第41話 素行不良の立会人
ジャンの墓参りを済ませた透とビーが、教会の敷地から一歩外へ出た時だ。二人を呼び止める声がした。
「そこのガラの悪そうなお兄さん!」
こういう失礼な呼びかけをする輩には、聞こえなかった事にして通り過ぎるのが一番だ。ところが、次の言葉で前を歩く透が立ち止まり、後ろにいたビーは否応なしに足止めを喰らう格好となった。
「今から結婚式をやるんだけど、立会人を引き受けてくれない?」
透の肩越しに失礼な輩を覗き見ると、同年代と思しき少年が一人と、その隣で一組のカップルが不安げな面持ちで立っていた。
人生の数あるイベントの中でも最も重要視される結婚式で、通りすがりの赤の他人に立会人を頼むとは、正気の沙汰ではない。見たところ、酔っ払いでもなければ、ドラッグなどの中毒患者でもなさそうだ。
よほどの事情があるのかと思いきや、少年はさらに人を食ったような物言いで畳み掛けてきた。
「嫌なら良いんだ。どう考えても、ボランティアとか、親切とは無縁の人生歩んでいそうだし」
「てめえ、俺達に喧嘩売ってンのか?」
ヤンキーは何よりも面子を大事にしなければならない。誰に教えられたわけでもないが、ビーはこれも危険区域で生き抜くための知恵だと思っている。
ところが少年は、ビーの威嚇に怯むことなく、むしろ「待ってました」とばかりに満足げな笑みを隣のカップルに傾けた。
「一応、頼んでみたけど、諦めた方が良いぜ。ほら、こっちのピンク髪のお兄さん、かなり怒っているし。
賭けは俺の勝ちって事で。姉貴も、良いよな?」
会話の内容から、少年の隣にいるのが彼の姉と婚約者で、二人が結婚式を挙げたがっている事と、式に必要な立会人を探している事までは分かったが、何やら胡散臭い匂いがプンプンする。
やはり無視して立ち去るべきだったと後悔していると、律儀にも、透が少年に向かって説教をし始めた。
「俺の連れが怒ってんのは、お前の態度がなっていないからだ。人に頼みごとをするなら、先に自分等の名前を名乗るのが礼儀だろ?」
透とは互いに親友と認める間柄ではあるが、時折、ビーは彼の正義感の強さを持て余すことがある。
育ちが良いのか。不器用なのか。己の信条に反する事が起きると、黙っていられない。たとえ、そこが見知らぬ他人のプライベートな領域であろうと、自分の両手が荷物で塞がれていようと、とりあえず首だけでも突っ込んでしまう。
正直なところ、それが彼の生き方だと言うなら咎めはしないが、最近、ビーは自身も彼のペースに巻き込まれつつあることに危機感を抱いている。
「頼みごとじゃない。ちょっと聞いてみただけ。二人とも目立っていたし」
確かにピンク髪と赤いジャケットのコンビでは何処にいても目立つだろうが、論点からは大きくズレている。嫌な予感がますます色濃くなった。
「ここは俺の恩人が眠っている大切な場所だ。無用な争いはしたくない。
ただ、助けが必要なら手を貸しても良い。どうなんだ?」
「別に……」
ふて腐れてそっぽを向く弟を押しのけるようにして、姉が透の前へ進み出た。
「突然、不躾なお願いをして申し訳ありませんでした。
私はソフィ・グラントと申します。これは弟のジェイク。そして隣にいるのが、婚約者のジェフ・ベルフォードです」
グラントとベルフォード。ビーは、連日、新聞の紙面を賑わす派手な活字を思い出し、軽い眩暈を覚えた。よりによって、あの訳ありオーナーの一族にこんな所で出会うとは。
しかも英語の読み書きが苦手な透は、地元の大衆紙にまで目を通す意欲も習慣もないようで、彼等の苗字を聞かされても警戒する素振りも見られない。面倒事に巻き込まれなければ良いのだが。
「で、なんで俺達に立会人を頼むんだ?」
ビーの心配をよそに、透は早くも首を突っ込む気満々で事情を聞いている。
「ガラが悪そうに見えたから……それだけ」
ジェイクと紹介された少年は、先程から反抗的な態度を取り続けている。そろそろ喧嘩っ早い親友がキレても良い頃だが、場所柄、自重しているのだろう。大人の対応を見せるばかりか、姉にまで事実確認を行なっている。
「アンタ等、普段着だし、何の準備もなさそうに見えんだけど、そんなんで本当に結婚式を挙げる気なのか?」
「ええ」
マズいことに、弟の態度に反して姉は真剣そのもので、婚約者もまた実直を絵に描いたような男である。
「本気か?」
「もちろんです」
「俺等なんかで良いのかよ?」
「お願いします」
「分かった。立会人ってヤツ、やってやるよ」
透が返事をすると同時に、ジェイクが驚いて聞き返した。
「マジかよ!?」
叫び声こそ上げなかったが、ビーも同じ思いであった。
「ああ。でも、その前に少しだけ時間をくれないか? 人質を置いていくからさ」
「人質って、俺様か!?」
「頼んだぜ、ビー!」
案の定、予想通りの展開になってしまった。
「あいつ、立会人の意味、分かってんのか? 断るだろ、普通?」
苛立ちの含まれたジェイクの言葉は、残された人質に向けられたものだが、あえてビーは知らん顔を決め込んだ。経験上、こういう厄介な事情を抱えていそうな連中とは一定の距離を保つことにしている。
「本当は上手いこと言って、逃げたんじゃないのか? どうせ、アンタだって逃げるつもりなんだろ?」
澄んだ切れ長の目を吊り上げ、透が去った後の小道を睨みつけるジェイク。彼からは、昔の自分と同じ匂いがした。
情に飢えているくせに、人の情が信じられない。他人が見せる優しさは、独りよがりの自己満足か、下心があるに決まっている。そう捉えていた方が、後で裏切られた時に傷つかずに済むからだ。
「皆に良い顔して、簡単にイエスと言う奴に限って、逃げるのが上手いんだ。うちの親父みたいにな」
ジェイクが父親の話題を口にした途端、姉のソフィの顔が強張った。
「何を言うの、ジェイク!」
しかし、弟の方は一向に止める気配はない。
「事実だろ? 何度も確かめたのに、『心配ない』って、嘘吐いて。結局、俺達を捨てて逃げちまったじゃないか!」
「お父様は私達を守るために……」
「子供を置き去りにして逃げるのが、守るってことなのか? それも大事な決勝戦の当日に!」
二人の口論を見兼ねた婚約者が、ジェイクをたしなめようと間に入った。
「ジェイク、君のお父様の選択は間違っていない。あの時、決断を下さなければ、多くの従業員が職を失い、最悪の事態を招いていた。
今は混乱を避けるために身を潜めていらっしゃるだけで……」
「うるさい、黙れ! 親父の会社を乗っ取っておいて、今さら善人面するな!」
厄介ごとに巻き込まれないよう、ビーは修羅場を迎えた内輪揉めから背を向けた。
彼等の苗字を聞いた時から、大よその見当はついていた。
世情に疎い透は知る由もないが、「グラント」と言えば、先月買収された老舗デパートのオーナーで、地元では有名な資産家の一人である。そして、それを買収したオーストラリアのカード会社の社長が、確か「ベルフォード」であった。
誠実そうな彼の態度と世間の評価を考え合わせても、道理に外れた買収ではなかったようだが、ジェイクはまだ幼すぎて、大人達の事情が理解出来ずにいる。さしずめベルフォードは、父と姉と財産を一度に奪った仇と言ったところだろう。
「不快な思いをさせてしまって、申し訳ございません。実は……」
婚約者のベルフォードが経緯を説明しようとするのを遮り、ビーはあくまでも部外者の立場を通した。
「勘違いするな。俺様は人質に残されただけで、アンタ等と関わるつもりはねえよ。リーダーの気が済んだらサヨナラだ」
どうせ他人の事情に首を突っ込んだところで、救ってやれる訳ではない。人の痛みも、現実の厳しさも、ある程度知っているからこそ、中途半端な関わり方はしないと決めている。
ただ一つの例外を除いては――。
透が立ち去ってから三十分が経過した。この長さから考えて、ただ一つの例外が起こりそうな予感がする。あるいは、もう起きているのかもしれない。
嫌な予感を抱きながら小道を眺めていると、聞き覚えのある甲高い声が近付いてきた。
「なあんだ、ビーもいたんだ!」
透の家にホームステイしているディナである。彼女はメークアップアーティストを目指しているテクニカル・カレッジの生徒で、以前、ビーが一目惚れして、一瞬で振られた相手でもある。
「なんで、ディナがここへ?」
「聞いたわよ。結婚式の立会人やるんだって?」
気まずく思うのはビーだけで、ディナは瞬殺した相手など眼中にないらしく、いつもの歯に衣を着せぬ口調で話を進めた。
「君が『態度の悪い』ジェイクで、こっちが何の準備もなしに結婚式を挙げたがっている『常識外れ』のお姉さんね?
トオルが教会には連絡を入れたって、言っていたわ。すぐに新婦の控え室へ行きましょう。メークをしてあげる」
状況を把握できずに唖然とする姉を、ディナは強引に教会の中へと連れて行った。
「一体、あいつは何を……?」
唖然としているのは、ジェイクも同じであった。人の情の真偽を論じる以前の、もっと差し迫った問題が目の前で起きている。
そこへ、透が大きな袋を抱えて戻ってきた。同居人のエリックまで従えて。
「悪りぃ、待たせたな! ブレッドのホテルから使えそうな花をもらってきた」
ビーの予感は見事に的中した。他人の事情に関わりたくなくても、巻き込まれてしまう元凶がここにいる。
「何のつもりだ、これは?」
動揺を隠すために強気で睨み付けるジェイクに対し、透は相手を凝視しつつも、無駄に瞬きを重ねている。あれは本気で驚いた顔である。
「何って、知らねえのか? これ、バラって言うんだぜ。
で、こっちの丸っこい花が……アレ? 何だっけ、エリック?」
「『ガーベラ』だけど、たぶん、彼が尋ねているのは別のことだと思うよ」
さすが元凶の親友を長く務めるだけあって、エリックの方が問題の本質を正確に捉えている。
「ああ、そうか! 金のことなら心配するな。知り合いから使い終わった花を分けてもらったから、全部タダなんだ」
エリックのサポートも空しく、透はことごとく質問の意図を読み違えている。ジェイクの苛立ちが加速していくのが、ビーの目にも見て取れた。
「いや、金の話じゃなくて……」
「花屋で揃えたヤツじゃねえけど、めでたそうな色を選んできたから、これで我慢してくれよな。無いよりマシだろ?」
「そうじゃなくて、何でアンタがここまでやるんだよ!?」
「『何で』って、せっかくの姉ちゃんの結婚式だろ?
えと、何だっけ? 花嫁っぽいヤツ……。そうそう、ブーケ! ブーケぐらい持たせてやれよ」
「だから俺が聞きたいのは、花の出所や用途じゃない! 何で通りすがりの人間がここまでやるのか、聞いてんだ!」
パステルカラーの花々に囲まれて、二人の少年の間に奇妙な沈黙が流れた。一人は怒りを露にし、もう一人は怒られた理由が分からず呆けた顔をしている。
「だって……」
先に口を開いたのは透であった。
「だって結婚式だし」
「結婚式だからって、他人のだろ?」
「他人じゃない」
「はあ? どう考えても他人だろ? アンタさ、自分の言っていること、分かっている? それとも、頭、弱いのか?」
「本気でテニスが好きなら、そいつは仲間だ。俺はそう思うことにしている。だから他人じゃねえよ」
「なんで?」と言ったきり、ジェイクは否定も肯定もしなかった。
彼の中では、会ったばかりの他人から仲間扱いされた事よりも、是が非でも解明したい疑問が生じたはずだ。ラケットも所持していないのに、なぜテニスプレイヤーであることを見抜かれたのか。
「右手にリストバンドの日焼けの跡が残っている。それに会った時から、俺の背中のラケットをチラチラ見ていた。始めたばかりの初心者じゃ、このラケットの材質が違うことまでは気付かない」
「だからって、好きな事にはならない」
「テニスを嫌いな奴が、この寒い中、そんなにハッキリ跡が残るまで練習するかよ。ラケットの材質に興味を示すこともないはずだ。
なあ、知りたいか? これ、鉄製なんだぜ」
「鉄なのか? どうりで……あ、いや……俺は別に、テニスなんて興味ないし」
慌てて目を逸らしたところを見ると、図星のようだ。これまで刺々しい感情しか現れなかったジェイクの顔に、初めて少年らしい赤みが差した。
恐らくは買収騒ぎに巻き込まれ、好きなテニス部の活動もやむなく断念したのだろう。姉との会話では、決勝戦の当日に父親が行方をくらましたと話していた。その事が絡んでいるのかもしれない。
「ダーリン、ここにいたのね。付いてくるなって言ったり、すぐに来いって言ったり、もう、わがままなんだから!」
ディナ、エリックに次いで、やって来たのはクリスであった。
「悪いな、クリス。こういう時は、女手が必要だからさ。
ブーケってヤツ、パパッと作ってくれないか? 材料はあるんだけど、野郎だけじゃ、どうしようもなくて」
いきなり呼びつけられて不機嫌だったクリスも、透の「女手」の一言で、すっかり機嫌を直している。
「まあ、結婚式のお手伝いが出来るのね。それで、花嫁はどこ?」
「控え室にいるはずだ。頼んだぜ!」
ぞくぞくと押しかけてくる助っ人達と共に楽しげに準備を進める透。仲間内ではいつもの事だが、初対面の人間には納得し切れないものがある。
「こいつ等、全員、バカなのか?」
ジェイクは透の突飛な行動を理解できず、傍らで静観するビーに説明を求めた。
「なあ、アンタからも言ってやれよ。こんなの馬鹿げているって。
普通、信じないだろ? いきなり結婚式を挙げると言われて、立会人を頼まれてさ。
なんで勝手にブーケまで用意するんだよ? 他人じゃないって、何だよ? 見返りもないのに、なんで……?」
「確かにイカレているが、ここに集まった連中は、この馬鹿さ加減が気に入っているんだ」
「アンタ、最初からこうなる事が分かっていたのか?」
「ああ。それなりに付き合いは長いからな」
「いつも、こんな馬鹿げたことに付き合わされているのか?」
疑問を投げかけるごとに、ジェイクの声は徐々にトーンダウンしていった。彼も目の前で着々と進められる結婚式の準備が下心から来るものではないと気付いている。
「さっき、お前は『簡単にイエスと言う奴に限って、逃げるのが上手い』と言った。俺様もそう思う。けどな……」
ビーは無邪気な笑顔を浮かべる親友を顎で指すと、緩みかけた口元を押さえて言った。
「世の中には簡単にイエスと言って、簡単じゃねえ事をやってのける奴もいる。あいつは……うちのリーダーは、馬鹿げたことをやらかすが、お前が思うようなバカじゃない」
「最初から、姉貴の結婚なんて認める気はなかったんだ」
告白とも取れるジェイクの言葉に、皆の作業する手が止まった。
「ベルフォードは俺達をオーストラリアへ連れて行って、面倒を見るつもりでいるけど、俺はあんな奴の世話になるのは御免だ。
学校を辞めたのだって、これから仕事を見つけて、姉貴と二人で生きていく覚悟を決めたから。だから賭けをしようって言ったんだ。
この森の教会で最初に出会った人間に立会人を頼んで、OKだったら認めてやるけど、断られたら諦めろって。
そうしたら、いかにもガラの悪そうな奴等が来たから、ラッキーって思ったのに……」
ジェイクにとって、透との出会いは必ずしもラッキーではなかったようだ。彼の願いは、この街に残り、姉と二人で暮らすことなのだ。
結婚式の準備だと言って浮かれていた空気が、どんよりと沈みかけた時だった。
「そうか、分かった! ジェイクって言ったよな? お前、姉ちゃんの婚約者にヤキモチ妬いてんだろ?」
ジェイクの心情を慮っての沈黙が、狼狽に変わる。したり顔でいるのは沈黙を破った透だけで、周りはこの的確ながらも無神経な指摘をどうしたものかと、途方に暮れている。
「いい加減なこと言うな! 初対面のお前に何が分かる!?」
「姉ちゃんも、あの人も、さっき俺が確認した時、マジで結婚したがっていた。
それを弟が邪魔するって事は、ヤキモチ以外にあり得ねえだろ?」
「ふざけるな!」
人間、本当のことを言われた時ほど胸に応えるものはなく、時として、その動揺が暴挙と化すこともある。溜まりに溜まったジェイクの苛立ちが拳となり、図星を指した透の顔面へと向かった。
だが、そこはストリートコートのリーダーの方が対処の仕方に慣れている。日焼けの跡が残る手首を素早く掴むと、これ以上ないほど誇らしげな笑顔で啖呵を切った。
「一つ良いか、小僧……」
皆が固唾を呑んで成り行きを見守る中、ビーはこみ上げる笑いを押し殺すのに必死であった。先ほど口元に当てた手が離せない。なぜなら、この後に続く台詞がビーには容易に想像できたからである。
「お前もテニスプレイヤーの端くれなら、利き腕で人を殴るんじゃねえよ!」
あれは透が初めてストリートコートへ乗り込んできた時のことである。確か、あの時も透の的確過ぎる指摘が原因であった。
面子を潰されたビーが最初に仕掛け、それに透が応戦する形で殴り合いを始めようとしたところを、ジャンが今の台詞で一喝して、場を収めたのだ。以来、二人とも利き腕で人を殴ったことはない。それと同時に、ジャンの台詞に惚れ込んだ透は、いつか自分も喧嘩の仲裁に入り、同じように格好良く決めてやる、と宣言していた。
その「いつか」が、今なのだ。
思い通りに決め台詞を披露して、「さあ、感動しろ」と言わんばかりに相手の顔を覗き込む透と、なぜ同年代の少年から「小僧」呼ばわりされるのか分からず、首を傾げるジェイクの姿を目の当たりにし、ビーは前言撤回しなければと深く反省した。
「うちのリーダーは馬鹿げた事をやらかすが、見た目以上に中身はバカだ」と伝えるべきだった。
いくら感動的な決め台詞でも、時と場合によるのだ。辺りを見回し、自分以外の「小僧」を探し始めたジェイクに、今さら先代リーダーのパクリでしたと説明するつもりなのか。
しかし、その後悔も長くは続かなかった。場違いな決め台詞に次いで聞こえてきたのは、現リーダーのオリジナルだったからである。
「自分を大事に出来ねえ奴に、大切な人は守れない。姉ちゃんはあの人に任せて、お前はまず自分を大事にしろよ。
本当は好きなんだろ、テニス?」
透の問いかけに、頑なだったジェイクの心が少しだけ開いたかに見えた。
「でも、もう止めたから……」
「学校を辞めてもテニスは出来る。居場所がないなら、俺達と一緒に来ねえか?
お前がいたテニス部ほど設備は揃っちゃいねえが、まあまあ練習できる環境だ」
「俺が何処にいたのか、知っているのか?」
「ウェスト・パターソンズだろ?」
「どうして、それを?」
素直に疑問を口にするジェイクに、最初の頃の反抗的な態度は見られない。
「俺はイースト・パターソンズのテニス部にいた事があったから。イースト以外で、日焼けの跡が付くぐらい練習する学校と言えば、この辺じゃ、ライバル校のウェスト・パターソンズしかない」
「イーストのテニス部だったのか? だったら、なんでこんな……」
「俺のことは良い。ジェイク、一緒にやらないか?」
ジェイクが、透の派手なジャケットとビーのピンク髪とを交互に見やってから、重苦しい溜め息と共に俯いた。
「やらない。もう止めた、と言っただろ」
「まあ、無理にとは言わねえけどさ……」
拒絶の理由を知っていながら、透は落ち込む様子もなく、むしろ自信たっぷりにジェイクの反応をうかがっている。
「ウェスト出身だったら、『ジャン・ブレイザー』を知っているだろう?
俺達がいるコートには大した設備はないが、一つだけ。ジャンの魂が宿っている」
「『ジャン・ブレイザー』の行方を知っているのか? 彼は、今、どこにいる? 会えるのか?」
その名を聞いたと同時に、ジェイクの瞳が輝いた。
ウェスト・パターソンズが生んだ伝説のプレイヤー ―― 同校出身のジャンは、テニス部員にとって神様のような存在だと聞いたことがある。
何の後ろ盾も持たず、実力だけでプロまで伸し上がった彼が、その才能を開花させ、最も輝かしい功績を残した場所が、ウェスト・パターソンズのテニス部だ。現役を退いても、尚、彼に憧れて入部する生徒が後を絶たないという。
たぶん、ジェイクもその一人だろう。ウェストの学生でジャンの名を知らぬ者はいない。だが同様にして、彼の行方を知る人間もいなかった。
己の正義を貫いた結果、プロ入り直後に表舞台から去らざるを得なくなった『非運の覇者』が、最終的にどこへ流れ着いたのか。そして、今、どうしているのか。
「頼む、教えてくれ。彼と会うには、どこへ行けば良い?
もしかして、お前達のコートに来ることがあるのか? どこのコートだ?」
矢継ぎ早の質問が全て出尽くした後で、透はかなりわざとらしく頭を抱えて見せた。
「ああ、悪りい! 今のは、忘れてくれ」
「何!?」
「ジャンの直筆のサインとか、実際に使っていたラケットなんかもあるんだけどさ。テニスを止めた奴には、関係ねえよな?
あっ、結婚式始まるぞ! 悪かったな、くだらねえ話して」
透にしては手の込んだ仕掛けをしたものだと、ビーは思った。
それだけジェイクを気に入ったという事か。あるいは、テニス部を追い出された頃の自分と重ねているのか。
教会へと向かう後姿を物欲しげに見つめるジェイクは、まるでお預けを喰らった犬のようである。
「どういうつもりだ? 散々、期待させておいて、あいつ……」
独り言ではないと分かっていたが、あえてビーは答えなかった。
「何なんだよ、まったく! どうせ、全部、嘘に決まっている。
『ジャン・ブレイザー』の話も、あいつがイーストにいた事も、何もかも……」
開け放された扉から、教会の中の様子がうかがえた。強引に連れ去られた花嫁は、一目で主役と分かるほど美しく、あり合わせの花で作ったブーケを幸せそうに眺めている。バージン・ロードの両脇を彩る不揃いな飾り付けと、祭壇を荷物置き場にして牧師から叱られる透の姿も見えた。
「あいつ、一体、何なんだ?」
ジェイクの問いかけに、ビーは不本意ながら答えてやった。
「トオル・マジマ。ジャックストリート・コートのリーダーだ」
「マジマって、もしかして、あの真嶋教授の息子か? じゃあ、イーストのテニス部に在籍していたのも本当なのか?
そんな奴が、どうしてストリートコートにいるんだ? あそこじゃ、練習だってまともに出来やしないだろ?」
「断っておくが、俺様はトオルほどお人好しじゃない。あとは、てめえで確かめろ」
人質の役目を終えたビーは俄かに騒がしくなった教会を離れ、ストリートコートで独り寂しく留守番をしているであろうレイのもとへと急いだ。
「やれやれ、五人目のメンバーはヘソ曲がりのお坊ちゃまか……」
いかにも面倒臭そうな溜め息とは裏腹に、その足取りは軽いものだった。