第12話 スローになったビー

 「トオルがあそこのナンバー2ねぇ」
 紳士で知られるハウザーの形の良い唇から、相槌にかこつけたと丸わかりの長い溜め息が漏れた。
 普段、客の前では決して笑みを絶やさぬ彼だが、口の端に浮かんだそれが営業用ではないことは接客カウンターの外側からでも見て取れる。
 驚いているような、呆れているような。たぶん、両方だ。
 十二歳の少年がジャックストリート・コートのナンバー2の座にまで登りつめた快挙に驚き、そんな技量がありながら、そのまま居ついた愚かさに呆れているのである。
 「良いから、早くガット張り替えてくれよ。遅くなると、あのおっさん、うるせえからさ」
 透はひどく機嫌が悪かった。
 正式にストリートコートの一員になって、これで思う存分テニスの練習に打ち込めると喜んだのも束の間、パシリの仕事がオプションとして付いてきたのである。
 ナンバー2の透を顎で使える人物と言えば、一人しかいない。リーダーのジャンである。
 「ガキの面倒を見てやってんだから、身の回りの世話をするのは当然だ」というのが彼の理屈で、透がシフトのない日に『ロコ』にやって来たのもリーダーの命によるものだ。
 今にして思えば、ゲイルは分別ある大人であった。少なくとも彼は個人的な用事を言いつけることはしなかった。
 それにひきかえ、ジャンはお気に入りのジャケットの手入れに始まり、ガットの張り替え、食事の買出し、飲み屋のツケの支払い、ガールフレンドとのデートのスケジュール調整から予約まで、プライベートな用事ばかりを言いつける。
 とくに複数のガールフレンドを抱える彼の場合、デートのスケジュール調整がもっとも厄介で、いまだ淡い恋心を胸のうちに燻らせている初心な少年には非常に悩ましい仕事であった。
 それでも最強の男から直々に指導を受けられるのであればと堪えてきたが、今もってそんな兆しは見られない。コートに顔を出すたびに用事を言いつけられて、パシリの仕事が一日のメインになりつつある。
 寝食丸ごと世話をかけているならともかく、コートの出入りを許可しただけのリーダーに何ゆえ下僕のごとく仕えなければならぬのか。
 堪り兼ねて文句をつけると、お決まりの台詞でやり込められる。
 「気に入らねえなら、お前がリーダーになりゃ良いじゃねえか」
 無論、このままナンバー2のポジションに甘んじるつもりは毛頭ないし、いつか必ず打ち負かしてやるとの野望もある。
 だが、つい最近ラブゲームで下されたばかりの未熟者が再戦を申し出たところで勝てる見込みは微塵もなく、渋々ながら従っているというのが現状だ。

 年代物のストリングマシンを慣れた手つきで動かしながら、ハウザーが今度は堂々と遠慮のない溜め息を漏らした。
 「ジャンのラケット、張りづらいんだよね。何たって、これ、もとは鉄パイプと同じ材質だから」
 「マジかよ!? 何でまた?」
 持った瞬間にずしりとした重量感はあったが、まさか鉄で出来ているとは思わなかった。
 「彼ね、プロを辞めた直後は荒れた生活をしていてね……」
 長年、メインストリートで商売を続けるハウザーのもとには、街中のいたるところから噂話が届く。とくにテニスの話題に関しては、皆が真っ先に真偽を確かめにくるために、その気がなくとも耳に入るのだ。
 もっとも商売上手の彼のことだ。自然の流れでそうなったとは思えぬが。
 故意か、否か。真相はさておき、情報通のハウザーによると、引退直後のジャンは酒を飲んでは乱闘騒ぎを繰り返し、馴染みの店から締め出しを喰らうこともままあった。
 瞬きの回数より、血を見る数のほうが多い。居酒屋店主の間ではこんなジョークが飛び交うほど喧嘩に明け暮れていた彼は、いつでもどこでも携行可能で、それでいてパトロール中の警官からはお咎めを受けない便利な得物を求めて、ハウザーの店で試験的にラケットを作らせた。それがこの鉄のラケットだ。
 ハウザーは店のモラルを問われるからか、あくまでも「鉄パイプと同じ材質のラケット」として話を進めているが、要はラケットの形状をした武器。いや、鈍器である。
 鉄のラケットを持ち歩く男の噂は瞬く間に街中に広まり、腕に覚えのある連中との乱闘も増えて、生活もますます荒んでいったが、それがある日を境に影を潜めたと思えば、いつの間にか、彼はジャックストリート・コートのリーダーに収まっていたという。
 「たぶん、女だね」
 ハウザーが作業の手を止めて、透に意味深な目配せをして見せた。
 「女?」
 確かにジャンは無類の女好きと聞いている。しかし、好きな女が出来たというだけで、そう簡単に変われるものなのか。
 第一、そんな彼女がいながら複数の女性と付き合える神経も分からない。
 「ほら、ここのフレームに結んである、これ。彼女からのプレゼントだよ」
 指で指された個所を見やると、フレームのシャフトのところにプロミスリングが結ばれている。
 見た目は桜色と藤色の糸を編み込んだ組み紐のようなデザインで、ハウザーのいう通り、女性好みの配色だ。
 プロミスリングは自然に切れるまで結んでいると願いが叶うと言われている。
 透はプロミスリングの送り主よりも、最強と呼ばれる男の願いのほうに興味をそそられた。彼は何を願ってこのリングを結んでいるのか。
 帰ったら一番に聞こうと、透はテニスショップを後にした。

 ところが、透がストリートコートに戻るや否や、丸太の上から雷のような怒鳴り声が革のジャケットとともに落ちてきた。
 「遅せえぞ、小僧! ガットの張替えに何時間かかってんだ!? クリーニング屋、閉まっちまうだろうが!」
 せめて労いの言葉でもかけてくれれば、こっちも気持ちよく仕えてやるものを。人使いの荒いリーダーからかけられたのは、心ない罵声と洗濯待ちのジャケットだ。
 「あのな、おっさん!」
 「おっさんじゃない。リーダーだ」
 「けど、おっさんは『小僧』って呼んでんじゃねえか!」
 「当たり前だ。世間知らずのバージン野郎は『小僧』で充分だ」
 透が正式にストリートコートのメンバーになって以来、この会話は毎日のように繰り返されている。
 「だったら、俺も『おっさん』で通してやるからな」
 「これはリーダー命令だ」
 「汚ねえぞ!」
 「気に入らねえなら、お前がリーダーになりゃ良いじゃねえか」
 このやり取りも毎回同じ流れで進んでいる。初めは仲裁に入っていたメンバーも、最近では見向きもしなくなった。
 「ああ、それから、そのジャケットは貴重品だ。大事に扱えよ」
 「こんな横暴、認められるかよ!」
 「ガキに認められなくても結構だ。お前もゲイルのように扱って欲しけりゃ、男の器量を見せるこった」
 「男の器量って、どうすりゃ良いんだよ?」
 いつもは物別れで終わるところだが、今日は少し流れが違う。普段より一歩進んだ会話に、透は胸を躍らせた。
 この際、どんなに過酷なトレーニングでも良い。彼から出された課題をクリアして、男の器量とやらが認められれば、もしかして本腰を入れて指導してもらえるのではないか。そんな甘い期待を抱いていた。
 「そうだな。俺のストライクゾーンに入る女を二、三人、ここへ連れて来たら認めてやっても良い」
 「はあ!?」
 「俺のストライクゾーンは良心的だぞ。
 歳は二十から四十まで。十代は応相談ってところだな。
 国籍、職業、既婚、未婚、問わず。胸も尻も少しぐらい垂れてたって構わねえ。
 ただなぁ、出来れば脚のきれいな女が良いな。サンクスギビングのロースト・ターキーみてえな女。こう足首のキュッと締まった、食いつき甲斐のある……」
 「バカバカしい!」
 少しは話が進展するのかと思えば、単なるエロオヤジの戯れ言だった。
 いつもこうだ。せっかくこっちは最強の男のもとで修行する気でいるのに、向こうは腰を上げる気配もない。
 男として認められなくても良いから、せめてプレイヤーとして認めて欲しいと思うが、ジャンの中での位置づけは半人前の「小僧」でしかなく、ゲイルと同等どころか、枠外へ追いやられている。
 「くそっ! 覚えてろよ、エロオヤジ!」
 透は革のジャケットにこっそり拳を打ち込んでから、本日、二度目のパシリに出かけた。

 「おい、トオル! そんなとこ、ジャンに見つかったら殺されるぞ」
 ダウンタウンに向かう途中、進行方向から声をかけてきたのはビーだった。
 仕事を終えて真っ直ぐ来たのか。彼の指先にはペンキがついている。
 「良いんだよ。あのエロオヤジ、俺のこと散々こき使いやがって!」
 話の合間にも、透は人目のつかぬ裏通りにいるのを良いことに、ジャケットに殴る蹴るの暴行を加えた。
 「そうか? 俺様にはメチャメチャ可愛がっているように見えるぜ」
 「どこがだよ?」
 「そのジャケット。ジャックストリート・コートのリーダーが代々受け継ぐシンボルなんだ。革だって本物だし、かなりの値打ち物だ」
 「マジかよ?」
 人間、我を忘れるほど怒り狂ったとしても、金の話をされれば一瞬で冷静になれる。
 透はすぐさまジャケットを広げると、傷をつけていないか念入りに調べた。極貧生活を強いられている貧乏学生にとって、無駄な出費は抜き打ちテストよりも避けたい悲劇である。
 「お前のこと、信用してんだよ。ジャンが他の奴にそのジャケットを預けるとこなんて、見たことないぜ」
 「こんなところで信用されてもなぁ」
 「たぶん、顔つなぎのつもりだろう。自慢したくてしょうがねえって感じだぜ。うちのナンバー2をさ」
 確かに今まで使いに出された先はどれもジャンの馴染みの店で、皆が透を笑顔で迎えてくれた。
 かなりの変化球だが、透が危険区域でも問題なくやっていけるよう、彼なりに気づかってくれたのかもしれない。
 「けど、あのデートの調整だけは勘弁して欲しい」
 「ありゃ、ジャンの病気だから仕方ねえよ。ま、俺様から見れば羨ましいけどな」
 独り言か、溜め息か。ビーがほろりと漏らした呟きには、思わず事情を問いたくなるような物悲しい響きがあった。
 「ビー? 何か元気がないようだけど、腹の具合でも悪いのか?」
 「いや、どちらかと言えばハートだ」
 「ハート? ビー、もしかして心臓が……?」
 ビーに持病があるとは知らなかった。
 人は見かけによらないものだ。一見、自由奔放に見えるビーにも人には言えない悩みがあって、それを悟られまいと明るく振舞っている。ひょっとしたら、このド派手なピンク髪にも彼なりの考えがあるのかもしれない。
 透がひとりで感傷に浸っていると、ビーが虚ろな視線を投げかけた。
 「なあ、トオル? 神様はどうしてこんな扱いづらい代物を、俺様に授けたと思う?」
 「そんなに悪いのか? 手術してもダメなのか? 移植が必要とか……」
 「胸がこんなに苦しいなんて」
 「しっかりしろ、ビー! 俺が病院まで連れて行ってやる。かかりつけの医者はどこだ!?」
 「俺様、このままじゃ、黒い瞳に吸い込まれそうだ」
 「黒い瞳に吸い込まれるぅ!?」

 ビーの意味不明な言動にすっかり動転した透は、急いでストリートコートに取って返した。
 医者に診せるにせよ、この調子では確かな情報は得られない。ここはひとまず、彼と旧知の仲であるレイから意見を聞くのが賢明だと、判断したのである。
 「放っといて良いよ。それは持病みたいなもんだから」
 「何の病気だ? やっぱ心臓か?」
 「まあ、ハートと言えばハートだけど、じきに治るから」
 「だって黒い瞳に吸い込まれるって、言ってたぞ! 幻覚でも見てんじゃねえのか?」
 「ああ、またアジア系に惚れたか」
 「アジア系って……もしかして?」
 レイに言われて、ようやく透も理解した。病は病でも、ビーの場合は恋の病。いわゆる恋煩いというヤツだ。
 ストリートコートに戻ってからも、ビーは虚ろな目でフェンスに寄りかかり、テニスボールを拾い上げては一つずつ穴に詰めている。
 恐らく募る想いを表現したのだろう。カラースプレーで着色されたフェンスには「LOVE」と象られた黄色いグラフィックアートが出来ている。
 人目も憚らず自作に頬ずりする乙女な相棒を横目に、レイが頭を抱えた。
 「やれやれ、今度はかなりの重傷だ」

 血の気の多いメンバーに袋叩きにされる前に、透とレイはビーを連れ出した。
 ジャックストリート・コートからダウンタウンまでは、それほど遠い距離ではない。
 二人は街の中心部にある比較的人通りの多いオープンカフェで、ビーの話を聞くことにした。落ち着いた雰囲気の店よりも騒がしい店のほうが、彼の奇行も目立たない気がしたのである。
 虚ろな視線を通りのそこここに漂わせながら、ビーがぽつぽつと話し始めた。
 「彼女とは、俺様がよく行く『タツミ』で知り合った」
 『タツミ』はアジアンフードを専門に扱うスーパーマーケットで、和食はもちろん、中華料理からタイ料理まで、あらゆる食材を取り揃えている。
 透もたまに家の買出しで行くのだが、店の一角がドリンクバーになっていて、リーズナブルな値段でアジア各国のお茶やコーヒーが楽しめる。
 自称「日本びいき」のビーは、その『タツミ』のドリンクバーがお気に入りスポットの一つであった。
 「彼女、いつも本を読んでいるんだ。うつむき加減で文字を追っている姿が、知的で、清楚で、可憐で……。
 俺様もあの本になれたら良いなと思って、じっと見てたら、彼女と目が合ったんだ。
 彼女の瞳に俺様が映っていて、その瞬間にビビッと来た。これは運命だって」
 ビーの抽象的な話を、レイが一言でまとめて続きを促した。
 「つまり一目惚れしたんだな?
 で、どこまでアプローチしたんだ? 名前とか、何をしているとか、聞いてんだろ?」
 「いや、まだだ」
 「それじゃ、ただの片思いだ。いや、悪くするとストーカーだぞ」
 「彼女とは生まれる前からの知り合いなんだ。
 今までのろくでもねえ出来事がすべて彼女と出会うための試練で、そう、あと一つか、二つ。ハードルをクリアすれば、俺たちは永遠に結ばれる。そんな気がする」
 どうやらビーは名前も知らないアジア系の女性に恋をしたらしい。しかも、運命を論じるほどの重傷だ。
 初めはまともに取り合おうとしなかったレイだが、虚ろな目をする相棒が不憫になったのか。詳しく話を聞いている。
 「まずは情報を集めないと。『タツミ』にいる以外に、何かないのか?」
 「彼女、大きな屋敷に住んでいる。たくさん使用人を抱えているみたいだ。きっとお嬢様なんだろうな」
 透とレイは同時に顔を見合わせた。彼女が大きな屋敷に住むお嬢様だとしたら、ビーの恋が実る可能性は限りなくゼロに近い。
 ジャックストリート・コートに出入りするメンバーのほとんどが、金とは縁のない貧乏人だ。その上、ビーは定職もなく、塗装関係のアルバイトをかけ持ちして食い繋いでいる。
 そんな無職で現役ヤンキーの貧乏人が、大きな屋敷のお嬢様と釣り合うわけがない。
 「なあ、トオル? アジア系の女の子って、どんな物をプレゼントしたら喜んでくれるかな?」
 透は答えに詰まった。
 ビーに女性の喜ぶものと聞かれて、ふと奈緒の顔が浮かんだ。
 空港での約束。机の引き出しにしまったままのエアメール。
 形にならない想いが胸の奥のほうをつんと刺激する。
 彼女に不義理な奴だと思われているかもしれない。あるいは、自分の存在などとうに忘れているか。
 相変わらず奇行を続けるビーを案じる一方で、名前も知らない彼女に夢中になれる一途さが羨ましくもあった。
 自分もあの時、下手な理性など働かせずに気持ちを打ち明けていれば――。
 透はもう手の届かない遠いあの日に思いを馳せた。


 その頃、光陵テニス部では個性派ぞろいの三年生が引退し、千葉が部長、双子の兄・太一朗が副部長となって部を率いていた。
 暴走しがちな部長を副部長が慌ててフォローするパターンは、前任者とは毛色が違うが、不恰好ながらも部員たちの信頼を得て、チームを活気あるものにまとめていた。
 しかし奈緒は活気あふれるテニス部を少しばかり恨めしく思っていた。
 テニス部だけではない。同じクラスの皆も、今では何事もなかったかのように楽しく過ごしている。
 突然の転校でクラス中が大騒ぎになったのに、透の残像は跡形もなく消えている。
 皆を責めるつもりはない。もともと四ヶ月しかいなかった彼が、この場を去って同じぐらいの月日が経つのだから、記憶から薄れていくのも当然だ。
 ただ奈緒だけは、透が旅立った日から、ずっと時間が止まったままだった。
 去る側も辛いだろうが、去られるほうも同じだけ辛い。
 ついこの間まで隣にいた彼が、忽然と姿を消している。
 それは最後のピースが埋まらぬジグゾーパズルを見ているような、ひどく存在感のある空白だった。
 テニスコートにも、隣の席にも、区営コートにも、河原にも、彼と過ごした景色はあの頃のままなのに。彼の姿はどこにもない。
 皆が整理をつけた現実に、自分だけが付いていけない。もういないと分かっていても探してしまう。
 そして、ふたたび彼の不在を教えられ、心に1ピースの空白を抱えて過ごす。その繰り返しだ。
 ――彼だって忘れているかもしれない。
 一向に返事の来ないエアメールが、奈緒をさらに孤独にした。
 「あいつから連絡ある?」
 時おり遥希が仏頂面で聞いてくる。
 「ううん、まだ」
 最近の透に関する話題は、この短い会話だけだった。


 ビーの恋煩いがさらに深刻化した頃、ジャンが二日酔いとは明らかに違う渋面で、透とレイを呼びつけた。
 「おい、俺を怒らせる三人のうちの二人!」
 「俺を怒らせる三人」とは、ビー、レイ、透の三人を指している。
 このトリオは『ラビッシュ・キャッスル』の歓迎会でジャンに無断で飲食代をツケにして以来、何かとそう呼ばれることが多かった。
 「お前等、幹部の自覚があるのか?」
 リーダーの言わんとすることは分かっている。
 ここ数日、三人ともコートを空けてばかりで、挑戦者の相手は全てナンバー5のブレッドに任せっきりだ。
 気の良い彼は「ノー・プロブレム」と笑って許してくれるが、連日ナンバー2から4まで不在となると、さすがに他のメンバーにも示しがつかない。
 ここは学校の部活動と違って、試合の勝敗に重要な意味がある。
 もしもジャンが不在の折にブレッドが負けるようなことがあれば、新しいリーダーにコートを明け渡さなければならなくなり、万が一、それが敵対するヤンキーグループのメンバーなら、今のメンバーは居場所を追われてしまう。
 険しい表情を崩さずに、ジャンはレイと透を丸太の上まで呼び寄せると、急に声を落として囁いた。
 「早いとこ、ナンバー3を使い物になるようにしろ」
 「けどさ、相手は金持ちのお嬢様だ。話しかける切っ掛けだってないんだぜ?」
 「俺は『使い物になるようにしろ』と言ったんだ。見込みがねえなら、とっとと終わらせろ」
 「いくらなんでも、それは……」
 「いや、トオル。そのほうがビーのためだ。これ以上、深みにハマる前に、さっさと告らせて散ってもらおう」
 二人の意見を聞いて最初は異を唱えた透だが、冷静に考えてみれば、彼等のいう通りかもしれない。
 所詮、ストリートコートに出入りするヤンキーが、大きな屋敷のお嬢様との恋物語を夢見たところで先はない。傷が浅いうちに諦めさせて、次を探すほうがビーにとっても良いのだろう。
 ジャンの命を受けて、透とレイとビーの三人は黒い瞳の彼女の屋敷へ向かった。
 「で、どこにあるんだ? そのお嬢様のお屋敷は?」
 レイの問いかけと同時に、今まで夢うつつで歩いていたビーがしゃんと背筋を伸ばした。
 「俺様、彼女のアドレスは頭に入っている。サウスストリート267だ!」
 「サウスストリート267って、それ……」
 ビーが口にしたアドレスは、透の頭にもしっかりと刻まれていた。
 「それって、俺ん家じゃねえか!」






 BACK  NEXT