第17話 リーダー代理
クリスマスが近かった。普段はあまり気にならずとも、この時期ばかりは自分がアメリカで生活している事を実感させられる。
五階建てのビルよりも背の高い巨大ツリーがダウンタウンの中央広場に据え置かれた十一月末の金曜日。その日を皮切りに、街中はクリスマスカラー一色となった。
色とりどりの電飾で覆われたメインストリートと、そこに出没する何人ものサンタクロース。通り沿いのショップではショーウィンドウのディスプレイが華やかさを競い合い、一般の住宅街でも大掛かりな仕掛け人形など、繁華街に負けず劣らずの凝った演出がそこかしこで見られた。
岐阜の山中で、雪に埋もれた厳しい冬しか経験のない透は、これら本場の洗練されたデコレーションの前を通るたびに、目を見開き、大口を開けて、田舎者丸出しの呆け顔で見入っていた。
いつもの景色が変わると、世界も変わる。そんな予感に捕らわれる。
まさにハッピー・クリスマス。誰もが日本の正月並みに浮かれていた。この街も、透自身も。
彼女もいなければ金も無い貧乏学生の透が、クリスマスと聞いて浮かれるには理由があった。何故なら、明日からは待ちに待った長期休暇、つまりクリスマス・ホリデーに突入するのである。
自他共に認めるテニスバカにとって、これほど嬉しいことはない。アルバイトの時間以外、朝から晩まで好きなだけテニスが出来るのだ。
「とにかく、あのサーブを完成させなきゃ……」
ジャンからサーブの課題を出されて以来、透は約一ヶ月もの間、ひたすら練習に打ち込んできたが、未だ習得には至らず、悶々とする日々を送っていた。
センターとコーナーを各コース百本ずつ、それぞれの位置から入れた場合、合計四百本ものサーブを打つことになる。これらを毎日繰り返し、さらに背筋を鍛える筋力トレーニングも練習メニューに加えた。
安定したトスが上げられるよう常にボールを持ち歩き、左手にその感覚を覚え込ませる努力も続けている。サーブに関する資料を読みあさり、必要と感じた事は全て試している。
それでもあの日の朝、ジャンが見せてくれたサーブを再現することは出来なかった。スピードからして明らかに違うのだ。
無論、体格差がある分だけ簡単に行かない事は分かっている。だが、彼が出来もしない課題を出すわけがない。きっと、どこかに突破口があるはずだ。
それを探る為にも、もう一度じっくりジャンのサーブを研究したかった。そこへ訪れたクリスマス・ホリデーは、透にとって願ってもないチャンスであった。ところが――。
「ジャン、明日から俺のサーブ練習に付き合って……」
ストリートコートに駆け込むと同時に透が言いかけた、その言葉を遮るようにして、ジャンから唐突なお達しが言い渡された。
「明日から、俺は周遊の旅に出る」
「何だって!?」
驚きのあまり、透はダウンタウンの巨大ツリーと出くわした時よりも呆けた顔で、丸太を見上げて固まった。
周遊ということは、長い間留守にするのだろうか。
リーダー不在の場合、自分が代理としてコートを守らなければならない。そんな大役が務まるだろうか。
第一、観光シーズンでもないのに、どこへ行こうというのか。
一度にたくさんの疑問が頭の中を渦巻くが、ポカンと開いた口からは、どれ一つとして形になって出てくるものはない。
透の気持ちを察したビーが、横からお子様にも分かるように大人の事情を解説してくれた。
「早い話が、女巡りの旅だ。
ここからロスまで南下して、ぐるっと回って最後はシアトルまで。毎年この時期に、普段会えないガールフレンドのところへクリスマスプレゼントを配り歩くんだとさ」
「そんなにアチコチ回るのか?」
「プロ時代に手をつけた女が、かなりの数いるらしい。
言っておくが、縦断じゃねえぞ? 横断だからな」
「マジかよ!?」
アメリカ西海岸を代表する三都市は、北から順にシアトル、サンフランシスコ、ロサンゼルスと縦方向に並んでいる。
シアトルからロサンゼルスまでの距離は、飛行時間で考えると約三時間。札幌から福岡までが二時間半だから、いかに遠いか、よく分かる。
それを縦断ではなく、アメリカ大陸を横断しながら回るというのだから、透が驚くのも無理はない。ひょっとすると中部のミシガン、いや、東海岸のニューヨークまで足をのばすのかもしれない。札幌から福岡へ行くのに、わざわざ北京を経由するようなものである。
サンフランシスコを基点として南下し、ロサンゼルスから東へ抜けて、最後はシアトルへ。目的はともかく、立派なアメリカ大陸周遊の旅である。
「たぶん、最後のシアトルに本命の女がいると思う。この非合理的なルートは」
レイが小声で言い足した。
具体的な内容を聞かされて、ようやく透にも周遊の旅の全貌が見えてきた。
要するに、ジャンはリーダーの務めを放り出し、クリスマス・ホリデーの間じゅう女の家を渡り歩くという、敬虔なクリスチャンに喧嘩を売っているとしか思えない無節操な旅へ出かけようとしているのである。
「何だよ、それ? この街だけでも山ほど女がいるのに、なんで……っつうか、俺はどうなるんだよ?」
「お前も写真の彼女と過ごせば良いじゃねえか? 聖なる夜にバージン野郎の汚名を取っ払ってもらえよ。
ある意味、禊の儀式だ。キリストだって、同じ男として祝福してくれるだろうよ」
「話をはぐらかすな! サーブ練習を見てもらおうと思ったのに、女の方が大事だなんて、それでもリーダーか!?」
「悔しかったら、お前がナンバー1になれば良い」
いつもの決め台詞だ。
「汚ねえぞ、ジャン!」
「大人はな、いくら汚くても、てめえでてめえのケツが拭けりゃ、何の問題もない。どうだ、羨ましいか?」
「ちくしょう! このエロオヤジ! スケベジジイ! 変態!
こんな横暴、認めて良いのかよ?」
他のメンバーにも理不尽さを訴えたが、毎年の恒例行事と見えて、誰一人として異を唱える者はいなかった。
「まあ、あれはジャンの持病だから……」
何事にも冷静な判断を下すレイが慰める側に回るということは、「諦めろ」のサインでもある。
しかし、まだ納得し切れない透は、最後の抵抗を試みた。
「おい、エロジジイ! アンタがいない間に、他の連中にここを乗っ取られても知らねえかんな!」
我ながら良い切り札を出したと思った。自己中心的な男というのは、他人の利を説くよりも、本人の損失を示した方が素直に耳を傾ける。
「ナンバー2の俺としては、アンタみたいな自己中のエロオヤジより、まともなリーダーに付いていく方が楽で良いけどさ」
だが、向こうの方が一枚上手だった。
「心配するな。お前がそう言うと思って、俺が不在の間はリーダー代理を頼んである」
「リーダー代理? 誰だよ、それ?」
ジャンが顎で指す方向に目をやると、フェンスの向こう側で背の高い女性が立っていた。
「おい、ジャン! リーダー代理って、女かよ!?」
初対面の女性に何の恨みもないが、生意気盛りの透にとって、これはかなり屈辱的な人選だった。
ジャンがナンバー2である自分を信用せずに、メンバー以外の人間に代理を託した。しかも、その相手は女である。
雑誌のモデルにでもなれそうな、手足のすらりと長い細身の彼女。世間ではスレンダーと言うのだろうが、テニスバカには貧弱な体型としか映らない。
そんなモヤシ女よりも自分は格下に見られた訳で、ジャンの不在中は、彼女の指示を仰がなければならない。自分よりも弱い奴に従わなければならぬとは、腹立たしい事この上ない。
透は、我慢の限界がすぐそこまで近付いているのを自覚した。
「去年までは、ゲイルがいたから安心して出掛けられたんだが……」
ジャンが、わざと癇に障るような言い方をした。
「今年のナンバー2は頼りねえからなぁ」
「ふざけんな! 俺だって、ゲイルを倒してナンバー2になったんだ。アンタが帰ってくるまで、ここは俺が死んでも守ってやる。
女のリーダー代理なんか、必要ねえよ!」
「ちょっと、ジャン? その礼儀知らずなお子様も面倒見ろって言うんじゃないでしょうね?」
「女なんか」のフレーズが気に入らなかったのか。モヤシ女が目を吊り上げて睨んでいる。
「アタシ、ここの留守番を頼まれたのよ。ベビーシッターをさせられるとは、聞いてないわ」
赤茶けた髪を頭頂部近くでキュッと一つに束ねたその女性は、吊り上った目尻も、固く結ばれた口元も、あらゆるパーツがきつく見えた。
少なくとも彼女の目が吊り上った原因は透の失言によるものだが、ベビーシッターと言われては、素直に謝るよりも応戦する方が先である。
「俺だって、こんなオバサンにコートに入ってもらいたくねえよ!」
「誰がオバサンですって?」
「そんな厚化粧、オバサンしかしねえだろ」
見たところ、彼女は高校卒業したてのハイティーンと呼ばれる年頃のようだが、十三歳になったばかりの透の基準では、年上の女性は漏れなくオバサンの部類に入る。しかも外国人特有の色の濃いアイメークと、派手な赤の口紅、挑発的な短いスカートにハイヒールのいでたちでは、“ケバいオバサン”の代表格としか言いようがない。
オバサン呼ばわりされたハイティーンの彼女と、生意気盛りのローティーンの少年は、互いに攻撃的な視線を緩めることなく、激しいなじり合いへと突入した。
「お子様には分からないでしょうけど、今年はこの赤が流行なのよ。トップモデルだって使っているんだから」
「へぇ……トップモデルって、ウィッキー君のことか?」
ウィッキー君とは、透の住んでいる街では最もポストカードの売れ行きの良い人気モデルであるが、飼い主以外は誰もがブサイクだと思う気の毒な犬の名前でもあった。
日頃から「口と諦めは悪い方だ」と豪語するだけあって、一旦闘争心に火のついた透の口からは、逆襲用の言葉が機関銃のごとく飛び出していく。
「ウィッキー君と揃いの口紅か? そりゃ、お子様には真似できねえな。オバサンしか思い付かねえわ。
ブサイク犬と同じ口紅なんて、ああ、羨ましい」
「なんて失礼な子なの?」
「すっげえ、よく似合ってるぜ」
「アナタ、国語の勉強からやり直した方が良いわ。お似合いの幼稚園を探してあげる」
「何だと? 馬鹿にしやがって! そうやって、すぐ人を子供扱いするのもババアの特徴だ」
「当たり前じゃない。こんなところに幼稚園児がいるなんて、思ってもみなかったわ。誘拐されたのかと思った」
彼女は「誘拐」の意味を指す「kidnap」のkidの部分を強調しながら、憎々しげに反論した。「子供扱いするな」と言われて、わざと「kid(=子供)」を強調する辺りは、透の口の悪さに勝るとも劣らない毒舌ぶりである。
「馬鹿にすんな! 俺はここのナンバー2だ!」
「あら? お子様にナンバー2が務まるなんて、他のメンバーは赤ちゃんなのかしら?
てっきりネットポストがあるからテニスコートだと思っていたけど、ここ、ずいぶん大きな揺りかごみたいね」
「てめえ……女じゃなかったら、今頃、ぶん殴ってるところだぞ!」
「だからお子様だって言われるのよ。坊や、フェミニズムって、学校の授業で習わなかった?」
フェミニズムとは一言で言えば男女同権論のことで、アメリカでは広く知られる主張だが、日本で生まれ育った透には初めて耳にする言葉であった。そしてまた、この彼女が説くフェミニズムは、一般論からさらにパワーアップした持論が加えられていた。
「良いこと? 女性はね、生まれながらにして男よりも体力的に弱い生き物なの」
「自分で弱いって、認めるんだな?」
「バカね。最後まで聞きなさい。
男女が平等に暮らしていく為には、男が力の弱い女性をサポートするのは当然の義務なのよ。だって能力的には同じなんですもの」
「はあ!? わけ分かんねえよ。
なんで俺が、役立たずのババアをサポートしなきゃいけねえんだ? だいたい、それが人に物を頼む言い方かよ?」
「アメリカじゃ常識よ。暴力はもちろん、乱暴な言葉づかいだって女性の前では許されないことよ。男は尊敬の念を持って女性を守る立場にあるの。
子供扱いされたくなければ、それぐらい知識として身に着けておきなさい」
彼女の上からの物言いが、ますます透の神経を逆撫でする。
「俺は日本人だ。アメリカの常識なんかクソ喰らえだ」
「アナタがいくら抵抗をしたところで、ここはアメリカよ」
「このコートはアメリカの常識なんて通用しない。強い奴の言うことが、ルールになるんだ。
何なら今からアンタと勝負して、どっちの常識を通すか、決めたって構わねえぞ?」
「馬鹿馬鹿しい。お子様に勝ったって、嬉しくもなんともないわ」
「逃げるのかよ?」
「今日は、ヒールで来たから……それだけよ」
ヒートアップしていた彼女の口調が、冷や水をかけられたように静かになった。数秒前まで毒舌をフル回転していた人間とは思えないほど、試合の話を持ちかけた途端、口ごもっている。
その急激な変わり様に、透の熱くなった頭も一気に冷めていく。
冷静になって考えると、彼女にはおかしな点が多かった。
まず、ジャックストリート・コートがどういう場所かを知った上で来たであろうに、ミニスカートにハイヒールはあり得ない。しかも彼女はラケットすら持っておらず、コートへ入る素振りも見られない。
この矛盾点を結びつける答えはただ一つ。
「アンタ、リーダー代理なんて、やろうと思っちゃいねえだろ?」
「当たり前よ。パパの頼みで仕方なく来ただけ」
「だったら、お互い無理することはねえよな?
アンタは帰る。俺はここを守る。それで良いだろ、ジャン?」
上手い具合に話がまとまったと思ったが、命を下したリーダーは納得していなかったようで、安堵した直後に怒りの一撃が腹部に叩き込まれた。
「俺の命令を勝手に変えるんじゃねえ! この阿呆!」
さすがにジャンの拳は威力が違う。喧嘩慣れした透でも、ストリートコートを取り仕切る男の拳は、一瞬、息が止まる。
「何すんだよ!?」
口では反論してみたものの、とても遣り合える状態ではない。衝撃が強すぎて呼吸が出来ず、何度も咳き込んでは、吐きそうになった。
しかしジャンは悪びれた様子を見せるどころか、一歩も引かない構えで怒鳴りつけてきた。
「ここは俺の大事な砦だ。お前みたいなクソガキに任せられるか!
だいたい、彼女……モニカはお前より、テニスの腕は数段上だ。口の利き方に気をつけろ!」
「そんなの、信じられるか! あんな弱そうな奴、すぐに倒してやる」
「トオル、これはリーダー命令だ。俺がいない間は、モニカに従え」
いつものわがままとは、少し勝手が違うような気がした。
ジャンは確かに自己中心的でわがままだが、自分の都合で話をする時は、決して頭から怒鳴りつけたりはしない。まして本気の拳を叩き込むなど、今までになかった事である。
何か事情があるのかと聞こうとしたところで、次の指示が飛んできた。
「俺が不在の間、減らず口を叩けないよう、お前には宿題を出してやる。
サーブ練習、もう百本追加だ。各コース二百本ずつだ。分かったな!?」
「ゲッ! 何だよ、それ?」
二百本ずつということは、今までの倍、つまり合計八百球のサーブを打ち込む計算になる。
「一日でも早く俺のサーブをマスターしたいんだろ? 感謝しろよ」
単純に練習量を倍にされただけで、どこをどう感謝すれば良いのか。
恐らくジャンは、これから向かうガールフレンド達のことで頭が一杯に違いない。その為に、さっさとこの揉め事を片付けて、出発したいのだ。
「あのさ、ジャン? 前のナンバー2と比べて、俺のことを蔑ろにしてねえか?」
普通この手の質問は、建前だけでも「そんなことはない」と答えるものだが、意識がロサンゼルスへ向けて離陸した後の脳内には、正直な答えしか残されていなかった。
「当たり前だ。俺の優先順位は、女と酒と『ラビッシュ・キャッスル』のキドニーパイ。このトップ3は永遠に不動だから、お前は百番目以下だ」
「なんで、百まで下がるんだよ?」
『ラビッシュ・キャッスル』のキドニーパイは、餓死する寸前でしか食べたいと思わない、クソがつくほど不味い料理である。そのパイよりも下のランクで、百番目以下と言われては、どうにも納得がいかない。
「簡単な計算だ。まず大事な女の数だけでも五十人、好きな酒の種類が五十種以上。ああ、ダチの数を入れればもっと下がるから、二百番目以下だな」
聞かなければ良かったと思った。これでは蔑ろどころか、眼中にない事をわざわざ確認したようなものである。
いくら逆らっても無駄だと悟った透は、バックヤードへ入って、サーブ練習を始めることにした。これ以上不愉快になるよりは、ボールと格闘した方がまだマシだ。
もともとコントロールには自信がある。練習量を倍に増やされたとしても、サービスエリア内にボールを打ち込むことは、大して難しい作業でもない。
ただ、どれだけ意識してラケットを振り下ろしても、肝心のサーブの威力は上がらなかった。フォームを変えても、グリップを変えてみても、コントロールがわずかに乱れるだけで、何の成果も上がらない。
はっきり自分で分かるのは、「限界」という壁にぶち当たっている。この事実だけだった。
今回は、竹の節のように練習量を増やすという単純な努力で突破できる壁ではないらしい。もっと硬くて厚いもの。まるでアスファルトに向かって芽を出す雑草になった気分であった。そして、その頭上のアスファルトをジャンが土足で踏みつけ去って行く。
「そんじゃ、あとはヨロシク、モニカ! ハッピー・クリスマス!」
「くそ! 俺は完全無視かよ」
光陵テニス部の先輩達とは違って、ストリートコートのリーダーに手取り足取り教えてもらおうとした自分が甘かった。手本は見せたのだから、あとは自力で何とかしろという事だ。
アスファルトの壁がますます重く感じた時だ。モニカが素人みたいな質問をよこしてきた。
「ねえ? アナタ、さっきから何をしているの?」
相変わらず彼女はフェンスの外から話しかけている。
「何って、サーブ練習に決まっているだろうが」
「どうして?」
「どうしてって、これが俺の課題だから。ジャンと同じフラット・サーブを打てるようにしろって……」
「それは無理よ。体格差があり過ぎるもの。その体じゃ、逆立ちしたって、彼のサーブには届かないわ」
薄々勘付いていたけれども、認めたくはなかった事実。それを彼女に明確に指摘され、透は何も言い返せなかった。腹立たしく思うが、黙るしかない。
反対に、モニカの舌は滑らかになった。
「良いこと? 物理的に考えて、アナタとジャンでは身長差があるし、筋力も、体力も違う。仮に同等の筋力や体力をつけたとしても、日本人とアメリカ人じゃ骨格からして違うもの」
「だから、どうした?」
「だから、骨格が違うということはスィングの距離も違ってくるから、ボールに加わる勢いも違って当然。円で例えれば、直径が違うのに円周の長さを合わせようとしているぐらい不可能な事なのよ」
そこまで一気に喋ると、モニカは呼吸を整えてから、改めて結論を言い渡した。
「つまり、これがアナタの限界なの。これ以上の練習は無意味なの。
サーブの威力を上げたいなら、他の道を探しなさい。分かった?」
話の筋は通っている。ジャンが信頼を寄せるだけあって、彼女の主張は確かな知識に基づいた真っ当なものである。ただ一点を除いては。
「アンタの理屈は分かった」
「あら、口ほど頭は悪くないのね。アナタの体格なら、スピン系のサーブを重点的に……」
意見を受け入れられたと思って気を良くしたモニカの言葉を、透は遮った。
「分かったから、俺に話しかけるな。練習の邪魔だ」
「何ですって?」
「ジャンが帰って来るまで、二度と俺に話しかけるな」
「無理だと分かったんでしょう? それなのに、どうして?」
理屈は理解できても、認めたくない事もある。何故なら、それは自分で出した答えではないからだ。
「他人が無理だと思っても、俺が無理だと思うまでは諦めない。口と諦めは悪い性分なんだ」
「時間の無駄よ」
「アンタにとってはな。けど、俺にとっては違う」
「バカみたい」
「これが俺のやり方だから。テニスでバカって言われるなら、本望だ」
「アタシ、馬鹿な男は大嫌い」
「そいつは良かった。俺も、口うるせえ女は大っ嫌いだ」
初対面でこれほど嫌悪感を抱くのは、遥希と出会って以来だろう。異性では初めてだ。
知ろうとすれば分かり合えるという奈緒の助言も、彼女に関しては無意味に思える。虫が好かないというか、無性に腹が立つ。
あんなに楽しみだったクリスマス・ホリデーは、この飛びっきり相性の悪いリーダー代理の出現によって、透の生涯で最も過酷な休暇となる。聖なる悲惨な夜まで、あと十日。