第50話 別離の前に

 サンフランシスコからカーメルへと向かう途中の海辺の道路は、岩場の多い入り組んだ海岸線に沿って造られたこともあり、車がカーブに差し掛かるたびに姿を変える。
 とりわけ動物保護区や州立公園を抱えるモントレー半島に拓かれたそれは17マイル・ドライブと呼ばれ、同じ海岸線にあるとは思えないほど変化に富んでいる。
 深く静かな海洋が正面に広がったかと思えば、次のカーブでは断崖に荒々しくぶつかる波しぶき。そこを曲がると、海鳥やアザラシが戯れるほのぼのとした海辺の風景が車窓を流れ、またその次には三方を海に囲まれた緑鮮やかなゴルフ場が現れる、といった具合である。
 自然豊かな半島の外周を30km足らずで一回りできるドライブウェイは、その手軽さと景観の美しさから観光客にも人気が高い。だが残念なことに、透にはこれらの景色を楽しむ余裕がなかった。
 昨日、ジェイクから言われた一言が頭から離れない。
 「裏切り者……」

 「何だか、元気がないわね」
 愛車のベンツを運転中のシェリーが、声だけで助手席にいる透に話しかけた。
 今朝方ベンツで迎えに来られた時にはよほどの車好きかと思ったが、どうやら彼女は車体の頑丈さと仕事のモチベーションに繋がるとの理由から高級車の購入を決意したようで、運転自体は得意ではないらしい。その証拠に、先程からフロントガラスを仇のように睨みつけ、ハンドル操作もぎこちない。
 曲がりくねった海岸線を異様な大回りで迷走する真紅のベンツに改めて恐怖を覚えなくもなかったが、透はあえてその事には触れずに、短く謝罪を言うに止めた。
 「ああ、悪い。ちょっと考え事をしていて……」
 「どうせトオルの頭を悩ませる問題と言えば、テニスでしょうけど。その顔は、ストリートコートでトラブルでもあった?」
 「うん。俺の後釜になる奴のことで、ちょっと……」
 「もう、このルートならトオルも喜んでくれると思ったのに」
 普段は大人の態度で接するシェリーが、珍しく拗ねた顔を見せた。
 帰国を間近に控えた透のために一つでも多くの思い出を残そうと、乗り慣れぬ車を出したにもかかわらず、当の本人は道中ずっと小難しい顔で押し黙っているのだから無理もない。
 「ごめん……今は忘れる。シェリーとの最後の仕事だからな」
 海から吹き上げられた潮風を吸い込むと、透は一息で吐き出した。

 帰国を前に、少し感傷的なっているのかもしれない。ここ数日、透は自分が思いのほか深く異国の地に根を下ろしていたと気づき、複雑な思いを抱いていた。
 アメリカに住み始めた頃は、この国が嫌で仕方がなかった。『自由の国』とは名ばかりで、実際には白人か権力のある者にしか自由は与えられず、力のない者は己の正義を語ることさえ許されない。
 この理不尽な現実を、透は着いた早々、中学校のテニス部のコーチから突き付けられた。
 謂れのない差別を受けても、逃げ出すことしか出来ない自分が惨めであった。差別のない平和な日本へ早く帰りたいと、毎日のように願っていた。
 ところが長く暮らしていくうちに、多くの人達との出会いを通して考えが変わった。
 今まで標的とされなかっただけで、差別はどこにでも存在する。アメリカでも、日本でも、世界中の至る所に転がっている。
 日本で何の苦労もなく振りかざしてきた正義が、実は、柄のない刃と同じく、不完全なものだと思い知らされた。自身の大事なものを守るためには、本物の強さを身につけなければならなかった。
 力だけでは凶器となり、信念だけでは虚しい理想論で終わる。両方を手に入れてこその強さだと、未熟な透に教えてくれたのも、またアメリカだった。
 帰国するにあたり、普段はさして有難みもなかった日常に別れを告げる段になって、自分がいかに恵まれた環境にいたかを痛感した。
 言葉も文化も違う異国の地で出会った掛け替えのない仲間達。夢に向かって邁進する透を温かく見守り、応援してくれた。シェリーもその一人である。
 今回の仕事は、透の夢がようやく叶うと聞いて、彼女が資金の足しにと持ってきてくれたものだった。
 夏に販売されるボディローションのプロモーションで、ポスターに使用する写真を撮影する為のロケである。シーズン前に水着姿になるモデルと違って、裏方の仕事に大差はないが、ロケでは高額の報酬がもらえる。
 「夢を追いかける同志として、トオルには頑張って欲しいから」
 そう言ってくれる彼女だからこそ、透も与えられた仕事を全うしなければならない。それが彼女への礼儀であり、二人の関係に相応しい別れであった。
 「今回のカメラマンは典型的な芸術家肌だから、色々と無理難題を言われると思うけど、気にしないでね」
 シェリーが事前にアドバイスをくれた。
 春先のまだ肌寒い時期に水着の撮影をすること自体、透には無理難題に思えるが、それに輪をかけて無茶を言うカメラマンが今回の撮影隊の指揮官らしい。
 「大丈夫。俺はいつも通り、精一杯やるだけだ」
 「ありがとう。やっぱり、貴方にお願いして正解だったわ」
 助手席からは横顔しか見えないが、シェリーが今の答えに安堵して、プロのモデルの顔つきに戻ったのが分かった。
 報酬をもらう限りは、いかなる理由があろうとも最高の出来を追い求める。彼女の流儀にならって、透も最後のロケに意識を集中させた。

 「着いたわよ」
 長時間の運転を終えたシェリーは、目的のホテルに到着すると同時にチェックインを済ませ、さっさと自分の部屋へ入っていった。
 一緒に仕事をして半年も経てば、いちいち言われなくともパートナーの考えは理解できる。プロ意識の高い彼女は、明日の撮影に備えて部屋で体を休めるつもりだろう。
 ゆっくりと休息を取って欲しいとの配慮から、透は独りで街中を散策することにした。
 今回のロケの拠点となるカーメルは、まるで絵本の中から飛び出してきたようなメルヘンチックな街だった。
 通りはどこも色とりどりの花と緑に溢れ、芸術の街と言われるだけあって、無機質なものが一つもない。街の景観を損なうとの理由で看板すら規制されているのだから、初めて訪れた観光客は、現実へ引き戻されることなく童話の世界に入り込むことが出来るだろう。
 近代化に成功し、更なる発展を遂げようとする国の中に、こうした伝統的な美を頑なに固持する街が混在している。異なるもの同士、引き合う力が対等であれば、共存することを認められる。これもアメリカという国の魅力の一つである。
 どこか懐かしい感じがする街並みは、コンクリート漬けのリーダーの心を難なく解放した。それと同時に、忘れようとした台詞が甦る。
 「裏切り者……」

 歳の変わらぬリーダーに対し、ジェイクはなかなか心を開いてくれなかった。
 プライドの高い彼のことだから、敵対心こそあれ、友情や信頼を育む気はないのだろう。それ故、透がストリートコートを去ると告げれば、彼は晴れやかな笑顔でこう言う、と思っていた。目の上のたんこぶがいなくなって、清々すると。
 正直なところ、少しぐらい別れを惜しんで欲しいと期待もしたが、実際はそれ以上の反応が返ってきた。まさか彼の口からあんな台詞が飛び出すとは、思いも寄らなかった。
 「裏切り者。お前がいるから仲間になったのに」
 唇を噛み締め、目の淵を赤くしながらも透を睨みつけるジェイクは、渡米を知らされた時の遥希とよく似ていた。
 お前と一緒に全国へいくつもりだったのに ―― そう言って、遥希は友に裏切られた悲しみを正面からぶつけてきた。
 ジェイクから期待した以上の台詞を聞かされ、嬉しさより後悔を強く感じたのも、あの時の遥希と重なったからかもしれない。
 他のメンバーがリーダーの念願成就に盛り上がりを見せる中、ジェイクだけは表情を硬くしたままだった。
 「お前が抜けるなら、俺がここにいる意味はない」
 こんな捨て台詞を残して、ジェイクは透が帰国の意思を伝えた直後にストリートコートを去っていった。
 本当は彼に次のリーダーを任せるつもりでいた。
 現在、幹部役を務めるビーとレイは、ジャンの遺言を守って、透を“あるべき場所”へ帰すために残っているようなものである。そうなると、実力からしてジェイクが引き継ぐのが最も自然で安心できる体制だと考えていた。
 だがそれは透の勝手な思い込みで、本人はまだリーダーの卒業すら認めようとしてくれない。
 トップに立つ者としての重責もあるだろう。かつての自分と同じように。
 透は、あえてジェイクがコートを去るのを止めなかった。三年前の失敗を二度と繰り返してはならないと思ったからである。

 三年前。遥希に転校すると告げた時、二人とも幼すぎて、互いに傷つけることしか出来なかった。それぞれが相手を大切に思っていたにもかかわらず、その気持ちを伝える術を知らなかった。
 二人で感情をぶつけ合い、どちらかが耐えられなくなって場を離れるまで、なじり合いは続いた。結局、その愚かな行為から得られたのは虚しさだけで、解決とは程遠いところで呆然とライバルの涙を見送った記憶がある。
 あれから三年。不本意ながら放り込まれたアメリカで、本来なら接点のなかったストリートコートの仲間達との触れ合いを通し、透は自分とは異なる相手と向き合い、認めることを学んだ。
 百パーセント理解出来なくても良いから、相手を知ろうとする。百パーセント理解されなくても良いから、自分を知ってもらう努力をする。
 この世の中に一人として同じ人間はいない。だからこそ、理解の姿勢が大切なのだ。
 今回のロケが終わったら、ジェイクときちんと話し合おう。大切な仲間だと思うから。大切な仲間達を、彼なら託せると思うから。
 固い決意を胸にしまうと、透も体を休める為にホテルへ戻った。


 翌朝、すっきりと晴れ渡った青空の下、人気のない海岸でロケは行われた。
 ポスターの撮影とは、こんなに時間のかかるものなのか。たった一枚の写真を写すだけのことなのに、スタッフ一同、早朝からずっとスタンバイさせられたまま半日が過ぎようとしている。
 透たち裏方は作業重視の服装でいられるのでマシだが、モデルのシェリーは水着の上にガウン一枚の薄着で待機させられている。
 諦めムードの漂うスタッフの態度から、待たされている理由は察しがついた。例のカメラマンである。
 恐らく人の手ではどうにもならない、例えば“気分が乗らない”とか、“何となくイメージと違う”等の、凡人には理解不能な要因が絡んでいるに違いない。
 「シェリー? 良かったら、これを使ってくれ」
 透が薄着のシェリーを見兼ねて、着ているジャケットを差し出した。あくまでも防寒目的で渡した物だが、そのジャケットに彼女よりも先に手をつけた人物がいた。撮影時間を無意味に引き延ばしている張本人だ。
 「良いね。それ、見せて」
 カメラマンは必要最小限の断りを入れてからジャケットを奪い取ると、革の表面の光沢を確かめるように、手で撫でたり、光に当てたりしている。
 「なあ、シェリー? あのおっさん、芸術家肌って言うよりも、イカレてんじゃねえの?」
 朝からの行動を観察した上での、透の結論だ。
 初めは典型的な芸術家肌だと言うから、もっと奇抜な格好をしているかと思っていた。原色使いの派手なファッションに髭でも生やしてオーバーアクションを取りまくるというのが、透の想像した「芸術家肌のカメラマン」だ。
 ところが実際に現れたのは、どう見ても“ただのおっさん”で、カメラの側にいなければ裏方と間違えてしまうぐらい冴えない風体のオヤジであった。
 しかし、その平々凡々な外見とは対照的に、彼の行動は奇妙の一言に尽きる。
 まず、彼は喋らない。率先して現場を指揮する立場にありながら、ほとんど話をしない。話すとしても、面倒臭そうにボソボソと小声で呟くだけで、会話に使うエネルギーを極力節約しているようにも見える。
 よって半日近く待機させられているというのに、誰もその理由を知る者はなく、現場にはただ「カメラマン待ち」の指示が流れるだけだった。
 しかも当の本人はぼんやりと空を見ているか、カメラをいじるかのどちらかで、その行動が透には病的としか映らなかったのだ。
 しかしながら、この結論はあながち的外れでもなかった。

 「そこの二人、脱いで」
 「は……?」
 聞き違いでなければ、カメラマンは「二人」と言った。彼の指先もシェリーと透の二人を指している。
 すでに水着姿のシェリーに加え、裏方である透にも「脱げ」とは、どういう事なのか。
 これには本人はもちろん、周りにいたスタッフ達も驚きの声を上げた。中でもシェリーの事務所のマネージャーは、我慢の限界とばかりにカメラマンに食ってかかった。
 「いい加減にしてくれ! うちのシェリーをそこらの低俗モデルと一緒にするな!」
 今回のロケは大手化粧品会社の依頼により、事前に契約書を交わした上での撮影で、当然、水着を超えた高い露出は含まれていない。事務所側から訴えられても仕方のない非常識な発言を、このカメラマンは口にしているのだ。
 ところが彼はマネージャーの抗議など何処吹く風で、淡々と段取りを説明し始めた。
 「今日のサンセットは命の色になるから。それを彼女にかける……。このジャケットに反射させて……」
 相変わらずボソボソとした話し方だが、透には彼が思いつきや気まぐれで指示を出しているようには思えなかった。特に「命の色」と言った時の表情は、何処かで見覚えがある。
 「おっさんは、夕日の中のシェリーと俺を撮ろうとしているのか?」
 無意識のうちに、透はカメラマンを擁護する立場に回っていた。
 「そう」
 「二人とも脱いだ方が良いのか?」
 「モデルの背中を写したい……。それにはモデルを抱える役で、ジャケットを着た人間が一人必要。君がそのジャケット、一番似合っている」
 話し方も行動も妙だが、彼はいたって正気らしい。「脱いで」の指示も、透を裏方だと知った上でのリクエストのようだ。
 「具体的に、どうすれば良い?」
 「君は中の白いシャツを脱いで。モデルの素肌より白い物は、絶対に身に着けないで。
 夕日を受けたジャケットの赤と、サンセットの赤に挟まれた、彼女の背中を撮る」
 つまり彼が求めているのは、赤いジャケットを羽織った透と、上半身裸のシェリーが夕日の中で抱き合うシーンだ。それを彼女の背後から撮ろうというのである。
 夕日に照らされたジャケットに包まれることで、彼女の素肌がより美しく浮かび上がる。まさにボディローションのコマーシャルに打ってつけのカットとなるはずだ。

 透とシェリーは互いに見合った。
 透は、契約外の露出を強要された彼女を気遣って。シェリーは、アルバイトで連れて来た少年にモデルまがいの大役をさせる罪悪感から。
 しかし二人の頭の中には、ある共通の想いがあった。これが最後の仕事になる。
 「シェリー、命の色ってのを見せてくれるらしいぜ?」
 「この仕事、貴方にもモデル料を払うようマネージャーに交渉してみるわ」
 「だったら、なおさら気合い入れなきゃな」
 「最後の仕事に相応しいわね」
 二人の意思が決定したところでスタッフ達が動き出し、初めは渋っていたモデル事務所のマネージャーも、背中からの撮影という条件で了解した。
 透も指示通りに白いシャツを脱いで、代わりにスタイリストから渡された妙にツヤツヤした黒のインナーを身につけた。最近流行りのメタリック素材のシャツだと説明されたが、年齢にそぐわぬ大人のコーディネートに遅ればせながら気恥ずかしさを覚えた。
 それでも覚悟を決めてカメラの前に立ったのは、カメラマンの一言が支えとなったからである。
 「君がそのジャケット、一番似合っている」
 ジャンからジャケットを引き継いだ直後は大き過ぎて、「着ぐるみ」だと笑われたこともある。それがファッション業界で働くプロから「一番似合う」との評価を受けたのだ。
 確かに、日頃のトレーニングの成果もあって、前よりもずっと革が体に馴染んでいる。カメラマンの一言は『伝説のプレイヤー』に近付いたと言われたようで、この時、透は少しばかり舞い上がっていた。

 カメラマンの話では、シャッターチャンスは夕日が沈む直前のほんの数秒間。それも今日のような晴天無風の好条件でなければ駄目だという。
 スタッフ全員の視線がカメラマンに集中した。先程まで現場を覆っていた気だるい空気は消え失せ、皆が「命の色」をカメラに収める為に、自分の持ち場でスタンバイに入っている。
 日が傾くに従って、徐々に緊張感が高まっていく。一瞬の光を捉えるには、小さなミスも許されない。
 昼間は灼熱のエネルギーを容赦なくぶつけていた太陽が、水平線に向って帰り支度を始めた。
 落ちて尚、ゆらゆらと燃え盛る己の魂を持て余しているのか。それとも闇夜を迎える弱き者たちへの置き土産のつもりだろうか。茜色にほとばしる炎の片鱗が、沖合から波打ち際に向かって駆け抜けてきた。
 段取りを説明する際に、カメラマンが「サンセットをかける」という言い方をしていた。夕日が落とした光が辺り一面を朱色に塗り替える様は、まさしくその言葉通りであった。
 ファインダーを覗く指揮官の仕草を見て取って、アシスタントが全員に合図を送る。
 光のヴェールを身にまとい、シェリーが歩き出す。血の色にも似たヴェールは、透のジャケットを同じ色に染め上げながらも、彼女の白い素肌を汚すことはしない。最も効果的なライティングで、本来の肌の白さを浮かび上がらせている。
 革のジャケットには反射するが、人間の肌には透けてかかる茜色。光を知り尽くしたカメラマンは、赤い革のジャケットを見た時から、ずっとこの色を思い描いていたのだ。
 「シェリー、安心しろ。ちゃんと支えるから」
 透は両腕を広げて、シェリーを待った。それに応えるように頷くと、彼女が躊躇いもなくガウンを脱ぎ捨て駆け寄った。命の色を捉える一瞬のために――。

 「トオル……?」
 茜色に染められたのは、シェリーの背中だけではなかった。
 約束通りに彼女の体を抱えるには抱えたが、それと同時に、透の顔面もサンセットをかけられた状態になっていた。見ようによっては本物の命の色と言うべきか。
 人間の体内を巡り、時に激しく肉体を突き動かす血潮と言われる熱きもの。世間では、それを鼻血と呼ぶが。
 成熟したシェリーの裸体は人生経験の乏しい少年には刺激が強すぎたのだ。メーク担当が大急ぎでティッシュを持って来てくれたが、すでに遅かった。
 透自身もすぐさま鼻を押さえたものの、熱き血潮は止まることを知らず、顔面からジャケットに至るまで、その分身が滴り落ちている。
 「わ、悪りぃ……」
 これしか言いようがなかった。最高の仕事をするつもりだったのに、よりによって最低の失態を、最悪のタイミングで演じてしまった。
 カメラマンから「脱いで」と言われた時よりも唖然するスタッフと、透の心中を察してそそくさと顔を背けるシェリーと、その彼女に急いでガウンを着せようとしたところが、メーク担当と一緒に血みどろになったスタイリストと。
 こんな騒ぎの中、頭を抱えるマネージャーの傍らで、カメラマンだけがファインダー越しに笑みを浮かべていた。
 「君、やっぱり赤が似合うね……」

 人間、己の成長を実感した時ほど、落とし穴が待っているものである。
 この三年間で、確かに透は成長した。だが『伝説のプレイヤー』に近付くためには、まだまだ修行が足りないようだ。
 赤く染まったティッシュを握り締め、透は底知れぬ敗北感を味わった。ひょっとしたら、これは「精進を怠るな」という、ジャンからの最後の説教かもしれない。
 暗くなった夜空には、星が輝き出している。
 無論、沈んだ太陽から再び置き土産が届けられることはなく、多くのことを学んだアメリカでの最後のアルバイトは、透の胸に「羞恥」の二文字を残して終了した。






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