第21話 親切な密偵
偵察目的で潜入したにもかかわらず、話が思わぬ方向へ進んでしまった。まさか調査対象の一人と試合をする事になろうとは。
透は借り物のジャケットを脱ぎ、ネクタイを外すと、コート脇のベンチの背もたれに引っ掛けた。折り皺を避けるための精一杯の配慮である。
エリックから服を借りた時は、こんな展開になるとは予想だにしなかったが、自身の性格と任務の内容を考えれば、これが最善の策かもしれない。相手の実力を知るには、直接打ち合うに限る。
マシンに囲まれた巨大ジムの中は、まだ日の高いうちからナイター用の館内照明が早々と点けられていた。選手達の情報を外部に漏らさぬ為に、全ての窓をシャッターで覆い隠しているからだ。
透は体をほぐしながら、今から対戦するボビーという選手の様子を複雑な思いで眺めていた。
BMIの代表として呼ばれた彼は、緊張からか、落ち着きがなかった。顔色がやけに青白く見えるのも、屋内に長くいるせいでもなければ、照明灯のせいでもないだろう。
コーチから指示を受けるたびに、ボビーの白い頬はますます血色が悪くなり、薄緑の瞳は一言も聞き逃すまいと、小刻みに動いている。気の毒なことに、彼は試合ならではの高揚感よりも、魔女から押し付けられるプレッシャーの方を強く感じているようだ。
「対戦相手は真嶋教授の息子よ。公式戦の出場記録はないから、それほどキャリアがあるとは思えないけど……」
話が個人的な情報に及んだ頃合いを見計らって、透は二人の間に割って入った。
「そこからは、俺が直接教えてやるよ。
トオル・マジマ、十三歳。右利きのサーブ&ボレーヤー。
得意なショットは特になし。大会出場経験もなし。テニス歴は約一年」
プレースタイルをカウンターパンチャーではなくサーブ&ボレーヤーだと伝えたのは、深い考えがあっての事ではない。ジャンに「半端なスピン」と言われて以来、透はカウンターパンチャーを名乗ることも、ドリルスピンショットも封印すると決めていた。
大胆な自己紹介を聞かされたボビーの顔には、プレッシャーに加え、困惑の二文字が漂い始めた。
試合前に自らの情報を暴露するなど、通常ではあり得ない。しかも、その内容は白紙も同然。対戦相手を脅かすにしては、あまりにお粗末だ。
「ご親切に、どうも……。僕のプロフィールも必要かい?」
慎重に探りを入れるボビーに対し、透は素っ気ない返事を返した。
「アンタの情報は分かっているから、もう良いや。俺だけ知っているのはフェアじゃないと思って、伝えただけだし」
「分かっているって、今日会ったばかりの君に何が……」
「何がって、例えばファーストの調子が悪いとか?」
「どうして、それを……」
ボビーの唇が途中まで言いかけて、小さく窄まった。やはり思った通りである。
「残りはコートで話し合おうぜ。のんびりしてたら、こっちまで呪文をかけられそうだ」
透はさっさと話を切り上げると、何か言いたげなコーチの前を素通りして、リターンのポジションについた。
第1ゲームのボビーのサーブは、それを受ける側の透でさえ目を覆いたくなるほど、惨憺たる結果に終わった。
練習では最低でも40%はキープしていたファースト・サーブが、ここへきて一球も入らなくなったのだ。よほど試合前の指摘が応えたようである。
サーブは自分のタイミングでボールを放てる唯一のショットであるが、それ故に、そこには選手の精神状態がよく表れる。
練習中のボビーには迷いが見えていた。そして、試合中の今も。
コーチからスライス・サーブを中心に使えと指示されているものの、彼は長身を活かしたフラット・サーブでの勝負を望んでいるに違いない。もしかしたらファースト・サーブが決まらないのも、その迷いが彼の足を引っ張っているのかもしれない。
迷いがミスを生み、続くセカンド・サーブもキレが悪かった。
加えてもう一つ、先程から繰り返されるラリーの中にも彼を悩ませる要因があった。
ラリーが続けば続くほど、ボビーの表情は曇っていった。声にならない疑問符が、眉間の辺りにありありと浮かんでいる。
透には、彼の気持ちがよく分かる。
―― 何度か攻められるチャンスがあったはずなのに、返ってくるのは平凡な山なりのボールばかり。緩いセカンド・サーブを利用して攻撃することもなく、サーブ&ボレーヤーと名乗ったくせに、ネットへ出ることもなく。
更に、その山なりのボールはしつこく同じ場所に戻ってくる。決して乱れることなく、同じスピードで ――
透は相手コートのセンターマーク付近、つまりベースラインのど真ん中に徹底してボールを返していた。
コーナーを狙おうが、ストレートを狙おうが、きっちり真ん中に戻ってくるボールに、ボビーの眉間の皺がさらに深くなる。このど真ん中の返球をどう解釈して良いか分からず、困惑しているのである。
「こんな返し方をする奴、コンピューターのデータには入力されてなかったか?」
透の挑発めいた問いかけに、ボビーの青白い頬が瞬時に紅潮した。
コンピューターのシミュレーション・プログラムによれば、透は緩いセカンド・サーブを狙って、攻撃を仕掛けてくるはずだった。サーブ&ボレーヤーなら、ほとんどがセカンド・サーブでのリターンダッシュを試みる。
その際、ネットに出てくるボレーヤーには、パッシングで抜くか、ロブを上げて対応する。前へ出ずに後ろからコースを狙われた場合には、こちらからネットへ詰めて、相手がペースに乗らないうちにボレーでの攻撃に切り替える。
だが、この繰り返し行われるセンターマークへの返球は、いずれのケースにも属さない。ボビーが困惑するのも、無理からぬことだった。
どんなに優れたコンピューターでも、今の透の行動パターンを解析する事は難しい。
どこへ打たれても同じ場所へ返して、相手が困惑する様を見て、ほくそ笑む。透は単に相手をおちょくっているだけなのだ。ストリートコートでいつもジャンに遊ばれているパターンを、そのまま用いているのである。
ど真ん中というコースは角度がつけにくい分だけ、相手を揺さぶる事も、際どいコースを狙う事も難しい。相手も攻められない代わりに、自分も攻撃できないラリーは、根気と、持久力と、集中力と、何より精神力が試される。
ど真ん中の返球に動揺し、相手を崩そうと画策すればするほど自滅するのは、この身をもって経験済みである。特にボビーの場合、「ファースト・サーブさえ入れていれば」と悔やむ気持ちが、余計なミスを生み出す結果となっていた。
テニス歴一年の中学生に、BMIのAランク選手が追い込まれる。完璧と教えられたマニュアルは当てにならない。混乱の最中にいるボビーの動きは硬くなり、そのボールは必然的に浅めの返球となった。
この機を待っていましたとばかりに、透はネット前へ進み出た。
ボビーがサイドラインぎりぎりのコースを狙われると想定し、右斜め前に一歩踏み出した。ネットの中央で構える透がベースライン中央に立つボビーをボレーで攻めるとすれば、サイドを狙うはず。またサイド方向の一点をじっと見つめる透の視線からも、そう確信したに違いない。
両者ともの口元に笑みが浮かんだ。
これでど真ん中の返球は避けられる。上手くすれば、サイドを狙ったボレーをストレートで抜いて、得点できるかもしれない。ボビーの微笑の理由はこんなところだろう。
しかし透が口元に浮かべたそれは、相手の算段を踏まえた上でのものだった。
クロスのボレーをストレートで抜き、試合の流れを変えようとするボビーに対し、透が繰り出したのは、前へ駆け込む勢いを利用してスピンをかけたドライブボレーであった。しかも勢いよく飛び出していったボールは、またもセンターマークに跡を残している。
透は浅いボールにつられた振りをしてネット前へ進み出て、わざと視線をクロス方向に残し、実際には最初からセンターへ返すつもりでいた。
ボビーのような上級レベルの選手は、相手の視線を見ながらコースを予測して、次の返球に備える。それを逆手にとって、視線とは違う方向へ打ち分ける「アイ・トリック」と呼ばれるフェイント技でハメたのだ。このセコい小技の出どころもジャンである。
「へへっ! 一度使ってみたかったんだよなぁ。俺、いっつもやられる側だからさ」
透のしたり顔を目にしたボビーは、そこでようやく自身がハメられたと悟ったらしく、声を荒らげ詰め寄った。
「一体、どういうつもりなんだ!?」
「な? コレやられると、悔しいだろ?」
「ふざけるな!」
「別に、ふざけてなんかいない。フェイントだって、立派な戦術だ」
「僕が問題にしているのは、試合中の君の態度だ。どうして、あんな返球を……」
「へえ、同じ場所に返しちゃいけないってルールでもあんの?」
「そ、それは……」
「だったら問題ないよな? それともデータにないプレーをする選手とは、怖くて戦えないとか?」
「馬鹿にするな。データに頼らなくたって、僕は勝てる。君みたいな、ふざけたプレイヤーに負けてたまるか!」
ボビーの怒鳴り声が、ジムの中に響き渡った。
普段はあまり感情を出すこともないのだろう。珍しいものを見るような目付きで他の選手達が練習の手を止めて、彼の方を振り返った。
再び静かになったジムの中で、ボビーの荒い息遣いがはっきりと聞こえてくる。火照り出した顔にはコーチから受けた無意味なプレッシャーは消えている。
「良い感じに熱くなってんじゃねえか? やっぱ試合はこうでなくちゃ、つまんねえからな」
透は自分がスパイ目的で潜入したことを、すっかり忘れていた。
覇気のなかった対戦相手にようやく闘争心が芽生えてきた。それに煽られるように、自分の中の感情も高まっていく。
本来なら試合前に感じるはずの興奮を、遅ればせながら楽しむ事に気を取られていたのである。
「次のゲームは、フラット・サーブで攻めるから」
そう言い放つと同時に、透は宣言通りの球種からゲームを開始した。まだジャンのサーブほどの威力はないが、モニカの指導のおかげで、高校生を相手にサービス・エースを奪えるほどには磨きをかけていた。
四本連続してエースを許したボビーに、透がまたもけしかける。
「アンタのファーストより、速ええだろ?」
「調子に乗るな。次のゲームは必ず奪い返してみせる」
「だったら、お互いフラット・サーブで勝負するか?」
「望むところだ」
目の前で鮮やかなフラット・サーブを見せられ、ボビーの語気がさらに荒くなった。落ち着きのなかった彼の瞳が、じっと透を見据えている。
これでまともな勝負が出来る。ボビーの戦意を認めて確信を抱いたその直後、コート内の空気がガラリと変わった。せっかく温まった空気が急速に冷めていく。
原因は威圧的な態度で二人のプレイヤーを睨み付けるコーチのバーナインにあった。プルプルと震える唇には激しい怒りが見えている。
ベースラインに立ったボビーに、また迷いが出始めた。手のひらの汗を何度も拭いてはラケットを握り直し、思案する様子がうかがえる。
フラット・サーブか、スライス・サーブか。自分の意思か、コーチの指示か。
試合とは別の次元で苦悩を強いられるボビーの姿に、透は強い怒りを覚えた。他校の問題とは言え、もう我慢がならなかった。
「アンタ、誰と勝負してんだ? あのババアとか?」
突然耳に飛び込んできた暴言に、ボビーは目を丸くした。
「君、何てことを!」
「俺はボビー、アンタと勝負をしたくてコートに立っている。アンタも俺と勝負してんじゃねえのかよ? 今は、あんなクソババアの事なんか忘れろよ」
「クソババア?」
その場にいた全員が誰を指しているかを知りながら、本人の顔を確認出来ずにいた。大胆な発言に凍りつく部員に構わず、透は普段通りの口調で説得を続けた。
「アンタ、誰の為に勝とうとしている? あのババアを喜ばせる為か? そんなに怒られるのが怖いのか?」
「違う。でも僕はAランクの選手だから。選ばれたプレイヤーだから」
「だから、何だよ?」
「コーチの理想とするプレーを形にできるのは、限られた選手だけなんだ。僕がそれを実現することで、勝利への道も開けて……」
「本気でそう思ってんのかよ?」
透はジムの壁に埋め込まれたスコアボードに顔を向け、ボビーの視線もそこへ誘導してから、再び彼を正面から捉えた。
最新式のデジタル表示のボードには、オレンジ色の蛍光ランプで双方が勝ち取ったゲーム数が記録されている。ゲームカウント「0−2」。開き始めたゲーム差が、どちらの言い分が正しいかを物語っている。
「スライスを打ち続けても、サーブが決まらなければ、あのババアを怒らせるのは同じだろ? だったら、思い通りにやってみたらどうなんだ?
それとも、自分のテニスで負けるのが怖いのか?」
「自分のテニスって、君は僕の何を知っている?」
「正直、アンタのことはよく知らない。さっきファーストの調子が悪いと言ったのも、サーブの練習中にアンタが冴えない顔をしていたから、カマをかけただけだ。
だけど、自分のテニスのやり方は知っている。自分の勝負したいボールで戦う。それで勝っても、負けても、全部、自分のせいだ。
良いじゃねえか、それで? テニスって、そういう競技だろ?」
「そういう競技?」
「だから、何て言うか……どんな結果も自分のところへ返ってくるから、納得できるし、楽しいって思う。コートに立たない奴から押し付けられたボールを打ったって、納得できねえじゃん」
ボビーと話をしながら、透はいつの間にか胸のうちに芽生えていたテニスに対する想いを自覚した。
今までは、単にライバルに追い付き、追い越すためのテニスであった。理想とする先輩を追いかける為のテニスであった。たぶん、その目的はこれから先も変わらない。
ただ一つ、日本にいた頃と比べて大きく違うのは、コートの中での自由を強く求めるようになった事である。
自分の放つボールが結果を運んでくる。敗北の悔しさも、勝利の喜びも。
それは誰にも、何にも左右されない、自分自身のもので、他のせいには出来ないからこそ、こんなにも自分は強くなりたいと願っている。せめてコートの中だけは自由であるために。
俯いたままのボビーはまだ迷っているように見えた。透の拙い表現では伝わらなかったのか。
「ねえ、ミスター・マジマ? 君は中学生だし、初心者を相手に本気を出すのは大人げないと思ったけど……」
言いながら顔を上げた彼の表情は、今までとは違って見えた。
「次のゲームは僕の得意なファーストで決めるから。覚悟してくれる?」
ボビーは宣言した通り、フラット・サーブで勝負に打って出た。
さすがにプロのコーチのお眼鏡に適った選手とあって、その長身から繰り出されるサーブは、スピードと言い、重量感と言い、申し分ないものだった。もはやセンターマークへ返すことは不可能だ。
自分の意思でプレーし始めたAランクプレイヤーに、下手な小細工は通用しないと判断した透は、積極的に際どいコースを狙っていった。ここからが本当の勝負である。
先ほど逃した熱気がコートに戻ってきた。
第3ゲームは競り合いながらも、ボビーが自身のサービスゲームをキープした。そして透もまた、同じようにして自身のサービスゲームを守り切った。
珍しく透は素直にジャンに礼を言わなければ、と思った。
ジャンがサーブ練習の機会を与えてくれなければ、間違いなく、残りのゲームはボビーに主導権を奪われていた。今回、高校生を相手に奇跡的にサービスゲームを死守できたのは、地道なサーブ練習のおかげである。そしてモニカによって組まれた練習メニューも、この試合で成果を発揮した。
知らず知らずのうちに、透は口うるさい二人によって、BMIのAランクの選手と互角に渡り合えるまでに育てられていたのである。
「ミスター・マジマ? 僕は思い出したよ」
「何を?」
「君の話していたこと。テニスって楽しい」
「俺も、今すっげえ楽しいぜ」
マシンの音ではなく、生身の人間から放たれるボールの音。プレイヤーの動きを見て、反応する肉体。自分の目で見て、自分の頭で考え、自分の意思で走って、打って。
夢中になってボールを追いかける二人には、怒りで顔を強張らせる魔女など眼中になかった。
結局、残りは互いにサービスゲームをキープして引き分け、ゲームカウント「6−4」で、最初に2ゲームを先取していた透が勝利を収めた。序盤の貯金のおかげで、かろうじて逃げ切れた格好だ。
「僕の完敗だ、ミスター・マジマ。でも、すごく気持ちの良い試合だった。ありがとう」
試合前とは打って変わって、ボビーが晴れやかな顔で握手を求めてきた。
「いや、最初からアンタが本気を出していれば、どうなっていたか分からない」
「でも、そこも計算に入れていたんだろう? 最初に2ゲームのリードを確保してから、僕を焚きつけた。違うのかい?」
どうやら、透の作戦は全てお見通しのようである。
「バレたか? ま、テニスは勝たないと、本当に楽しくねえからな!」
「まったく、君って人は……」
屈託のない笑顔につられ、ボビーにも笑みがこぼれた。その時だった。
バーナインがつかつかと歩み寄ってきた。
「君、本当に入学希望者なの?」
試合で流した爽快な汗が、冷や汗に変わった。
勝負に集中するあまり自分の立場をすっかり忘れていたが、透は入学希望者と偽ってここへ潜入したのであった。具体的にどの発言が疑われる原因になったかは記憶にないが、途中から普段通りの、柄の悪い口調に戻っていた自覚はある。
「もしかして、どこかの学校のスパイかしら?」
もう駄目だ、と思った。いくら外見をウィリアム王子に変えたところで、本物のお坊ちゃまは「クソババア」とは言わない。
ところが、思わぬところから救いの手が差し伸べられた。たった今対戦したボビーである。
「コーチ、こんな親切なスパイがいるはずないですよ。彼のおかげで、僕は長いスランプから抜け出せたんです」
「スランプですって?」
バーナインの疑いの目が、透からボビーへと移された。
「僕は貴女の理想のプレイヤーに近付こうと、無理を重ねてきました。けれど、本当は自分のテニスの中にコーチのアドバイスを取り入れなければならなかった。それを気付かせてくれたのが、彼です」
「ボビー、アナタは私の教え子の中でも最も優秀な選手よ。今の発言がどういう意味か、分かっているのかしら?」
「ええ。試合は勝たなくちゃ意味がないですからね。僕は僕のやり方で、必ず結果を出して見せますよ。
ですから、これからは二人でよく話し合って、一緒に理想のスタイルを作っていきませんか?」
険しい表情のコーチと向き合いながらも、ボビーが二回ウィンクをして見せた。一度目は透に、そして二度目は出口に向かって。話を引き延ばしている間に、さっさと出て行けということだ。
あの理想に取りつかれたコーチを説得するのは至難の業だろうが、自分のテニスを思い出した彼なら、必ず成し遂げる事だろう。怒り心頭の魔女をボビーに預け、透はそっとジムを抜け出した。
「待って、ミスター・マジマ! 一つだけ、聞いても良いかな?」
校門へと急ぐ透の後を、ボビーが追いかけてきた。
「君、どこの学校? 出来れば、また対戦したい。今度はこんな形じゃなく、正式に練習試合を組みたいんだけど」
「いや、それは出来ない。俺はテニス部員じゃねえから」
「本当に? それじゃあ、どこのテニスクラブ?」
金持ちの発想では、学校のテニス部以外で力をつけるとしたら、テニスクラブしかないのだろう。
「ジャックストリート・コートっていう超・スパルタ式のクラブだ」
「ジャックストリート・コート? 聞いたことないなぁ」
「そうか? ダウンタウンでは、わりと有名なんだぜ。でも日本へ行ったら、もっと面白い連中と試合ができるかも。
興味があるなら、BMIの留学制度に申し込んでみろよ」
「面白い連中」の顔ぶれは、今朝、思い出の引き出しにしまった懐かしい面々だった。ボビーがこのまま自分のテニスを極めて行けば、あの個性豊かな先輩達と対峙する日が来るかもしれない。
「俺も、そのうち……いや、必ず帰るから」
いつも胸の奥底に秘めている決意。最近は頻繁に顔を出さなくなったが、その存在を確かに感じる時がある。静かに息を潜めて、機会があれば現れる。原動力となる情熱を温め直すために。
じんわりと温かくなった想いを胸に、透は口うるさい二人が待つストリートコートへと足を速めた。