第38話 オムニコートの怪
オムニコートとは人工芝に砂を撒いたテニスコートの名称で、水はけがよく管理の手間もほとんどかからぬ為に、1990年代に日本とオセアニアを中心に急速に普及した。
とりわけ日本ではソフトテニスの競技人口が他国と比べて多いことから、いまだ同サーフェス(=表面の材質)を保持するスポーツ施設も多い。
何故なら、ハードコートを好む硬式テニス愛好者に反して、ソフトテニス愛好者はクレーコートを好む。オムニコートはこの相反する両者をほどほどに満足させて、尚且つ、管理もしやすい非常に便利なコートというわけだ。
しかしながら、日本人にはお馴染みのオムニコートも、中学時代のほとんどをアメリカのストリートコートで過ごした透にとっては未知なる領域だ。
コンクリートの地面をサーフェスと呼ぶかの議論はさておき、透がこれまでプレーしてきたコートは、クレー、コンクリート、ハードの三種で、比較的感触が近いと思われるアメリカの自宅の “芝らしきコート”もサーブ練習以外で足を踏み入れたことはない。
遥希の話によれば、一般的にオムニコートは球脚が遅いと言われているのだが、砂の質や量、整備の前後でも違いがあるらしく、そこで初めてプレーする者には非常に不利なサーフェスだという。
今回、北斗に「VIP専用」と言われて案内された会場には、オムニコートが全部で三面。恐らく、そのどれもが異なる弾み方をするのだろう。
試合慣れしている遥希でさえ不安を抱くのだから、初めての透は要領を掴むまでにかなりの時間を要するに違いない。
尊敬する先輩たちの武勇伝に触発されて、ついその場の勢いで了承したものの、やはり軽率すぎたか。
遅ればせながら、宿舎を出発する際に唐沢からかけられた忠告の続きが甦る。
「兄貴は勝負事に関して容赦のない男だ。お前たちも足をすくわれないよう気をつけろ」
事前に注意を受けていたにもかかわらず、早速、相手の思う壺にはまっている。この上、敗北して帰ろうものなら、どんな大目玉を喰らうか。
勝負事に関して容赦のないのは、兄も弟も同じである。ただでは済まされまい。
透の困惑をよそに、北斗は相も変わらず、屁理屈をこねている。
「弘法、筆をえらばずだ。
どんな試合にも不可抗力は存在する。
例えばインハイの会場がお前等の得意なハードだと高をくくっていたら、前の対戦が長引いて、急遽、時間の都合で他の会場に回されたとする。
そこがオムニだったら、どうする? 想定外だと言って棄権するのか?
お前等も団体の代表を狙ってんなら、こういうアクシデントにも慣れとかなきゃマズイだろ?
これは俺の親心ってヤツだ。ありがたく思え」
確かに北斗のいうことにも一理ある。但し、それは言動に整合性のある先輩の口から聞かされてこその話であって、たった今、一番使いやすい筆を選んだばかりの男に言われても、説得力は無に等しい。
自然と透の口調も非難めいたものになる。
「もっともらしいこと言ってるけど、結局、一番得してんのはアンタじゃねえか」
「おい、真嶋。威勢が良いのも結構だが、口の利き方には気をつけろよ?」
「俺が先輩だと認めんのは、今の三年の代までだ」
「ほう、それじゃあ日高コーチや真嶋先輩にも、そんなクソ生意気な口の利き方してんのか?」
「真嶋先輩って、親父のことか? 認めるも何も、アイツはただのクソ親父だ。先輩なんて思ったことは一度もねえよ」
一瞬、北斗の眉根の片側だけが動いたように見えたが、理由を確かめる間もなく、彼はすぐに違う質問をよこした。
「では、ここで真嶋に問題。
対戦相手が自分と同程度の実力で、試合開始からずっとせめぎ合いが続いている。たぶん、この後も1ポイントを争うシビアな展開になるはずだ。
さて、お前ならどうする?」
「自分の能力を最大限に活かす方法を考えて、試合を組み立てる。そんなの常識だ」
これは唐沢からの教えであり、数々の試合を通して透が学んだことでもある。五分と五分の勝負においては、自分の能力をより多く引き出した者が勝つ。
だが北斗の質問は、さらにその上を行くものだった。
「それでも互角だった場合は、どうする?」
「えっ?」
「相手もお前と同じように自分の能力を最大限に引き出して対抗してきた場合はどうするか、と聞いている」
「それは……」
答えに詰まる透を追いたてるように、北斗から意地の悪い視線が投げかけられる。
「まさか、『能力を最大限に引き出した俺は無敵だ!』とか、思っちゃいねえよな?」
「そんなこと思ってねえよ」
「だったら、どうする?」
「どうするって、言われても……」
あとは死ぬ気でやるしかない、と言いたいところだが、ここでそれ口にすれば目の前の鼻持ちならないOBに馬鹿にされる気がして、透はぐっと唇を噛み締めた。
北斗の視線が、透ととなりで同じ表情をしているであろう遥希との間を数回行き来してから、ふと和らいだ。
無論、後輩二人が答えに窮する様を見て、彼に同情心が芽生えたわけではない。
自分に楯突く生意気な後輩をやり込めて、優越感に浸っている。武装を解いた眼差しからは、そんな嫌らしい余裕が見えていた。
「教えて欲しいか?」
北斗の余裕しゃくしゃくの態度が癇に障るが、頷くしかなかった。
「だったら、北斗大先輩って呼んでみな」
「アンタ、ほんとに性格悪いな!」
「アンタじゃない。北斗大先輩だ」
それは負けず嫌いにとって敗北に匹敵するほど屈辱的な命だが、インターハイを前にして五分と五分の勝負を制するセオリーを教えてもらえるとなれば、従うほかなさそうだ。
透は奥歯ですり潰すようにして、その屈辱的な台詞を口にした。
「北斗大先輩、教えてください」
「はい、よく出来ました。
高校生は素直が一番。その素直さに免じて、お前等には俺が今までのテニス人生を通して学んだ究極のセオリーを教えてやる。
良いか? 五分と五分の勝負では、自分の能力を最大限に引き出した者が勝つ。
これは以前、俺が海斗に教えたセオリーの一部だが、実はまだ続きがある。
幸か不幸か、あいつには伝授する機会も必要もなかったが、今日は特別にお前等に続きを教えてやろう。
もしもてめえの能力を最大限に引き出して、それでも互角だった場合は……」
「互角だった場合は?」
「一回でも多く相手の足を引っ張った者が勝つ。これが五分と五分の勝負を制する究極のセオリーだ」
唖然としたのは、透だけではない。となりにいる遥希もポカンと口を開けたままである。
散々勿体ぶった挙句に教えられた答えが「相手の足を引っ張る」などと、戦術とも呼べない小ズルい手段では、納得する方がどうかしている。
これはセオリーとは名ばかりの、ただの妨害行為ではないのか。
しかし当の本人は呆気に取られる後輩に動じることなく、あくまでもマイペースに話を進めている。
「それじゃあ条件を確認するぞ?
試合は6ゲーム先取の1セットマッチ。お前等が負けた場合、このあと残って働いてもらう。
当然、明日海斗の組が負けた場合は、バーベキューの食材全部と花火もいただくからな。
そう言えば、あいつ、花火の用意してんのか?」
「ちょっと待ってくれ。俺等も確認したいことがある」
透は饒舌な進行の合間を縫って「待った」をかけた。すっかり北斗のペースに乗せられ忘れていたが、自分達が勝利した場合の条件がまだである。
卑怯な妨害行為を究極のセオリーと言い切る男のことだ。ここで明確にしておかなければ、後で何を言い出すか分からない。
「この試合でアンタ等が負けたら、どうなる?」
「条件は同じだ。バーベキューの材料と花火もくれてやる。肉はうちの大学のほうが上等だ」
「それはチームの条件だろ? そうじゃなくて、俺達のパシリみたいなペナルティーはアンタ等にはねえのかよ?」
「百パーあり得ねえと思うが、そうだな……俺の秘蔵Vでも見せてやるか?」
明らかに、いま思いついたと言わんばかりの北斗の態度である。
「要らねえよ。どうせ、くっだらねえビデオだろ?」
「さあ、どうだかな。今までの価値観が百八十度変わるかもしんねえぞ?」
「あいにく秘蔵ってタイトルには嫌な思い出しかねえんだよ」
「そっか。じゃあ、こっちのペナルティーはナシってことで。
とっとと始めるぞ」
結局、オムニコートの不満も、北斗が負けた場合の条件も上手い具合にはぐらかされ、試合は最初のサーブ権を決めるラケットトスの段階に入っていた。
相手の都合の良いように言いくるめられた気がしなくもないが、今さら文句も言えず。こうなったらサーブ権だけでも物にしようと、透が意気込んでラケットのグリップに手をかけた時である。北斗が、
「サーブ権はお前等にやるよ。一年の分際で元部長の俺に挑んできた勇気を称えてな」と言い出した。
何か裏があるのではと気にはなったが、どう転んだとしても損はない。透は遥希が同意するのを確認してから、ボールを受け取った。
「じゃ、俺達はこっちのコートをもらうから」
テニスのルールでは、サーブ権を得られなかったペアにはコートを選ぶ権利が与えられる。
北斗が指定したのは宿舎に近い出入り口側のコートで、正面に北アルプスの雄大な山々が一望できるという贅沢な景観以外、さして利点があるとは思えない。少なくとも、サーブ権を放棄してまでこだわる理由はなさそうだ。
勘繰り過ぎたかと安堵した直後、透が予想だにしなかった人物がコートに現れた。
「よう、久しぶりだな!」
「疾斗、なんで?」
「兄貴のパートナーが腹痛で倒れたって聞いて、急遽、助っ人に来てやった」
「助っ人って、まさか?」
「ああ、兄貴のパートナーはこの俺だ」
初めは冗談かと思ったが、テニスウエアとラケットに加え、真新しい帽子とサングラスまで持参してきたところを見ると、どうやら本気らしい。
しかし一つ腑に落ちない点がある。疾斗は「急遽」と言ったが、昨日の今日で、こんな山奥まで都合よく来られるものなのか。
「慌てて来たわりには、随分、用意が良いな? そのサングラスも、キャップも、新品か?」
「良いだろ、コレ? キャップ・サングラスにもなる2ウェイ式だ」
「へえ、2ウェイか。珍しいな」
「だろ? ネットで探して、わざわざメーカーから取り寄せたんだ。そこらのスポーツショップじゃ手に入んねえよ」
「ふうん、わざわざ取り寄せたんだ。この試合のために?」
「そう、この試合のために」
「……ってことは、てめえ、前から知ってたな?」
「あっ! いや、その……」
やはり思った通りである。千葉たちが騒ぎを起こす前から、北斗は弟の疾斗に声をかけていたのだ。
「おい! 一体、どういうことだよ!?」
オムニコートの件と言い、パートナーの件と言い、やること、なすこと、セコ過ぎる。仮にも『カリスマ部長』と呼ばれた男が、こんな詐欺師まがいのケチな野郎で良いのか。
光陵テニス部を率いるリーダーたるもの、敵のセコい罠を蹴散らすことはあっても、自らそれに手を染めることはない。正々堂々、敵と渡り合い、卑怯な輩を己が足元に捻じ伏せる。
部長とは、本来、そういう悪ガキどもが付き従わざるを得ないような将器を備えている人物に与えられる称号ではないのか。
それを北斗は自分に都合の良いコートに無理やり変更した挙句、『光陵杯』のタイトルを無視して他校の弟に協力を頼んでいる。
恐らく北斗は後に控える大将戦まで見据えて、下手に半端な実力のOBと組むよりも、次男・海斗のプレーを熟知する末の弟・疾斗をパートナーに迎えたほうが何かと有利に運ぶと踏んだに違いない。
今回、たまたま千葉と陽一朗が「ピンクの小粒」を仕込んだから人員不足の名目が付いただけで、端から彼は疾斗を呼び寄せるつもりだったのだ。
怒り心頭で詰め寄ろうとする透を、背後から遥希が引き止めた。
「良いんじゃない? うちのOBを相手にするより、却って好都合かもよ。松林の唐沢さん……ならね」
あえて「松林の」と区別したところが毒舌家の遥希らしい。
これを受けて、疾斗の顔つきが変わった。
「随分と見くびられたもんだな。
断っておくが、俺はガキの頃から兄貴とは試合のたびに組まされてきたんだ。お前等のような付け焼刃と一緒にするなよ」
「へぇ、だったら地区予選の時よりは倒し甲斐があるわけだ」
「てめえ……あとで吠え面かくんじゃねえぞ!」
中指を突き立て啖呵を切る疾斗を前にして、透は遥希が味方で良かったと、心底思った。
勝負事はどんな時でも冷静になった者が勝つ。遥希の棘のある物言いは、疾斗に冷静さを失わせるには充分な役割を果たしていた。
ところが試合直後、五分と経たないうちに、疾斗の言葉がただのハッタリではないと思い知らされた。
今日の彼は動きが違う。体のキレだけでなく、攻撃を仕掛けるタイミングも早い。
彼は根が素直なだけに、信頼できる兄とペアを組むことで思い切ったプレーが可能となるのだろう。まさに水を得た魚のようである。
しかも北斗は弟の大胆なプレーが活かせるよう、上手く繋ぎとなるボールを入れてくる。セコさと緻密さは同種のものだと、改めて痛感する。
透たちルーキーペアは、自身のサービスゲームはキープしたものの、予期せぬブラックホースの出現に苦戦を強いられ、その戦況は第1ゲーム終了後、ますます悪化の一途を辿っていった。
テニスの試合では、奇数のゲーム終了時に互いのコートを入れ替わる「コートチェンジ」というルールがある。
第1ゲームが終わり、透と遥希は相手コートへと移動した。
北アルプスの山々が正面に広がる出入口側のコート。そこへ入った途端、なぜ北斗がサーブ権を放棄してまで出入り口側のコートを選んだか。その理由を理解した。
山間に落ちていく夕日が眩しすぎて目がくらむ。
都会と違って、遮るものが何もない山奥では、太陽から放たれた澄んだ陽光がダイレクトに両目に突き刺さる。その刺激の強さはレーザー光線に匹敵すると言っても過言ではない。
しかも山から吹き降ろされる突風のせいで、芝の間に埋め込まれた砂が顔の近くまで舞い上がり、さらに視界を悪くする。
夕暮れ時を襲うこの風は、地元では有名な「おろし」と呼ばれる局地風の一つである。
夕陽と「おろし」のダブルパンチで、サングラスも帽子も用意のない二人は薄目を開けているのがやっとの状態だ。
仮に第1ゲームを奪われたとしても、コートチェンジ後に続く第2、第3ゲームを奪い返せば、結果的に1ゲーム分リードしたことになる。北斗はそう読んで、先に条件の悪いコートを選択したのである。
ひょっとしたら、日の沈む頃合いまで計算済みかもしれない。
案の定、不利なコートでサービスゲームを落とした光陵ルーキーペアは、三度目のコートチェンジを行なう頃には、ゲームカウント「2−3」と1ゲームを追いかける側に立たされていた。
五分と五分の勝負を制するには、一回でも多く相手の足を引っ張った者が勝つ。今となっては、あながち馬鹿にできないセオリーだ。
コートチェンジに使われる僅かな時間に、透は頭に浮かん疑問を北斗に投げかけた。
「アンタ、本当はメチャメチャ強えんだろ? でなきゃ、唐沢先輩が意識するはずねえもんな。
何でこんなセコい手ばかり使う?」
「セコい手を使って何が悪い? 最小限の労力で事を成せるなら、それが一番だ」
「過程よりも結果を重視するってことか?」
「ああ、そうだ。何に価値を見出すかは人それぞれだが、俺は苦労して目的地に辿り着いた奴よりも、楽して同じ結果を出した奴を評価する。
余った労力を他に回せるからな」
いかにも北斗らしい考え方だと、透は思った。
以前、彼から「俺の自由は期限付きだ」と聞いたことがある。
限られた自由をいかにして有効活用するか。北斗の価値観は全てそこに結びつく。
「けど、俺はどんな勝負でも手抜きはしたくない。
だって、楽した勝利からは何も得られない。対戦相手と真剣に向き合うからこそ、勝っても負けても、次に繋がる。試合って、そういうもんじゃねえのかよ?」
「真嶋。それは遠回しに、俺に本気を出してくれと頼んでいるのか?」
「いや……まあ、そうなるか?」
北斗に指摘されるまで気づかなかったが、透は無意識のうちに彼との真剣勝負を望んでいたのかもしれない。狡猾としか言いようのないやり口に腹を立てたのも、正々堂々と向き合うことを拒否された悔しさ故のものだろう。
「どっちなんだ? ハッキリしろよ」
北斗が透に明確な答えを促した。
「あ、はい。そうだと思います」
「だったら、お願いのしかたってモンがあるだろ?」
「俺と、いや、俺達と真剣に勝負してください!」
「断る」
「へっ?」
おちょくられているのだろうか。ここまで言わせておいて、即答で拒否するとは、そうとしか考えられない。
「本気の勝負をしたいなら、なりふり構わずかかってこい。
今からじゃ逆転は無理だとしても、お前等が同点に追いついた時点で、考えてやっても良い」
「もう、なりふり構わずやってますけど?」
「必死さがねえんだよ。どんな手を使ってでも勝ってやろうっていう気概が。
お前等、もっと勝ちに執着しろ。結果にこだわれ。
格好良い勝ち方なんて、俺等プロじゃねえんだから出来るわけねんだよ」
「別に格好つけているわけじゃ……」
「『団体ボケ』というんだ、それを。
自分達が負けたとしても、チームメイトが何とかしてくれる。そう思ってんだろ?」
「そんなこと……」
「だったら、この勝負、死に物狂いでやっているか?
たとえ殺されたって次の海斗には回さねえ。なりふり構わずってのは、そういう覚悟だ。
どうなんだ?」
北斗の問いに答えられなかった。
心のどこかで自分達が負けてもチームの敗北には繋がらないと、楽観視していた部分がある。口では「なりふり構わず」と言いながら、その実、非公式の練習試合だと軽んじていた。
「真嶋のいう通り、楽して勝っても得るものなんかありゃしねえ。
だがな、敗北した奴等はどうだ?
あの時、勝負に出れば良かった。あの時、もっと早く仕掛けていれば、違う結果になっていたかもしれない。
まだ戦える力が残ってんのに、チームメイトが負けていく様を見せられるほど惨めなものはねえんだよ。その惨めさは、お前等より俺や疾斗の方がよく知っている。
真嶋、もう一度、言う。俺と真剣勝負したかったら、なりふり構わずかかってこい」
それまで二人のやり取りを黙って聞いていた遥希が、透を手招きでベンチに呼び寄せた。
「あのさ、考えたんだけど、俺のドロップショットを上手く使えないか?」
遥希の放つドロップ・ショットは、ベースラインからネットの際まで来て急激に落下する。その上、バウンド後の弾みも通常のものより遥かに少ない。
「北斗先輩と同類って思われるのが嫌で黙っていたけど、ここのコート、前衛の立ち位置にすごく砂が溜まっている。
たぶん、整備が適当で、おまけに風で舞い上がった砂がネットの白帯にぶつかって落ちる場所がここなんだと思う。同じところに集中して溜まっている。
この辺りにドロップショットを落とせば、砂がクッションみたいにバウンドを吸収するから、ちょっとやそっとじゃ拾えない」
「ああ、確かに形勢逆転の切っ掛けにはなりそうだ。
けど、何かもう一つ欲しいよな?」
「もう一つって?」
「あっちがペースを乱すような、奇襲攻撃的な何か……」
「そういうのは、お前の得意分野だろ?」
「褒め言葉になってねえよ、それ」
「なっているって。お前の常識外れの奇襲攻撃に、どれだけ泣かされたか。
フラットしか返せない初心者が、試合中にいきなりトップスピン・ロブ打ったりしてさ」
「そりゃ、温室育ちのお前とは違うかもしんねえけど、常識外れって言うな」
「温室育ちって言うな」
「温室育ちは当ってんだろ? だいたい山道であんな歩き方して……って、それだッ!」
「なに?」
「逆転できるかもしんねえ。ハルキ、ここへ来た時のシューズに履き替えろ」
試合とは無関係と思われる突飛な提案に、遥希が困惑の色を示した。
「でも、来るとき履いてきたヤツはテニスシューズじゃないし、靴底に泥がこびりついて走れる状態じゃない。
俺が泥遊びしてたの、お前も知ってんだろ?」
「だからだよ。あれを使えば充分奇襲になる」
不慣れなコートと北斗のセコい戦術によって振り回され続けた練習試合。相手から本気を出させる間もなく終わらせるわけには行かない。
「なりふり構わず、やってやろうじゃねえの!」
目には目を、歯には歯を。負けず嫌いコンビによる逆襲が始まった。