なく、心臓に悪いものを視界から遠ざけようと目を閉じた。
 気持ちが落ち着かないのは、慣れない服装のせいもあるのだろう。
 日本に住んでいた頃は、何の疑問も持たずに、毎日制服を着て学校へ通っていた。堅苦しい学ランで登校し、ジャージに着替えてテニス部の早朝練習に参加して、また制服に着替えて授業に出席していた。時々着替えるのが面倒で、汚れたジャージのまま教室に入って、よく担任から注意を受けた。
 額に入れて飾るほど輝かしくはないが、取るに足らない出来事ほど大切に思える事がある。手の届かない場所にいるからこそ、見過ごしてきたものの有難みが分かるのかもしれない。
 平凡な日々の思い出に引きずられるようにして、あの頃の、日常の一コマであった風景が瞼に浮かぶ。
 学校の帰りによく奈緒と一緒に立ち寄った河原には、都会にしては珍しく季節を感じさせる草木があった。今は桜が見頃だろう。
 ちょうど去年の今頃だった。通学路をピンクに染める桜並木の下で、初めて奈緒と出会った。彼女は友達との会話に気を取られ、自分は転校初日から遅刻しそうで慌てていた為に、互いに避けきれずに、ぶつかって――。
 透は思い出の引き出しから溢れ出る風景を急いで元に戻した。滝澤のメールと言い、今日はホームシックになりそうな材料が揃い過ぎている。

 以前、透は一度だけ、ひどいホームシックにかかったことがある。
 「シック(sick=病気)」というぐらいだから、風邪と同じで、二、三日大人しくしていれば治るものだ、と思っていた。しかし実際は、ひたすら悶々とする悩ましい症状が二十四時間続き、それが来る日も来る日も変わらぬ鬱陶しさで持続した。
 ホームシックの厄介なところは、気を紛らわせる手立てがないことだ。
 和食が食べたいとか、日本のものが恋しくなったなどの欲求であれば、ダウンタウンでも満たされる。ところが最初に透を襲った欲求は、奈緒の弁当のおかずをつまみ食いしたい。それも今すぐに、という条件付きだった。
 次の日は、光陵学園のテニス部のコートで唐沢や遥希とラリーがしたくて仕方がなかった。その次の日は、村主がよく連れて行ってくれた『がんこ』のラーメンとギョーザが食べたくなった。
 こんな風に、悪夢のような欲求が毎日押し寄せた。全て、自分がアメリカにいる限り、絶対に実現できないことである。
 どんなに望んでも手が届かないし、代用品もない。代替の利かない欲求は、日を追うごとに強くなった。
 手に負えない欲を忘れようと、無意識のうちに新たな欲を作り上げる。もがけば、もがくほど追い詰められる蟻地獄のようだった。
 二度とあんな過酷なループに捕まってはならない。透は懐かしい桜色の思い出を、記憶の底に押し込めた。

 周りの学生達の歓声を聞いて、透はそっと目を開けた。この反応からして、ディナが希望通りのスタイルに仕上げてくれたようである。
 頭に手をやると、くせ毛が真っすぐに伸ばされ、指の隙間からするりと落ちていく。指通り滑らかな感触は、まるで他人の髪の毛を触っているようで落ち着かない。
 ギャラリーからは「品よく見える」、「好青年」といった好意的な感想が飛び交い、初めは気を良くした透であったが、最後には必ず「別人みたい」と加えられ、複雑な気分になった。
 ジーンにいたっては、「なぜ、最初からこの髪型にしなかったのか」と真顔で詰め寄り、目を覚ませと言わんばかりの強い口調で「絶対、こっちにすべき」と断言した。
 普段の自分は、周りにどう映っているのか。じっくり聞いてみたいとも思ったが、さらに傷が深くなる予感がして、早々に家を出た。

 今度の休みの日に一日買い物に付き合うという条件で、透は母親にBMIへの付き添いを承諾させた。
 能天気な彼女は、スパイの片棒を担がされているというのに、生まれ変わった息子を見て目を輝かせた。
 「若い頃の龍ちゃんに、そっくりだわ!」
 「そんな訳ねえだろ! 俺はお袋に似ているって、ディナが言ってたぞ?」
 「別人みたい」と言われるよりも、「龍之介にそっくりだ」と言われる方が、遥かに気分が悪い。世界中の誰よりも、似て欲しくない人物だ。
 「良いじゃない。二人ともナイスガイなんだから!」
 「あのさ、前から聞きたかったんだけど、親父のどこが良くて結婚したんだ?」
 「そうねぇ……」
 「って、詰まるのかよッ!?」
 「だって、考えた事なんてないもの」
 「考えたことないって……まさか考えナシに、親父との結婚を決めたのか?」
 「龍ちゃんが、そう言ったのよ。『何にも考えずに、黙って俺に付いてきてくれ』って」
 「それは言葉通りの意味じゃねえだろ?」
 「あら、やだ! じゃあ、どういう意味だったのかしら?」
 「だからさ……いや、もう良いや」
 以前にも増して、この母とは名字以外の共通点は一つもないと実感した。むしろ、へその緒で繋がっていたことが不思議なぐらいだ。
 二度に渡る引越し騒ぎも、彼女は龍之介から言われるがままに承諾した。転勤生活に慣れている事もあるのだろうが、もともとの性格がこうなのだ。よく言えば大らかな、早い話が何も考えずに前へ進めるお気楽な性格だ。
 夫婦二人だけの人生なら構わないが、間に生まれてきた息子の身にもなって欲しい。
 やはり彼女を連れて校内を回るのはリスクが大きい。無事に潜入できたら、問題を起こす前にさっさと帰そうと心に決めて、透は母親とBMIへ向かった。

 学校の前まで来ると、先程、透を追い払った警備員が校門の前に立っていた。一瞬、正体がバレるのではないかと焦ったが、すっかり雰囲気の変わった“お坊ちゃま風”の姿に疑いの目を向けられることはなかった。
 受付で、来校目的、住所、氏名、職業、電話番号、それに信仰する宗教まで書かされて、ようやく中へ入ることを許された。ここまで来る為に想定外のエネルギーを費やしたが、どうにか第一関門突破である。
 透は母親に礼を言って別れると、ただちにテニス部の活動場所を目指した。
 テニスの名門と目されるわりには、活動場所と思しき場所にはテニスコートが三面あるだけで、滝澤に報告しなければならないような注目すべき選手もいなかった。潜入する学校を間違えたのかと疑うほどだ。
 ところがコートの近くまで来て、透は別の意味でそこから目が離せなくなった。

 「ほら、しっかり打ち返して。やる気がないなら、出て行きなさい!」
 コーチが部員を叱責する姿はどこの学校でも目にする光景だが、問題はその練習方法にあった。彼女は一人の部員に対して、前後二名ずつ、合計四人を相手にストローク練習をやらせているのである。
 無論、強靭な肉体と高度な技術を有する選手であれば問題はないが、一見して、彼等のレベルはそこまで到達しているとは思えなかった。しかも一人の方の選手はすでに体力の限界を超えたと見えて、息が上がって、ボールにも追いつけない有様だ。これ以上の練習は、体を壊すだけである。
 透は自分の立場も忘れて、コートの外から聞こえよがしに
 「テニスの名門だと聞いて来たけど、ここにはコーチはいないのか?」と嫌味を言った。
 たぶん声は届いたと思うが、その女性は無視して練習を続けさせている。
 「あいつ、このままじゃケガするぜ?」
 今度は確実に聞こえるよう声を張り上げた為に、コートにいる全部員の動きが止まり、続いてコーチらしき女性も透の方へと目を向けた。
 彼女は最後まで無視を決め込むつもりでいたのだろうが、部員達の動揺を見取って、仕方なく注意を払った感がある。その証拠に、振り向いた直後の顔には相手の素性を確かめる前から敵意が見えていた。
 「君、見学者でしょう? 部外者は黙っていてくれないかしら?」
 年齢は三十代後半ぐらいだろうか。女性にしては、いかつい顔をしている。もともと外国人の鼻は高く見えるが、彼女の場合、鼻先が更に下へ伸びて、絵本に登場する魔女のようだった。
 「アンタ、コーチだろ? どうして、こんな無茶な練習をさせる?」
 「お察しの通り、私がコーチよ。プロコーチの資格も持っているわ。
 だから素人が口を出す必要はないの。練習の邪魔をするなら帰りなさい」
 事を荒立てるつもりはなかったが、彼女の「素人」の一言が癇に障った。
 「これがプロの仕事? 今どき、素人だってこんな無茶なメニューは組まないぜ」
 「何ですって?」
 「選手のレベルを考えて指導しろよ。いきなり四人も相手に打たせたって、あれだけフォームが崩れていたら意味がない。
 第一、スプリット・ステップだってまともに踏めていない。そんなレベルの選手に、このメニューは自殺行為だ。今はストローク練習よりもフットワークの強化に重点を置くべきだ」
 日頃から自身でトレーニングメニューを組み立て、モニカが来る前は、他のメンバーの練習内容も管理していた透は、基本的な練習法ぐらいは導き出せるようになっていた。
 ところが彼女はそんな事は承知の上だと言いたげに、威圧的な視線を投げてよこした。
 「私が組んだメニューに付いてこられないのなら、その選手は必要ないの。ここはあくまでも、Aランクプレイヤーを発掘するためのマーケットだから」
 「マーケット?」
 「そうよ。向こうのジムで、私の理想とするプレイヤーを育てているの。ここはジムに送り込む選手を選別する為のマーケットよ」
 そう言って彼女は高らかに笑った。大きな口を広げて笑うと、ますます魔女によく似ている。
 透はコーチの皮を被った魔女に対して強い怒りを覚えたが、ここへ来た本来の目的を思い出し、かろうじて踏み止まった。レベルが低いと思っていたら、調査のターゲットはジムの中にあったのだ。

 「理想のプレイヤーが生まれるってのに、コーチは蚊帳の外か?」
 「彼等には、すでに特別メニューを渡しているわ」
 体育館ほどの大きさのジムは、どの扉の前にも警備員が配置され、受付よりも警備が厳重だ。一般の見学者が容易に見せてもらえる場所ではなさそうだ。
 無意識のうちに透はラケットのグリップをくるくると回し、中に入る手立てを考えた。さすがに今回は麻袋を背負うわけにも行かず、必要最低限のものだけをジャケットのポケットに仕舞い、ラケットはじかに手で持ってきたのである。
 現時点で、選択肢が二つ浮かんだ。
 一つは、あの女性コーチに取り入り、中を見学させてもらう。もう一つは、彼女と警備員の隙を見て、密かに潜入する。
 どちらかと言えば、後者の方が性に合っている。ジムの周りを囲むように生い茂る木々を上手くつたっていけば、上の窓から侵入できそうだ。
 だが、この作戦はバレた時に騒ぎになる可能性が高い。それでも魔女におべんちゃらを言うぐらいならと、透が二つ目の作戦を決行しようとした時だった。
 「ジムの中を覗いてみる? ミスター・マジマ?」
 突如として魔女が微笑みかけてきた。今まで邪魔者扱いしていたくせに、この変わり様はどうした事か。
 初めは魔女の豹変ぶりを不審に思ったが、答えはその視線が示していた。彼女は透のラケットに刻まれた「R.MAJIMA」の文字を見て、他校の指導方針にやたらと文句をつけてくる生意気な少年が真嶋教授の息子だと気付いたのだ。
 龍之介のネームバリューに助けられたのは非常に不愉快だったが、この際、それに便乗するほうが得策だ。
 透が不快感を抑えた曖昧な笑みで頷くと、魔女は満足そうに自らを「バーナイン」と名乗り、ジムの中を案内しながら、いかにBMIのテニス部が優秀であるかを誇らしげに話していった。
 彼女が龍之介を尊敬しているのか。何か別のことを企んでいるのか。真意のほどは分からないが、そんな事はどうでも良かった。出来るだけ情報を集めたら、さっさと出て行くつもりでいた。
 「ここでは、選手のデータ管理も更新も、全てコンピューターで行なっているわ。人力を遠ざけることによって、ミスなく、無駄なく、選手を育成することが出来るのよ」
 自信に満ちた解説に耳を傾ける振りをして、透はジムの内部とAランクの選手を素早く観察し始めた。
 充実したトレーニングマシンに囲まれて、テニスコートが四面並んでいる。そこでは壁一面にスクリーンが張られ、自分のフォームやプレーを確認するだけでなく、試合のシミュレーションまで出来るようになっている。
 しかし、何かがおかしかった。遥希の家でも似たような設備を見て知っているはずだが、ここには妙な違和感がある。
 その理由が判然としないまま、透はAランクの中でも特に注目すべき選手を三人に絞り込んだ。
 「ボビー・ヒルズ、トレバー・ブランソン、ラッセル・ジル」
 外国人の名前は覚えづらくて苦手だが、任務のために無理やり頭の中に叩き込んだ。そしてこの三人に注目することで、違和感の正体も明らかとなった。

 「彼等はああやって、一日中マシンを相手に打ち続けているのか?」
 「そうよ。人間を相手にするとミスが生じるわ。効率よく力を伸ばす為には、この方法が最適よ」
 透が異様に感じた原因は、これだった。ジムの中には十名近くの選手がいながら、全員が機械と向き合って練習をしている。筋力トレーニングを始め、コートで打つ時も、数台のマシンから送られてくるボールをひたすら打ち返しているのである。
 淡々とメニューをこなす選手達には、表情というものがまるでない。機械の音とボールの音だけが響く空間は、ロボットかサイボーグを作る工場のようにも見える。
 「ゲーム練習以外で、人間とプレーをする機会はないのか?」
 「いいえ。ゲーム練習も全てコンピューターで行なうわ」
 バーナインがコート脇のブースに目を向けた。つられて見やると、そこではコンピューターの画面に向かってキーボードを叩き続ける選手の姿があった。あの操作そのものが、彼女のいう「ゲーム練習」らしかった。察するに、戦局に応じて最適な選択肢を入力するといった具合のシミュレーションゲームのようなものだろう。
 「実際、そんなに上手くいくのか?」
 「対戦相手が攻めてくる数々のパターンを想定して、選手の頭にそれに応じた戦術をインプットさせる。体にはそこから導き出された正確な技術を覚えさせる。
 試合中に彼等が悩むこともなければ、不安に捕らわれることもない。ただ頭にある戦術に沿って体を動かすだけよ。失敗する要因がどこにあるの?」
 「そんなやり方じゃ、選手の個性はどうなる?
 例えば、あのボビーって選手。さっきからスライス・サーブの練習ばかりやらされているけど、あれだけの長身なら、フラットを強化させた方が戦力になるだろう?」
 透の指摘が解せないという風に、バーナインが怪訝な顔を向けた。
 「選手の個性? それが何の役に立つと言うの?」
 「アンタ、さっきから、何を言ってるんだ?」
 同じように、透も訝しげな顔を向けた。但し、そこには侮蔑も大いに込められていた。
 「ここにいる彼等の誰かが、私の理想とする選手に育てば良いの」
 「つまり選手の個性を無視して、無理やりアンタの理想の選手像に当てはめるって事か?」
 「私の言う通りにしていれば勝てるのよ。何も困ることはないわ」

 目の前に広がる異様な光景は、もはや部活動でもなければ、スポーツでもなかった。
 機械を相手にボールを返し、肉体を鍛え、シミュレーション通りの戦術を頭に叩き込む。選手をコーチの理想とするプレイヤーの型に流し込む、製造工場だ。
 黙々とマシンを相手に練習する彼等は、データを収集するには好都合であった。滝澤に報告する選手も絞り込めている。このまま大人しく観察して、黙って帰れば任務完了だ。
 それなのに、どうにも口出しせずにはいられない痛々しい姿が、透の視界に飛び込んできた。
 「あのトレバーって選手。筋トレの負荷がかかり過ぎじゃないか?」
 彼は小柄で華奢な体型にもかかわらず、他の選手と同じ重さのバーベルを背負って、トレーニングをさせられていた。これでは故障するのは目に見えている。
 「言ったでしょう。私が作成したメニューに付いてこられないなら、その選手は必要ないのよ。代わりの選手は、いくらでもいるわ」
 「アンタの代わりもな」
 言った後から、「しまった!」と思ったが、もう遅い。一旦、口から飛び出た失言を取り消す術はなく、むしろこの一言を切っ掛けに、魔女への苦言が止まらなくなった。
 「コーチが思い通りの選手を作るんじゃない。選手が思い通りのプレーが出来るように育ててやるのが、コーチの仕事だろ?」
 追い出されるのを覚悟で、透は溜まりに溜まった怒りをぶちまけた。
 「どうやらミスター・マジマの周りには、現実を直視できない素人以下のコーチしかいらっしゃらないようね?」
 丁寧な口調とは裏腹に、バーナインは蔑むような目で透を見ている。
 「確かにうちのコーチはまだ卵だけど、彼女の方がよっぽど指導者に向いている。アンタと同じで気は強いけど」
 反論する頭の中には、モニカの顔があった。
 「そんなレベルの低いコーチの下じゃ、大したプレイヤーは育たないわ」
 「初めて、アンタと意見が合った。それには俺も賛成だ。
 アンタの下じゃ、まともなプレイヤーは育たない」
 宣戦布告とも取れる暴言に、魔女の顔が見る見るうちに赤くなった。呪文でカエルにされそうな勢いだ。
 「結果を見せないと納得してくれないようね、ミスター・マジマ?」
 「へぇ、見せてくれるのか?」
 「うちの選手は、いつでも構わなくてよ」
 透は窮屈なネクタイに手をかけて緩めると、ラケットを担いでコートに入った。
 「こっちも準備オーケーだ。勝負ってのはな、常に想定外の連続だってことを教えてやるよ!」






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