第29話 二つの動

 強豪・藤ノ森学院を相手に迎えた三回戦。
 過去の実績から考えて決して楽観視できる状況ではないものの、大会前のミーティングで一番の懸念材料とされていた両校の情報量の格差はいくらか軽減された。
 少なくとも三分の一は解消されたと言っても良いだろう。
 何故なら団体戦の三戦あるうちのひとつ、初戦のダブルスには今朝ペアを組んだばかりの急造コンビが出場するのである。
 兄のリードがなければ幼稚園児並みに扱いづらい伊東陽一朗と、今大会では戦力外通告を受けて出場予定のなかった真嶋透。
 当人たちの困惑は別として、いまだ彼等のダブルスにおける戦力は未知数ゆえに、情報面での格差はほとんどない。
 言い換えれば、このフラットな条件下で敗れた場合、光陵学園のインターハイ出場の夢は絶望的となる。
 チームの命運のかかった大事な一戦とあって、すでにコート周辺には試合の始まる前から多くの関係者が詰めかけている。
 しかしながら観客の中でも最も出場選手と近しい立場の遥希は、身内の特権を利用して応援席の最前列を確保したにもかかわらず、正面のテニスコートから目を背け、ひとり恥辱に耐えていた。

 「なあ、アンタ等の部長ってさ。ほら、黒縁眼鏡の新田って奴。部員の前で眼鏡外すことあんの?
 あの手のオヤジ顔ってさ、眼鏡を外すと、案外、つぶらな瞳だったりするんじゃね?」
 もうすぐ試合が始まろうというのに、さして急務とも思えぬ質問をぶつけて対戦相手を絶句させているのは、チームメイトの透である。
 「この間、会った時は髭のほうが気になってさ。
 あの人、かなり濃いほうじゃん? 剃り残しも結構あったし」
 しかも止めに入るべき立場の陽一朗も、このくだらない会話に嬉々として参加しているのである。
 「分かる、分かる! 髭の濃い奴ってさ、顎の裏にチビっこいのが残ってんだよね。
 もしかして部長さん、裏髭ピピッと抜いたり出来る?」
 今までもチームメイトの愚行に困惑させられたことは多々あるが、今日ほど光陵テニス部員である我が身を恥じたことはない。
 試合前に対戦相手を挑発するならまだしも、相手チームの部長の、それもオヤジ顔を話題にするとは、一体、どういう了見か。
 「部長、あの二人にダブルス任せて本当に大丈夫なんッスか? 連敗続きで自棄になっているなんてことないですよね?」
 遥希は思わずとなりで同じ光景を見ているであろう唐沢に意見を求めた。但し、そこには部長である彼に対する非難も多分に含まれている。
 いくら自由な校風とは言え、あの二人に関しては手綱を締めるべきではなかったか。
 遥希の言わんとすることは故意に送った視線の冷たさで察しているのだろうが、唐沢はそれに対して弁明するでもなく、大目に見ろと諭すでもなく、ただ口の端に苦笑いを浮かべて済ませている。
 味方にさえ心を開かぬ部長に苛立ちを覚えながらも、遥希は納得のいく答えが欲しくて質問を重ねた。
 「太一先輩の遅刻は想定外でも、あいつを指名したのは部長の意思ですよね? 多少なりとも勝算があるから、あの二人を組ませたんじゃないですか?」
 「さあな。だけど、良いとこ突いている。
 うちのコーチもよく抜いているよな? 裏髭」
 「部長! 俺、真面目に聞いてんですけど?」
 「ああ、悪い。悪い。
 お前にしては、随分、遠回しに聞くからさ。てっきり冗談かと思って」
 気の抜けた答えを返され、間延びしていたはずの空気が瞬く間に張り詰める。しかもそれは遥希ひとりが感じるもので、唐沢は何事もなかったかのように平然としている。
 だからこの人は苦手なんだ、と遥希は思った。
 いい加減に見えて隙がない。そのくせ、正攻法で攻めれば、はぐらかされる。
 誰に対しても誠実に向き合う前部長の成田とは正反対のタイプである。
 中学一年生の頃からずっと成田を尊敬し、目標にしてきた遥希にとって、唐沢の部長就任は受け入れがたい事実であった。
 そもそも校内試合を「レース」と称し、賭け事の情報収集に便利だからと副部長を引き受けたような男が、何ゆえコーチや成田から絶大な信頼を得ているのか。
 昔はギャンブルのカモにされていた透でさえ、今や心酔している有様だ。
 そこがまた腹立たしくもあり、怪しくもある。
 どんな手を使って皆を丸め込んだかは知らないが、自分だけは騙されない。いくらテニスプレイヤーとして見習うべき点があったとしても、部活動以外での繋がりは極力持ちたくないと思っているし、実際、「俺に構うなオーラ」を発して距離も取ってきた。
 それなのに、この人を見透かしたような態度は何なのか。
 口ごもる遥希の一瞬の表情を捉えた唐沢が、物珍しげに覗き込む。
 「どうした、ハルキ? 聞きたいことがあるなら、今がチャンスだぞ?
 例えば、そうだな……。
 『どうして俺じゃなくて、“あいつ”が太一の代わりに選ばれたんですか?』とか。
 いや、お前の疑問はもっと前からか。
 なぜ成田の代わりとして目をつけられたのが、“あいつ”なのか。今はともかく、四月の時点ではそんなに差はなかったはずなのに……とまあ、こんなところか?」
 「観念しろ」とばかりに余裕の笑みを見せる唐沢を、遥希は睨めつけた。
 確かに、彼のいう通りである。
 四月のミーティングで唐沢がダブルスのパートナーに透を指名した時、遥希の頭の中を占めたのは悔しさよりも疑問であった。
 あの時点では、透も自分と同様、ダブルスを苦手としていた。帰国直後の対戦で勝利したのは透だが、試合における経験値も実績も遥希のほうが上だった。
 もしも唐沢が成田の代わりとなる選手を育てるつもりでダブルスを組むのなら、なぜ自分は候補から外されたのか。
 たった一度の敗北が原因なのか。あるいは、透の従順な性格がダブルス向きと判断されたのか。
 透にはあって、自分には欠けているものが何なのか。ずっと心の片隅に引っ掛かっていた。
 欠点を指摘されるのが怖くて今まで有耶無耶にしていたが、ここで明確にしておかなければ、ますますライバルとの差が開いてしまう。
 「部長、その……」
 たとえ相手が部長であっても、他人に心の内を明かすのは苦痛であった。だが更なる向上のためには、大人しく従うほかに手立てはない。
 「俺とあいつの差が何なのか、教えてください」
 「別に、大した差はない」
 「えっ?」
 「本当はどっちでも良かった」
 意を決して打ち明けたというのに、唐沢からの返事は素っ気ないものだった。
 「どっちでも、って……」
 「半分は俺の勘」
 「そんな……」
 ここまで言わせておいて、それはないだろうと、今度は言葉にして非難を浴びせかけるつもりでいたのだが、口を開いた瞬間、観客達の間からどよめきが起こった。

 コートに視線を戻すと、試合開始早々、お騒がせコンビが通常ではあり得ないポジションで構えていた。
 「2アップ」の変形とでも言おうか。コートを横切るサービスラインと、中央を縦に二分するセンターサービスラインの交わる部分。つまり、コートのど真ん中に二人して並んでいるのである。
 「ネット並行陣」にしては後ろであり、「ベースライン並行陣」にしては詰め過ぎる。また「2アップ」と言い切るには、両者の間隔はほとんどなく、くっつくようにして構えている。
 効率の良さを重視するのなら少しでも離れていた方が守備範囲も広がるはずだが、あの不可解なポジションから、彼等は何をしようというのか。
 「へえ……」
 遥希と同じようにコートに視線を戻した唐沢が意味ありげな笑みを浮かべた。
 「部長、あのフォーメーションは?」
 「ハルキ、お前が対戦相手ならどうする? あの二人を相手に、どこから攻める?」
 「まずは、サイドの空いているコースを狙って……」
 遥希の答えとほぼ同時に、対戦相手の一人である倉持という選手が陽一朗の左脇をストレートで打ち抜いた。
 しかし陽一朗は当然の策を読んでいたと見えて、持ち前の瞬発力を活かしてボールに追いつくと、相手のストレートをローボレーで弾き返した。
 「これで藤ノ森は雁行陣で攻めるという選択肢を一つ失ったことになる」
 唐沢が緩んだ口元を引き締めた。
 たぶん、それは戦局の不安から来るのではない。むしろ何かしらの確信を得た時のしたり顔だと、遥希は理解した。
 シングルスにおけるボレーは攻撃的要素が強いが、攻守二つの役割が存在するダブルスでは、「繋ぎ」と「決め」の二種類のボレーを使い分ける必要がある。
 いま陽一朗が放ったローボレーは、あくまでも敵の先制攻撃を防ぐための「繋ぎのボレー」であり、ポイントには結びつかない。だがこれを続けることにより、必ず「決め」のチャンスを生むことができる。言わば、「崩し」のボレーである。
 現在、藤ノ森ペアは「雁行陣」と呼ばれる一般的な陣型を取っているが、「繋ぎ」と言えど、速いテンポで二人からボレーの連打を浴びれば、どちらかが崩される。
 仮に唯一のオープンスペースであるサイドを攻めて、逆襲を試みたとしても、コート中央から追いつき弾き返されることは、先の陽一朗のプレーで立証済みである。
 あえて二人が間隔を空けずにいるのも、一人がサイドへ移動した場合、もう一人がすぐにセンターのカバーに入れるよう考えての位置取りだ。
 一見、攻撃重視の捨て身の策に見えて、実は隙のない万全な防壁を築いている。瞬発力に長けた透と陽一朗ならではの攻守ともに完璧なフォーメーションだ。
 二対一の集中砲火を避けるため、次に藤ノ森学院が取った策はネット並行陣だった。
 ネット際に二人が並ぶ陣型は、おそらく透のドロップボレーも計算に入れてのことだろう。
 だが、それも絶え間ないロブの応酬に脆くも崩れた。
 「これで選択肢が二つ、いや三つ消えたか。ネット並行陣だけでなく、ベースライン並行陣もあいつ等には意味がないからな」
 透の決め球の一つであるドロップボレーを警戒した藤ノ森学院は、最初からベースライン並行陣を候補から外していたに違いない。二人とも後方に構えていては、ネット際に落とされるドロップボレーは拾えない。
 しかしネット前で構えるネット並行陣も、ロブの前では完璧なフォーメーションとは言い難い。
 では、データにもマニュアルにもないこの陣型を、どう攻めるのか。
 答えに窮する遥希と同様、相手ペアも意表をつくフォーメーションに苦戦を強いられていた。
 両校の点差が少しずつ開き始めた。前の二試合の敗北が嘘のように、光陵ペアは強豪・藤ノ森学院を相手にゲームカウント「4−2」と差をつけた。
 「あのフォーメーションに対抗するには……」
 ここで初めて唐沢が答えを明かした。
 「自分達も同じポジションを取るしかない」
 「それって、つまり同等の瞬発力を持っていないと、勝ち目はないってことですか?」
 「ああ、そうだ。最低でも2アップで応戦するしかないが、今から2ゲーム差をひっくり返すのは、至難の業だろうな」
 先程の唐沢のしたり顔も、この展開を予測してのことだった。

 「どんなに勢いのある川でも、必ず流れを変えられるポイントがある」とは唐沢の持論だが、それを掘り下げて言うなら、流れの変わるポイントをいかにして探し当てるか。もしくは、無理やりにでも捻り出せるかが、勝者と敗者の分かれ目となる。
 毎年優勝候補の一角に数えられる藤ノ森学院の選手たち。対戦相手に関する情報を徹底的に調べ上げ、弱点を突くことで勝利を重ねてきた彼等には、予想外のフォーメーションに苦戦しつつも、そのポイントを生み出すための秘策があった。
 ゲームカウント「4−2」と、光陵学園がリードする形で迎えた第7ゲーム。
 高々と打ち上げられたロブを透がスマッシュで叩いた直後。追いついたとしても、まともな返球など叶うはずのないボールを目掛けて、倉持が突っ込んでいった。
 一度は味方の勝利を確信した唐沢から笑みが消えた。無論、顔色が変わったのは、彼だけではない。
 遥希も、陽一朗も、そしてスマッシュを放った透自身も。恐らくは地区予選での悪夢を知る全ての人間が凍りついたのではなかろうか。
 「まさか!?」
 普段はクールな遥希だが、この時ばかりは冷静ではいられなかった。唐沢と入れ替わるようにして、笑みを浮かべる新田の顔が見えたのだ。
 今の倉持の無謀な行為は、新田の指示によるものだ。
 ケガに対して人一倍敏感に反応する透の弱点を掴んだ新田が、万が一、不利な戦況に追い込まれた場合には、プレーに支障がない程度にボールと接触しろと、事前に策を授けていたに違いない。
 遥希の脳裏に地区予選の控え室での光景が甦る。
 あの時、透はひどく疲れた様子で座っていた。何かに打ちのめされたかのように背中を丸め、顔の色も青いを通り越して白かった。
 前を向くことしか知らない呆れた奴だと思っていただけに、その落差に愕然とした記憶がある。
 青白い顔。虚ろな瞳。そして何より、立ち上がろうとして助けを求めた時の手の感触は今でも忘れない。
 それはライバルに対する認識が遥希の中で大きく変わった瞬間でもあった。
 倒したいと思うと同時に、強くあって欲しいとも願う。矛盾した考えかもしれないが、相反する想いがいつの間にか芽生えていた。
 怯えた顔など見たくない。彼にはムカつくほど強気なライバルでいて欲しい。
 そう願う自分に、あの時初めて気がついた。彼のラケットを握る手の凍りつくような冷たさを知らされた瞬間に。

 試合は一時中断され、コート上では審判がボールと衝突した倉持の脚の具合を確認している。
 透は今の事故が故意によるものだと気づいているのだろうか。沈痛な面持ちで倉持を見つめるライバルの横顔から血の気が引いていく。
 「しっかりしろよ、バカ……」
 遥希の不安はさほど時間を置かずして数字の上にも表れた。透に細かいミスが出るようになったのだ。
 ストロークと違って、ノーバウンドで返すボレーは返球するまでの時間が短いために、一瞬の気の迷いがミスに直結する。
 瞬発力を活かした陣型が、自らの首を絞める要因となっている。
 やはり一度ついたトラウマは簡単に消えるものではないのか。相手が故意に起こしたアクシデントであっても。
 この期に乗じて反撃を開始した藤ノ森学院がゲームカウント「4−3」まで追い上げた。
 「情報戦を得意とする相手と対戦する場合、自分のスタイルを持たない選手はペースを崩され易い」
 まさにミーティングで唐沢が危惧した通りの事態が起きている。あの時の言葉の意味を、こんな形で教えられようとは思いも寄らなかった。
 今回、遥希と透が出場選手から外された理由は、他のレギュラー陣と比べて劣るからではない。自分達は「戦力外」などではなく、言葉通り「温存」されていた。
 今大会で最初に組まれたオーダーは、成長過程にあるルーキー二人を守らんが為に熟考を重ねた上で下した結論だったのだ。
 「部長、すみません。俺、部長の話を疑っていました。本当は自分の力が認めてもらえなくて、レギュラーから外されたんだと思っていました」
 ごく自然に謝罪の言葉が遥希の口からついて出た。
 目の前にいる唐沢だけでなく、ムキになって唐沢の擁護に回った透に対しても。声は届かなくても、今ここで潔く自分の非を認めておかなければいけない気がした。
 ところが、それを聞いた唐沢からは予期せぬ返事が返された。
 「人を疑うことは決して悪いことじゃない。相手が先輩であろうと、親であろうと、コーチであろうと、疑ってかかるのも一つの方法だ」
 「でも……」
 「ハルキは昔の俺によく似ている。
 他人に寄り掛かったり、寄り掛かられたりするよりは、独りのほうが楽だと思っているだろ?」
 不思議なことに、唐沢の言葉が心地よく聞こえた。人を見透かしたような態度が気に入らなくて、必ず裏があると、懐疑的に捉えていたはずなのに、今は心の中にストンと落ちてくる。
 遥希が素直に頷いてみせると、唐沢もほんの少し表情を和らげた。
 「疑うことから真実を見つけ出す。これも一つのやり方だ。
 実際、俺も今まではそうしてきた」
 相手コートからロブが上げられるたびに、会話が中断される。
 透は何度も相手のロブに喰らいつき、スマッシュを放っているのだが、地区予選と同じ悪夢を見せられたせいか。いつものキレがない。
 コートの中に視線を置いたまま、唐沢が続けた。
 「さっき、勘だと言ったのは本当だ。四月の時点で、お前とトオルの間に差はなかった。
 ただ一つだけ挙げるとすれば、可能性だ」
 「可能性?」
 「失う怖さを知っている奴は、信じる強さも持っている。仲間に対してだけじゃなく、勝利に対しても。
 仮に信じる対象が不確かなものであっても、それを口にした人間が信頼に値するのであれば、丸ごと信じられる強さがある」
 コート上空にふたたびロブが舞い上がる。明らかに相手は透のミスを誘っている。
 それを承知の上で、諦めずにボールを追いかける透。そんな彼を信じて、ロブの処理を任せる陽一朗と、その二人をコートの外から見守る唐沢と。
 失う怖さを知っている奴は、信じる強さも持っている。唐沢の言葉が遥希の目の前で無限の広がりをみせていた。
 「あのバカ正直な強さは、俺達にはないものだから。だから賭けてみようと思った。
 成田というチームの柱が抜けて、勝算の立たない状況で、あいつが持つ限りなく低い可能性……つまり、奇跡ってヤツに」
 ロブを追う透の体がふわりと浮いた。それと同時に、唐沢の口元に笑みが戻った。
 ボールの軌道をなぞらえる左手と、充分な高さで引かれた右腕と。上空での体勢を側面から捉えられる位置にいた遥希には、誰よりも早く確信できた。
 ――完璧なスマッシュが降りてくる。
 遠巻きに見ても身の危険を感じるような剛速球が、倉持の足元わずか1センチ脇を突き抜けた。

 トラウマを抱えていたはずの選手から際どいコースのスマッシュを打ち込まれ、形勢逆転を目論んでいた倉持は驚きを隠しきれない様子である。
 「どうして?」
 「はあ、何が?」
 とぼけてみせてはいるが、今のスマッシュが狙いを定めたものであることは言うまでもない。ライバルの口元に浮かぶ好戦的な笑みが何よりの証拠である。
 察するに、余計なトラウマを思い出させてくれたお礼参りのつもりだろう。少しでも手元が狂えば、あの剛速球は倉持の足首に直撃していたのだから。
 「そんなはずは……」
 「とりあえず落ち着いたら? 耳、動いてるぜ」
 「えっ、耳……?」
 慌てて押さえる仕草から、それが倉持の動揺を示すサインだと判断できる。
 試合前に透と陽一朗がくだらない会話をふっかけていたのも、彼等の癖や特徴を探るためのパフォーマンスだったのかもしれない。
 「クラスに一人ぐらいいるよな? 人の噂は喜んで嗅ぎまわるくせに、自分のことを暴露されるとパニクる奴。
 アンタさ、友達いねえだろ?」
 透の指摘に合わせて、陽一朗が合いの手を入れた。
 「あっ! また、耳ピクピクしてる!」
 それにつられて、倉持のパートナーまでもが彼の耳に注目し始めた。まるで珍しい動物でも見るような目つきである。
 すっかり落ち着きをなくした倉持に向かって、透がさらに追い打ちをかけた。
 「俺が集めた情報によれば、アンタの苦手なコースは左の足元にくる深い球」
 倉持の耳が激しく動く。
 「ジュニア時代の両手バックの癖が抜けなくて、左の足元深くにボールが来ると、左手でグリップを支えようとする。それを慌てて片手バックのリードに戻そうとするから、テイクバックでモタついて振り遅れる。
 こういうの、弱点って言うんだろ?」
 「どうして、それを? まさか部長が?」
 「さあ、どうかな? あのおっさん、お喋りだからなぁ。敵の情報を集めるつもりが、味方の弱点をポロッと言っちまうこともあるかもな」
 当然のことながら、区営コートで内部の情報を「ポロッと言っちまった」のは透であって、新田ではない。
 また倉持の弱点を言い当てられたのも、中学時代からずっと遥希をライバルとして追い続けた結果、自ずと眼識が培われただけのことである。
 透のハッタリを利かせた言動に動揺を見せる倉持と、そのパートナー。どちらに流れが傾いたかは、誰の目にも明らかだった。
 透がチラリと応援席を見やってから、トドメの一言を発した。
 「データって、結局、過去のものだろ? そんな今さら変えようもねえモン、探られたってどうってことねえよ。
 それより俺がいま一番気になってんのは、明日のダブルスのオーダーだから」
 その後、光陵学園のお騒がせコンビは一度も相手に得点を許すことなく試合を進め、今日初めての笑顔でコートを後にした。

 「特練の成果は、そこそこあったようだな」
 唐沢がスコアボードの「6−3」の結果に目を細めた。
 「特練の成果?」
 そう言えば、地区予選が終わった辺りから、透と陽一朗がコンビを組んで特別練習をさせられていたことがある。
 詳しい内容は知らないが、かなりハードだということは遥希の耳にも届いていた。
 「陽一には持久力。トオルには瞬発力をつけようとしてやらせたメニューだが……」
 「部長、まさかあの特練は今日のダブルスのために? ということは、今回のオーダーもわざと組ませたんじゃ……?」
 「あの二人にもそろそろゲームメークを覚えてもらおうと思ってさ。パートナーが不在なら自分でやるしかないだろう? 
 特練のおかげで互いの動きは目に焼きついているし、集中しさえすれば息は合うと踏んでいた。
 最初から手の内を知られたカードで勝負するよりも、いっそドロー(=交換)したほうが勝ち目はあるからな」
 「念のために聞きますけど、太一先輩は今どこに?」
 「お前ん家で自主トレしている」
  太一朗の遅刻は、唐沢の仕組んだことだった。恐らく父も共犯に違いない。控え室で深刻そうに話し合ってみせたのも演技である。
 今から思えば不審な点がいくつかあった。
 そもそも用心深い太一朗が同じ過ちを繰り返すはずがないし、補欠のメンバーを部員に伏せられているのも妙だった。
 全てはこの対藤ノ森戦のダブルスで一勝をあげるために。
 唐沢に対して芽生え始めた信頼が一気に砕け散った。
 「うちが藤ノ森に毎回負けているっていうのも、嘘だったんですか?」
 「いや、それは本当だ」
 「そんな! もしあの二人が負けていたら、どうするつもりだったんですか!? 無茶にも程が……」
 「ここで負けるようなら、インハイに出場したとしても即敗退だ。
 前にも言ったはずだ。今年の目標は優勝だ」
 遥希の激しい非難も、口達者の部長にかかれば軽くあしらわれてしまう。
 「つまり部長は俺たち全員を騙していたんですね?
 事前に情報が漏れると読んで、わざと俺達に嘘のオーダーを伝えて、藤ノ森にも伊東兄弟が出場すると信じ込ませた。そうですよね?」
 遥希なりに身内に欺かれた悔しさと、知らぬ間に危ない橋を渡らされていた憤りを一言一句にこめたつもりであったが、唐沢に悪びれる様子は微塵もなく、相も変わらず胡散臭い笑みを浮かべている。
 「良いか、ハルキ? 人を信用できないなら孤独を通せ。お前には、そのスタイルが合っている。
 但し、一人だけで良い。例外を作っておけ」
 「分かっています。不本意ですけど、うちの部にいる限りは部長の方針に従いますから」
 「いいや、俺の話じゃない。他にいるだろ? 信頼に値する人間が? 
 そいつにだけは強がらずに本音を見せておけ。
 ああ、それから明日はお前にも出番があるからな。ラケットとシューズ、準備して来いよ」
 「もしかして、シングルスのオーダーも嘘ですか? ルーキー二人を温存するって話も?」
 「人聞きの悪い言い方をするな。ほんの少し訂正を加えただけだ」
 「じゃあ、大会事務局に提出したオーダーは?」
 「ダブルスは陽一とトオル。シングルスはシンゴとハルキと俺のローテーション。せっかく大事に育てたルーキー二人を使わない手はないだろう?
 ついでだから、もう一つ。とっておきのオーダーを教えてやる。
 お前とトオルは夏合宿の風呂掃除にも選ばれている。合宿の間中ずっと二人だけのローテーションだ。ありがたく思え」
 「なんで!?」
 「俺に隠れて試合をしようとした罰だ。
 俺の情報網を甘く見るなよ。藤ノ森よりは、よほど信頼のおけるネットワークがあるからな」
 大会前、部内で固く禁じられているにもかかわらず、遥希と透は試合をしようと区営コートを訪れた。それを知られているということは、あそこに誰か密告者がいたということだ。
 やはり、この人は苦手だ。
 得意げな笑みを浮かべる唐沢を横目に、遥希は改めて彼とは距離を置こうと決意するのであった。






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