第44話 剣士が残した礎

 「……で、なんで北斗先輩がここにいるんですか?」
 透は風呂上りと思しき姿でくつろぐ北斗に、あからさまな抗議の目を向けた。
 野郎同士でパンツ一丁の軽装をとやかくいうつもりはない。問題は、彼がくつろぐ場所にある。
 ここは透のベッドだ。いくらOBとは言え、後輩のベッドを我が物顔で占領する権利はないはずだ。
 しかも彼は「生徒の飲酒を固く禁ず」と貼り紙がされている部屋にビール六缶とツマミまで持ち込み、その袋に入ったツマミの柿の種がファミリーパックではなく、どう見てもお一人様用としか思えぬところが、また透の神経をイライラと刺激するのであった。
 「そっちの合宿、終わったんですよね? 家に帰らなくて良いんですか?」
 時刻は夜の十二時を過ぎている。そんな時間に下着姿の酔っ払いに居座られては、自ずと口調もきつくなる。
 ところが北斗はなぜか偉そうに、そして寝床を奪われた透よりも不愉快そうに、二缶目のビールをグイッと飲み干してから言った。
 「だから、いま説明してやっただろ? あの家に俺の居場所はねえんだよ」
 「疾斗は帰ったじゃないですか」
 「あいつは良いんだ。生け贄だから。
 まったく傍迷惑な話だぜ。坊主のくせに風水なんか気にしやがって……」
 説明してくれと頼んだ覚えはないが、ともかく事情はこうだった。
 最近、北斗の父親が風水に凝っており、二階の客間の方角が悪いと知って、部屋を移すと言い出した。
 それに伴い、現在、唐沢家では二階の子供部屋の総入れ替え中で、息子たちは合宿から帰った順に手伝わされる。
 本来ならば、もっとも体力のある長男が率先して親の助けとなるのが筋だと思うが、この北斗は末の弟ひとりを先に帰らせ、自分は母校のテニス部の合宿所に忍び込み、こうして大して親しくもない後輩のベッドの上でビール片手にのうのうと過ごしているのである。
 「それにしても、インハイ近いのに引っ越しなんて、落ち着かないッスね。もしかして唐沢先輩、家の人にインハイ出るって、知らせていないんですか?」
 透の素朴な疑問を打ち消すように、北斗がアルコールまみれの溜め息を吐き出した。
 「それ以前の問題だ。
 うちは一日二十四時間、一年三百六十五日、年中無休のコンビにみてえなもんだ。
 夫婦そろって檀家が優先。子供は放っときゃ育つと思っている。
 俺と疾斗は主張すべき時はするけどな。海斗は、家じゃほとんど喋らねえ。
 親父なんて、ついこの間まで海斗は帰宅部だと思い込んでてさ。あいつの合宿の荷物見て、『お前、テニス部だったのか』って、驚いてやんの」
 「唐沢先輩、なんだか気の毒ですね。あんなに一生懸命頑張っているのに」
 「バ〜カ! 俺のが気の毒だ。
 弟の挑発に乗せられて、ガキどものゲーム練習に付き合わされた挙句、角部屋を取られるわ、帰る場所はねえわ。踏んだり蹴ったりだ」
 「えっ、角部屋を取られるって?」
 「なんだ、聞いていなかったのか? あの試合な、真の戦利品はうちの二階の角部屋だ」
 「は?」
 「真嶋は俺ん家の間取り、知ってんだろ? 客間が角で、俺の部屋はそのとなり。
 最初は俺が客間に移動すりゃ済む話だったんだが、海斗が受験勉強に集中したいから角部屋を使わせろと言って、譲らなくてさ。ほら、あそこ静かだし、日当たり良いし……」
 「北斗先輩、どういうことですか!?」
 それまで「我関せず」と深夜の揉め事から目を背けていた遥希が、突如として布団から飛び起きた。
 「あの『闇の光陵杯』は、俺たちのスキルアップが目的じゃなかったんですか!?」
 「いや……ああ、まあ、それもある」
 北斗が視線を逸らして答えたところを見ると、どうやら真実は唐沢家の角部屋争奪戦にあるらしい。
 客間の移動に伴い、もっとも日当たりが良く静かな角部屋を兄と弟のどちらが使用するかで揉めた結果、テニスの試合で決着をつけることになったのだ。
 時間の無駄を極端に嫌う唐沢のことだ。ついでに『闇の光陵杯』と銘打ち、他の部員も交えてのチーム対抗戦にすれば、後輩たちのスキルアップにもつながるし、インターハイ本番に向けての前哨戦にもなるし、一石二鳥、一挙両得というわけだ。
 「さっき、ダブルスを通して成長したって、褒めてくれたのに。俺、本気で嬉しかったのに……」
 「『実りある賭け』って、このことだったんッスね」
 失意のどん底にいる遥希には申し訳ないが、透はようやく得心がいった。
 唐沢は基本的に部員思いの良き部長である。チームのために必要とあれば、自ら悪役を演じることも厭わない。献身的な一面も持っている。
 但し、彼がそこまで尽力するものには、必ず相応の利益が隠れている。
 たとえ相手が後輩でも、タダでは教えない。見返りがなければ動かない。それが唐沢という男だ。
 「ハルキ、唐沢先輩は悪い人じゃないんだ。チームのことも、俺たち部員のことも、ちゃんと考えてくれている。
 ただ合理的っていうか、ギブ・アンド・テイクが基本姿勢っていうか……」
 「べ、別に、俺はがっかりなんかしてないし。
 ああ、あの人は昔からそうだよ。腹ん中、真っ黒だよ。知っているし!」
 遥希は拗ねたようにそういうと、シーツもろとも丸くなり、それ以降、一度も会話に加わることはなかった。

 「んじゃ、俺たちも寝るとするか」
 とくに悪びれる様子もなく、北斗が長身の体をゴロンとベッドに横たわらせた。
 傍若無人で、わがままで、忍耐や努力とは無縁に見える北斗だが、彼にもインターハイ出場を夢見て、己の肉体を限界まで鍛えた時期があるのだろう。四方に伸ばされた肢体には、筋肉の隆起がそこここに残っている。
 一体、どんな鍛え方をすれば、このような羨ましい体になれるのか。成長過程の高校生としては気になるところだが、いまは見とれている場合ではない。
 「ちょっと待った! なんで普通に寝ようとしてんですか?」
 「心配すんな。俺は年上の女にしか興味はねえよ」
 「なんで年上限定なんですか?」
 「経験値高けえほうが楽できんだろ。楽してヤれれば、言うことナシだ」
 「やっぱ先輩、最低ッスね」
 「お子様には分かんねえだろうよ。俺の価値観は」
 「真っ当な人間には、の間違いじゃないッスか?」
 「相変わらず、口の減らねえ野郎だな。
 そうだ。せっかくだから、俺がお休みタイムにピッタリの物語を聞かせてやる」
 「ガキじゃないんですから、止めてくださいよ」
 「遠慮するな。歴代の部長に語り継がれる感動秘話だぞ。心して聞け。
 むかしむかし、光陵学園というところに一人の剣士がおりました……」
 半ば強引に始められた昔話は、透の父・龍之介の学生時代の話であった。
 初めは酔っ払いの戯言かと思ったが、そうではないらしい。昔語りの口調も照れ隠しのように感じる。透と北斗自身、どちらに対してかは分からぬが。

 「むかしむかし、光陵学園というところに一人の剣士がおりました。
 剣道師範の父親に育てられた彼は武勇に優れ、その太刀筋はまさに龍の如しと評判でした。
 彼は請われるままに剣道部に入部しようとしましたが、当時最強と謳われた三年生の部長が一年生の自分にあっさり敗北したために、興味を失くして止めました。
 『頂点が見てみたい』が口癖の剣士は、手当たり次第に他校の剣道部の練習に乱入し、頂点に立つ者を探し続けましたが、結局、彼よりも強い剣士とは出会えませんでした。
 可哀そうに、剣士は自分の強さを持て余していたのです。
 しかも本人は出稽古のつもりでも、周りの大人たちは性質の悪い道場破りとしか見てくれません。PTAも、教師も、彼を手に負えない乱暴者として、光陵学園から追い出す計画を立てました。
 ところが、それを阻止したのが、当時、彼の担任を務めていた恩田先生です」
 「恩田先生って、あの……?」
 テニス部ではほとんど目立たぬ存在の顧問の恩田だが、昔はそれなりに仕事をしていた時期があるようだ。
 「先生は剣士に言いました。
 『君はいまよりもっと強くなるでしょう。ですが、強くなる人は力の使い方を学ばなければいけません』
 剣士の並はずれた身体能力を高く評価していた先生は、彼をテニス部に誘いました。
 翌日から剣士は、剣の代わりにラケットを持つようになりました。そして、そこで出会った仲間たちとともに頂点を目指しました。
 残念なことに、彼は道半ばで力尽き、ラケットを持つことが出来なくなりました。
 しかし彼が残した小さな希望の種は、いまも部員たちの手によって大切に育てられています」
 昔語りの口調を変えて、北斗が続けた。
 「お前の親父さんな。肩を壊したあともテニス部に残って、後輩のために練習メニューを作っていたんだ。
 いま部室のパソコンに保存されている練習メニューのデータは、真嶋先輩が残していったメニューの上に、歴代の先輩たちが改良を加えたものがベースになっている。
 だからって、別に恩を着せるつもりはねえよ。お前等だって、ここまで来るのに人並み以上の努力をしたんだ。
 ただ、覚えておいて欲しかった。過去の先輩たちが試行錯誤して、積み重ねていった失敗のうえに、いまの俺たちが立っているということを」
 目に見えない大きな力に支えられて生きてきた。生かされたというべきか。
 自らの失敗を残してくれた先輩たちがいたからこそ、いまがある。
 「北斗先輩。俺、親父が光陵学園にこだわった本当の理由が分かった気がします」
 「卒業すれば、もっと分かるさ。光陵学園の良さが。
 俺が真嶋先輩をバイブルだと言ったのは、本心からだ。
 やっていることは無茶苦茶かもしれんが、本人の中では筋が通っている。たとえ周りの人間に理解されなくても、自分の信念に沿って動いている。真嶋先輩の足取りを辿っていくとそんな風に感じる。
 光陵学園ってところはさ、人生を変えられるぐらい強烈な奴と、どういうわけか出会っちまう場所なんだ。お前にも心当たりがあるだろ?」
 入学したての頃の小生意気な遥希の顔が浮かんだ。透に胡散臭い儲け話を持ちかけた副部長時代の唐沢も。
 彼等との出会いも偶然ではなく、ある意味、必然だったのかもしれない。
 話を終えると同時に、北斗は電池が切れたように眠りに落ちた。よほど疲れていたのだろう。今日一日の彼の活躍を考えれば無理もない。
 他人のベッドで大の字になって眠りこける北斗。いつもなら「少しは遠慮しろ」と文句をつける透だが、なぜかこの時は無防備な寝姿を微笑ましく感じていた。

 その夜、透は夢を見た。
 高校生の龍之介がラケットを刀のように振りかざすところまではビデオで見たものと同じだが、切っ先が向けられた相手は日高ではなく、自分であった。
 高校生の龍之介が、同じ高校生の息子の喉元にラケットを突きつけているのである。
 父の表情は分からない。怒っているのか。笑っているのか。
 目の前に突きつけられたラケットはまだ新しく、フレームも木製ならではの艶やかな光沢を放っている。ビデオの中で「借金が残っている」と話していたから、大会に合わせて購入したのだろう。
 透にとってはただのお下がりでしかなかったが、父にとっては金を工面してようやく手に入れた宝物に違いなく、それを売り払ったことに対して、遅ればせながら罪の意識を感じた。
 あの時、龍之介は透に対して、ひと言も咎めはしなかった。大事なラケットを売りとばし、あてのない旅に出るという息子の話を、父はただ黙って聞いていた。
 ラケットを突きつけ、真っ直ぐ向き合う高校生の龍之介から「お前にこの価値が分かるのか」と、問われている気がした。価値の分かる男になれたかと。
 北斗の話では、中学時代の龍之介は問題行動の多い悪ガキだったという。
 実際、龍之介は息子の目から見ても、非常識が服を着て歩いているような男だ。
 だからと言って、剣道師範の祖父から厳しい教えを受けた父が、退学を言い渡されるほど非道な行ないに走るとは思えない。
 むかしの光陵学園は、いまほど自由な校風ではなかったのかもしれない。
 教師やPTAから問題児のレッテルを貼られた龍之介にとって、光陵テニス部は最後の砦であり、ラケットは閉ざされた道を切り開き、傷つけられた誇りを取り戻すための武器だった。
 あの「R.MAJIMA」と刻まれたラケットは、いまどこにあるのだろう。ハウザーが大事に持っていてくれれば良いのだが――。
 なんとも不思議な夢だった。夢だと分かっているのに、一向に覚める気配がなく、夢と現実との間を行き来する。考えていることが夢に現れ、夢の中でもまた考える。
 そして明け方、意識がゆっくりと覚醒に向かう途中で、龍之介のものとは明らかに違う男の声がした。
 「頑張れよ。お前等の夏はこれからだ」

 翌朝、透が目を覚ますと、すでに北斗の姿はなく、机の上には大量の花火と一枚のメモ紙が置かれていた。
 「女は線香花火で100パー落ちる」
 透がテニス以外にも悩みを抱えていることを、千葉にでも聞いて知っていたのだろう。スマートな去り方をしたわりには、残したメッセージが子供染みていて、透は思わず噴出した。
 昨夜、ふて寝した遥希も今朝にはすっかり機嫌が直っており、北斗の残したメモを見るなり、
 「兄弟、よく似ているな。素直じゃないところが、そっくりだ」と言って、呆れながらも笑っていた。
 透は北斗からの贈り物をありがたく受け取ることにした。
 長かった合宿も、実質今日が最後だ。明日は片づけと移動で終わり、そのあとはインターハイが待っている。
 奈緒と仲直りをするなら今日しかない。
 透はポケットから携帯電話を取り出すと、彼女にメールを送った。
 〈この間は悪かった。ちゃんと謝りたい。会えるか?〉
 しかし彼女の怒りはまだ冷めやらぬと見えて、いつまで経っても返事は来なかった。
 もっと早くに謝っておけば良かったものを、忙しさにかまけてつい後回しにしていた。
 よくよく考えてみれば、いつもこうだ。彼女の優しさに甘えて、優先順位を自分の都合良いように変えていた。テニスも彼女も両方大事にすると、心に決めたはずなのに。
 しかもこういう時に限って、合宿最後のミーティングが長引き、午後になっても透は会議室に閉じ込められたまま、身動きが取れなかった。
 インターハイを間近に控え、議論に熱が入るのも当然だが、正直なところ、透の意識はどこか遠くに飛んでいた。
 「おい、真嶋?」
 声のするほうを見やると、斜め後ろから二年生の中西が睨んでいた。
 「お前、大丈夫か? 話に身入っとらんの、丸分かりやぞ」
 先輩の荒木を見習い、テニス部内では無口を通す中西だが、透に関西人であることがバレてからは話をする機会が増えた。
 「すみません。ちょっと考えごとをしていて」
 「あのな、取り込み中のとこスマンけど、その熊、返してくれへんか?」
 「えっ、熊……?」
 中西の鋭い視線が、真っ直ぐ透の手元に向いている。
 合宿初日に拾った熊のぬいぐるみの落とし主を探すべく、透はどこへいくにも持ち歩いていたのだが、どうやら中西の私物のようである。
 「誰にも言うなや? それ、荒木先輩のコレクションなんや」
 「荒木先輩の? へえ、意外ッスね」
 「アホ! けったいな趣味、想像すんな。
 荒木先輩はこれで秘かに試合のシミュレーションを行なっとるんや」
 「熊で、ですか?」
 「そうや。あのお人は体を鍛えるだけやのうて、戦術に関しても研究熱心なんや。
 現状に甘んじることなく、ひたすら努力し続ける。ストイックなところが格好ええねん」
 「はあ……」
 「荒木先輩のシミュレーションは半端やない。部員一人ひとりをよく観察して、プレースタイルから得意な戦術まで、忠実に再現しとる。
 俺も前に見せてもらったけど、唐沢部長と真嶋が2アップで前に詰めて、そこから前衛技に進化したドリルスピンショットを放つ展開は、本物に負けず劣らずの迫力や」
 どんなに想像力を働かせたとしても、ぬいぐるみの熊が圧巻なプレーをするとは思えぬが、透役と思しき真っ赤な熊を愛おしげに見つめ、「お帰り、真嶋」と声をかける中西に何を言っても無駄である。
 無事に帰還したぬいぐるみを大事そうに抱えた中西が、手元に視線を置いたまま、念押しするように言った。
 「真嶋、彼女とは思いっきり喧嘩しとけよ?」
 話しの切り出し方があまりに唐突で、透は彼の真意を理解するまでにかなりの時間を要した。
 きょとんとする後輩を視界の端で捉えているのだろうが、中西はとりたてて説明を加えることなく、相変わらずのボソボソとした口調で続けた。
 「俺等の場合、お互い遠慮しすぎて、本音をぶつける前に別れてしもた。
 別れてから後悔してんねん。遠慮なんかせんと、もっと心の中を見せたら良かったってな」
 「中西先輩、彼女いたんですか?」
 時間をかけたわりには、透の口をついて出たのはきわめて初歩的な質問だった。テニス一筋のストイックな中西に彼女がいるなど、一体、誰が想像するだろう。
 「大阪に、遠恋っちゅうヤツ? 一つ年下の彼女やった。
 自分ら、よう似とんねん。離れてる時間が長いから、一緒におる時は無理して、ええとこ見せようと思う。
 気まずうなるのが嫌で、本音を言えんようになって、そのうち取り繕うのが疲れてきてな」
 「そうだったんですか」
 「失うぐらいやったら、思いっきり喧嘩しといたら良かったと、いまは思う」
 確かに中西のいう通りだ。長い時間を経てようやく気持ちの通じ合った二人だが、そのあとも部活動に追われ、せめて一緒にいる時だけはと、互いに無理を重ねていたのかもしれない。
 「好きなだけ喧嘩して、悪いと思った時は謝ったらええねん。
 簡単なことや。『ゴメン』いうたら、通じる相手やろ?」
 「ええ、たぶん」
 「『ゴメン』と『ありがとう』を忘れんかったら、大抵のことは乗り切れる。
 安心してぶつかって、堂々と『ゴメン』いうたらええんや」
 等身大の自分を見せる。一時の気まずさよりも、互いを理解せぬまま別れるほうが辛いから。
 中西のアドバイスは、気持ちが萎えかけた透にもう一度、彼女と向き合う勇気を与えてくれた。

 合宿最終日の夜は、毎年バーベキュー・パーティを開くのが恒例となっている。
 厳しい練習に耐えてきた部員たちへのご褒美というよりも、マネージャーを始め、普段は裏方としてテニス部を支えてくれている生徒たちの慰労会の意味合いが強い。
 とくに今回は北斗の大学からせしめた“表向きの戦利品”も加わり、一段と賑やかなパーティとなった。
 いつもは肉と聞けば真っ先に飛びつく透だが、香ばしい煙が立ち昇るコンロの前を通り過ぎ、奈緒がいそうな場所を探して歩いた。
 今度こそ、彼女を捕まえて話をしなければならない。
 しかし八十名近い人混みの中から大人しい彼女を見つけるのは至難の業で、手掛かりらしいものも見つけられずに、時間ばかりが過ぎていた。
 するとそこへ、二年生の千葉と出くわした。
 「おお、ちょうど良かった! トオル、お前に大事な話がある。ちょっと顔貸せよ」
 千葉は肉の油がベットリついた口元に意味ありげな笑みを浮かべると、紙皿を持つ手とは反対の手で透の首根っこを捕らえた。
 「ケンタ先輩、スミマセン。いま、人を探してて……」
 「何だよ? 先輩の話が聞けねえってのか?」
 ここが体育会系の辛いところである。先輩の命令には絶対服従だ。
 仕方なく透がついていくと、そこはパーティ会場の裏手にある小さな庭だった。さほど手の込んだ庭ではないが、水草の生い茂る池があるためにロープで仕切られ、人の出入りはほとんどない。
 「お前、ナッチと喧嘩したんだろ? いまから俺が可愛い後輩のために、女心について講義してやるから、よく聞けよ」
 「ケンタ先輩? 顔、ニヤけていませんか?」
 「気のせいだ。それより樹里のアドバイスによるとだな、お前たちに足りないのはスキンシップだそうだ」
 「スキンシップ? 本当に、そんなこと言ったんですか?」
 「何だよ、その疑いの目は?」
 「本当に『スキンシップ』って言ったんですか? 樹里先輩が?」
 「あ……いや、コミュニケーションだったかな?
 悪りィ。俺、横文字弱いから。まあ、細かいことは気にするな」
 やはり思った通りである。この適当すぎるアドバイスからして、千葉に後輩の悩みを解決する気は微塵もない。
 後輩のためと言いながら、その実、透たちの痴話喧嘩を利用して、以前から好意を寄せる樹里と仲睦まじく語り合っていたのだ。
 しかも運の悪いことに、この会話をもう一人の困った先輩が聞いていた。
 「へ〜え! スキンシップってどんな?」
 双子の弟・陽一朗である。彼のトラブルを嗅ぎつける嗅覚は、天性のものとしか思えない。
 「いえ、スキンシップじゃなくて……」
 「なに、なに? ついにナッチとヤッちゃうの?」
 「何で、そうなるんですか?」
 「だって、お前等のスキンシップっつたら、もうそれしかないっしょ。
 良いじゃん、付き合ってんだから。団体戦にも選ばれたわけだしさ。
 せっかくだから、優勝のご褒美にすれば? モチベーション、メッチャ上がるっしょ」
 基本的に、体育会系の先輩が後輩の話を聞き入れることなど万に一つもない。そしてまた、体育会系の彼等が部活動を離れたところで盛り上がると、簡単には止められないのも事実である。
 「おっ、それ良いな!」
 陽一朗の無茶な提案に、千葉が食いついた。
 「だけど、誘い方が問題だよな。
 なんつったって、我らがナッチはこのヘタレ野郎のせいで、いまだバージンだ」
 一番の問題はそこではない。もっと根本的な問題を解決しなければならないはずだが、千葉の中では後輩の悩みを解決するという当初の目的は完全に消滅したと見える。
 千葉と陽一朗。会えば喧嘩の絶えない二人だが、人を窮地に陥れる時だけは抜群のコンビネーションを発揮する。
 「『ご褒美エッチしよ』じゃ、軽いしな。大事な処女を奪おうってんだから、それなりに重みのある台詞にしねえと」
 「でもさ、こういうのって、下手に言葉を飾るより、ストレートな台詞ほうが良いんでない? 
 ほら、女子はすぐ『いやらし〜!』とか言うじゃん」
 「ああ、男の覚悟を見せるうえでも、潔さは大事だな」
 「重みがあって、シンプルで、潔い台詞と言えば……」
 しばらく思案をしたあとで、二人の口から同じ台詞が飛び出した。
 「優勝したら、ヤらせてくれ!」
 「なっ……先輩たち、なに考えてんですか!? 本当に仲直りさせる気あるんですか?
 かえって怒らせるだけじゃないッスか。『優勝したら、ヤらせてくれ』なんて!」
 確かに耳を塞ぎたくなるような台詞だが、何もここでそれを復唱する必要はなかった。
 こんな時、つくづく自分は間の悪い人間だと思い知らされる。
 人の出入りなど滅多にないはずの裏庭に、もう一つの黒い影。それは透が今日一日ずっと探し続けて見つけられずにいた彼女のものだった。






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