第9話 信頼
悪夢のような練習試合から五日が過ぎたが、いまだ透は唐沢の求める答えが分からず、悶々と日を送っていた。
「答えが分かるまで、お前は練習に来なくて良い」
唐沢からそう言われた瞬間、頭の中が真っ白になった。そして五日が経過した今も、無策という点においては同じである。
確かに、言い訳のしようもないほどお粗末な内容だった。
自分なりに理想とするイメージはあるのに、思い通りに運ばない。裏をかかれているのか、先手を打たれているかは分からぬが、やる事成すこと裏目に出てしまい、無駄に体力を消耗していた自覚はある。
あの試合の敗因が、己の力不足であることに疑いの余地はない。伊東兄弟や唐沢と比べて、明らかに自分のプレーはレベルが低く、それが失点に繋がった。
今よりレベルを上げるには練習するしかない。それなのに、どうして唐沢は部活動に出ることを禁じたのか。
もしかして、あまりの低能ぶりに愛想を尽かされたのではあるまいか。
堂々巡りの疑問から導き出されるのは自身をさらに追い込むような想像ばかりで、解決には程遠い。
先の見えない不安から、つい来るなと言われたテニス部の活動場所に足を向けるが、そこでもよそよそしい部員達の態度で現実を思い知らされる。
結局、この五日間で収穫と呼べるものはなく、透が新たに得たことと言えば、入れもしないテニスコートに毎日通い、練習に励む仲間達の後ろ姿をフェンスの外から物欲しそうに眺めるという、何とも虚しい習慣だけだった。
「部長? あの通りトオルも充分反省していますし、他の部員達の士気にもかかわりますし、そろそろ許してやりませんか?」
コートの中では、千葉が唐沢に透のテニス部復帰を直接訴えかけてくれていた。
副部長の一言で彼が前言を翻すとも思えぬが、万に一つの奇跡を期待して、つい耳をそばだててしまう。
考えられることは全てやり尽くした。一旦読破した解説書を一冊ずつ読み返し、ほとんど記憶にない試合を思い返して、どこでポイントを奪われたかも整理してみたが、やはり「未熟」以外に出てくる答えはない。
もう土下座でも何でもするからコートに入れてくれ、というのが今の透の正直な気持ちであった。
弟分の窮状が分かっているのか、説得にあたる千葉の態度にも、どうにかして懐柔策を引き出そうとする必死さがうかがえる。
「部長にも深い考えがあってのことだと分かっています。四月のバリュエーションで言われたあの言葉も忘れていません。
けど、このままだとテニス部は地区予選の前に崩壊しますよ。ここだけの話……」
千葉がコホンと咳払いをしてから、声のトーンを落として言った。
「一年からは毎日嘆願書が届くし、二、三年からはイジメだって白い目で見られるし、太一からは嘘つきだって責められるし。クレーム、半端ないッスよ」
部内の苦情を一身に受けて、千葉も相当辛い立場に立たされているようだ。
しかし必死な形相の彼とは対照的に、唐沢は普段と変わらず、
「『嘘つき』とは、何のことだ?」と言って、全く別のことに興味を示している。
「あ、いや……それはともかく、何とかなりませんか?」
「ケンタ? 自分に都合の悪い風が吹いているからと言って、問題の本質を見誤るな。今、お前が尽力すべき相手は俺じゃない。
第一、そこを上手く捌くのが副部長の役目だろ?」
「捌くにも、限度ってものがあるじゃないッスか。休み時間になる度に、入れ替わり教室の前で泣きつかれる身にもなってくださいよ」
「捌き切れないなら、適当に受け流せ。副部長に求められる一番の資質は、部員の文句を笑顔で流せる演技力と忍耐だ」
「そんなぁ……」
やはり千葉の直訴をもってしても、唐沢の意思は変えられない。予想通りの展開とは言え、透はひどく落胆した。
期待が外れたからではない。人の援護を頼りにしている自分に落胆したのだ。
透はいまだ説得を続ける千葉に向かって一礼すると、テニスコートを後にした。
ここにいても千葉に余計な気を遣わせるだけで、事態の進展は望めない。何より、世話になっている先輩を苦しめるのはコートから追い出されるのと同じぐらい辛かった。
放課後のグラウンドをとぼとぼと歩いていると、普段は気にもかけない様々な音が耳に入ってくる。
サッカー部のボールを蹴る音や、野球部の掛け声や、陸上部のスターターピストルの発砲音も。体育館からはバスケットボールのドリブルらしき音と、竹刀がぶつかる音も聞こえてくる。
四月も後半のこの時期は、どこの部もインターハイや甲子園などの予選を控えているせいか、いつにも増して活気が感じられる。公立の進学校では全国を見据えて活動する部は数少ないが、それでも各々が掲げた目標に向かって汗を流している。
そんな中をこれといった目的もなく徘徊するのは、何やら肩身が狭かった。周りの連中は透のことなど眼中にもないのだろうが、ひとり群れから締め出された身には堪えるものがある。
自分だって少しでも早く力をつけてチームの役に立とうと思っている。それなのに、練習に参加することさえ許されない。
意気込みとは裏腹に、突きつけられた現実はどれも情けなく、無力な我が身が浮き彫りにされていく。
何かをしなければならなかった。とにかく前に進まなければ。こんなところで立ち止まっている場合ではない。
透はふと思い立って、テニス部の部室へ向かった。
テニスコートの出入りは禁じられたが、部室の利用については何も言われていない。使い方次第では、一発逆転の可能性も無きにしもあらず、である。
中に入るや否や、透はパソコンから各部員のデータが記録されているファイルを呼び出した。
以前、滝澤から練習メニューの作成方法を教えてもらったことがある。その時の記憶を頼りに自身のデータを取り出すと、当初設定されていた目標数値を二倍に書き直し、新しい練習メニューとして印刷した。
部活動に参加させてもらえないのであれば、自主練習で鍛えるまでだ。
プリントの表示はまったくの未知なる数値で、体にも相当な負担がかかると分かっている。だが、このまま無意味な時間を過ごすよりはマシである。
これは一種の賭けだ。失敗したらケガだけでは済まない。最悪、父親のようになる恐れもある。
重い覚悟で透が練習メニューを見つめていると、背後からぬうっと誰かの腕が伸びてきた。
数字に集中するあまり気付かなかったが、後からもう一人、入室した者がいるらしい。
丸太のように太くて逞しい腕はその外見に似合わず俊敏で、背中に気配を感じた透が何事かと振り返った隙に、大事な練習メニューを奪っていった。
「あっ、何すんだよ……って、中西先輩!?」
透の背後にいたもう一人は、二年生の中西だった。彼は三年生の「はい」と「べつに」しか言わない荒木に憧れ、始終無言で通している。
個性派揃いのテニス部の中で今さら変人扱いはされないが、見ようによっては最も個性の強い部員である。少なくとも何事にも動じない岩のような精神力の持ち主でなければ、突っ込みどころ満載の光陵テニス部において、無言で通すことは難しい。
「それ、俺のです。返してください」
相手が先輩である以上、手荒な真似は出来ない。一応、最低限の断りを入れてから目的を果たそうと、透がメニューに手をかけた次の瞬間。突然、体が宙に浮いたかと思えば、視界が目まぐるしく変わり、気付いた時には部室の外に放り出されていた。
「中西先輩!?」
いくら腕っ節の強い中西でも、物の弾みで自分よりも上背のある後輩を投げたりはしない。明らかに彼は何らかの意図を持って、無抵抗の後輩を部室の外へと放り出したのだ。
ひとまず彼の言い分を聞こうと立ち上がりかけた透だが、そんな悠長なことを言っていられる状況ではなかった。
中西は自身も部室の外に出ると、中腰になった透の後ろ襟をむんずと掴み、そのままの体勢で歩き出した。
「な、中西先輩!? 何を……?」
無口な先輩に、いくら話しかけても返事はない。
部室から直線コースで、陸上部、野球部、サッカー部が活動するグラウンドを突破して、昇降口前の銅像と花壇の間を横切り、帰宅部員の集団を押しのけ校門まで。
その間ずっと、中西は野良猫をつまみ出すのと同じ手つき、同じ軽やかさで透を連行し、最後にやはり野良猫を逃す時と同じ要領で掴んでいた襟首をパッと放した。無論、彼に猫側の意思を汲もうとする配慮はなく、そのぞんざいな扱いも猫並みだ。
「何なんですか、一体!?」
門前でようやく解放された透は、部室を放り出された時から溜めていた怒りをぶつけた。
しかし言われた本人は気に留める様子もなく、黙って校門の外へと出て行った。一度だけ振り返ったところを見ると、どうやら「一緒に来い」と言っているらしい。
今まで中西とはちゃんと話をした覚えがない。仲が良い、悪い、の問題ではなく、始終無言の男を相手に会話をするという発想がなかったからである。
何をするつもりで、どこへ行こうとしているのか。皆目見当もつかないが、今は付いていくしかなさそうだ。たとえ戻ったとしても、また引きずり出されるのが落ちである。
透は泥だらけになったジャージを軽く叩くと、仕方なく先輩の後を追うことにした。
光陵学園から歩いて二十分。中西に連れて来られた場所は、彼の自宅であった。
昭和を思わせる古い木造の建物だが、小まめに手入れをしているらしく、ボロ家といった印象はない。むしろアンティーク。いや、レトロといった方がしっくり来るかもしれない。
屋根沿いに張り巡らされた雨どいも、玄関前にある郵便受けならぬ牛乳箱も、すりガラスがはめ込まれた木枠の引き戸も、古いなりに情緒があった。
相変わらず無言の中西が、外を歩いている時と同じペースで中へ入っていく。
家族は出かけているのか、人の気配がない。とりあえず「お邪魔します」とだけ声をかけて、透も中に入った。
年季の入った沓脱(くつぬ)ぎ石のある玄関から上がって、廊下と襖一枚で繋がっている部屋まで来たところで、初めて中西が口を開いた。
「ここで待っていろ」
透が通された部屋はこれまた昭和の香りがするレトロな和室で、日に焼けた畳の上には低い卓袱台と木製の茶箪笥が置かれている。最近ではあまりお目にかかれなくなった、茶の間というヤツだ。
初めて来た場所なのに何となく居心地が良いと思えるのは、子供の頃に訪ねた父の実家に似ているからだろう。意識が飛ぶほど走り回らされたテニスコートとは、まるで別世界だ。
中西は後輩を自宅に連れ込んで ――現状では招待とは言い難い―― 何をしようとしているのか。
話をするだけなら学校でも出来る。わざわざ自宅まで連れて来る必要はない。
きっと何かあるのだ。彼の自宅でなくてはならない理由が。
考え事をしながら待っていると、「ドス、ドスッ!」という鈍い音が聞こえてきた。茶の間の奥の部屋からだ。
お茶を用意するぐらいで、ここまで大きな音はしない。しかも鈍い音に合わせて、地響きに似た振動まで伝わってくる。
「待っていろ」と言われたが、やはり気になる。
透はなるべく足音を立てないようにして部屋の奥まで行くと、そっと襖を開けた。
襖の向こうは台所になっていて、そこでは中西が作業用のテーブルを使って白い塊のようなものをこねていた。その後ろでは、寸胴と呼ばれる大きな鍋がしきりに湯気を立てている。
一般家庭でこの寸胴があるのは珍しいが、それより珍しいのは中西がしようとしていることだ。
「あの、中西先輩……もしかして、うどん作ろうとしています?」
「待っていろ、と言っただろう?」
「いや、でも……何か手伝いましょうか? っていうか、何でうどん?」
「真嶋に食わせたいから」
「はあ……あの、やっぱり手伝います」
「良いから、そこで黙って見ていろ。もうすぐ出来る」
すでに中西はうどんを茹でる準備に入っており、もう一つの鍋からも出汁の良い香りが漂っている。
「俺も昔、荒木先輩とダブルスを組まされたことがある」
透に背を向けた格好で、中西が唐突に話を始めた。
「先輩の足を引っ張っちゃいけない。荷物にだけはならないように。あの時は、それしか考えられなかった。
さっきのお前と同じように、無茶なトレーニングを実際にやったこともある」
視線は鍋の中に落とされているが、無口な先輩が透のために言葉を選びながら話してくれているのは、後ろ姿からも見て取れた。
「だから中西先輩は、そんなに強くなったんですね」
「いや、違う。途中で荒木先輩に見つかって、思いっ切りぶん殴られた。
『本当に荷物になるつもりか?』と怒鳴られて」
鍋から沸き立つ湯気の音と、中西のぶっきら棒な話し方が、同じリズムを刻みながら台所に響いていた。コトコトと。とつとつと――。
透は部室からここへ来るまでの中西の行動を思い返した。
なぜ彼が問答無用で練習メニューを奪い取ったのか。なぜ部室から追い出したのか。なぜ自身の練習を放り出してまで、ほとんど接点のない後輩を自宅に招いたのか。
言葉にせずとも、じんわりと伝わってくる。普段は無口な先輩の胸の内が。
視線を鍋に落としたままで、中西がまた話を続けた。
「早く強くなりたいと焦る気持ちは、俺にも分かる。実力差のある先輩と組めば、自分の力不足を否応なしに炙り出されるし、精神的にもキツいよな?」
「はい」
「俺も荒木先輩とダブルスを組まされた時は、正直、キツかった。先輩に迷惑かけているんじゃないかって、そのうち見放されるんじゃないかって、不安で、不安で、焦りまくった。
だけど、真嶋? 後輩に迷惑をかけられて困るほど、俺達の先輩は柔じゃない」
不器用な中西の言葉が、胸の中の不純物を溶かしていく。
焦りとか、不安とか、気負いとか。今まで自分を縛っていた根拠のない枷のようなものが消えていく。
「俺達の先輩はそんなに柔じゃない。
だから信じろ。唐沢部長のことも、その部長に選ばれたお前自身も。
部長が『出て行け』と言ったのは、あそこにいても答えはないと判断したからじゃないのか? お前なら自力で見つけられると信じているから、わざと追い出すような真似をしたんじゃないのか?」
そうかもしれない。いや、そうに違いない。
中等部にいた頃から、いつだって唐沢の取る行動には理由があった。自分がどう思われようと後輩の成長を一番に考える。彼はそういう懐の深い先輩だ。
どうしてこんな基本的なことを今まで忘れていたのだろう。
「中西先輩? 俺、何も見えてなかったです。焦ってばっかりで……」
「独り暮らしじゃ、人の作った飯に飢えてんだろ? 熱いうちに、とっとと食え」
中西は、説教は終わりだと言わんばかりに、こんもりと湯気の立った丼を差し出した。卵とネギだけのシンプルなうどんだが、今はこれ以上ない程のご馳走に見える。
透は勧められるがままに箸をつけた。
五臓六腑にしみわたる、とはこのことか。一口、また一口と食べるごとに出汁の味と香りが口の中に広がり、身も心も癒してくれる。
同じ経験をしてきたからこそ ―― 先輩とダブルスを組まされる辛さ。そして独りで自炊を続ける侘しさも。もしかしたら、彼は知っているのかもしれない。
「先輩、マジで美味いッス! 麺も出汁も最高!」
「当然だ。特に出汁には俺なりのこだわりがあるからな」
「もしかして、利尻昆布ですか?」
栄養士を母親に持つ透の舌は、出汁の違いを判別できる程度に肥えている。
「おおっ! 分かんのか?」
「ええ、まあ……」
「そうか! 前々からただモンやないと思とったけど、利尻昆布を一発で当てるとは、どえらい奴やな!」
「あの……先輩?」
「大抵の奴は日高昆布と間違えんねん。そやけど、俺のこだわりは利尻昆布や」
「先輩? 何か口調が……」
「やっぱり、うどんの出汁は利尻やで。この繊細、且つ、上品な風味は他では出えへん」
「先輩、なんで関西弁?」
「あっ……」
無口な中西から飛び出す関西弁に驚いて思わず突っ込んでしまったが、言った後から後悔した。
本当は触れるべきではなかった。「あっ」と言ったまま固まる先輩を前に、透は言い知れぬ罪悪感に襲われた。
今まで荒木と同じく無口だと思っていた中西が、うどんの出汁にまでこだわるコテコテの関西人だったとは。
これは光陵テニス部員の誰もが耳を疑うようなスクープであると同時に、中西にとっては何としても死守したい極秘事項に違いない。
何気なく踏み込んだ場所が相手にとっては地雷だったというのは、透の人生においてままあることだ。
最も印象深いのは小学校の修学旅行で、男湯ならではの悪ふざけをしていたら、たまたまタオルをひん剥いた友達の下半身が赤子のように小さくツルツルで、互いにひどく気まずい思いをした記憶がある。
この悪気がなくとも悪びれてしまう特殊な罪悪感は、あの時とよく似ている。
恐らく八十人からいるテニス部の中でもこの事実を知る者は透だけで、他にはいないだろう。ここは聞かなかったことにして黙って立ち去るのが先輩の恩義に報いる最善の策だが、それではせっかくの手打ちうどんが台無しになる。
だからと言って、自分から突っ込みを入れた手前、知らん顔して食べ続ける度胸もない。
地雷を踏まれた側の先輩と、踏んだ側の後輩との間に奇妙な沈黙が流れた。今の今まで体を温めてくれていた湯気までも、嫌な汗となって額を湿らせる。
「あの……中西先輩って、関西の人だったんですか?」
透は出来るだけ平静を装って先輩の意向を尋ねてみたが、本人は別のことに気を取られたようで、間髪を容れずに怒鳴り声が返ってきた。
「関西ちゃう! 大阪や!」
「す、すみません。だけど、先輩? 何でまた、隠しているっていうか、黙っていたっていうか……?」
「寡黙で渋いイメージの荒木先輩を目指している俺が、コテコテの大阪弁喋っとったら洒落にならんやろ?」
「まあ、そうですけど……。もしかして、それで無口な振りをしていたんですか?」
「そうや。口開いたら、今みたいにボロが出る」
「だからって、よく今までバレずに通せましたね?」
「学校ではそれなりに気ぃ張っとるし。真嶋が初めてやから。家に人、呼んだんは」
照れ隠しなのだろうが、普通なら横を向く場面で、中西は敢えて正面から睨みつけてきた。拗ねたようにも、怒っているようにも見えるが、単純にこちらの反応を知りたいだけなのかもしれない。
「中西先輩、今の話は聞かなかったことにします」
「気ぃ遣うな。別にええねん。バレても。後輩に借りは作られへん」
「そんな、借りなんて大げさな。俺、頭悪いから、どうせすぐに忘れるし」
「そうか? なんや、却って悪かったな」
「いえ、先輩の気持ち、しっかり頂きましたから」
器を持って片付けに入ろうとする透を、中西が押し止めた。
「ここはやっとくから、はよ行け」
「でも、ご馳走になったままじゃ……」
「ええから、さっさと行け。真嶋が戻って来んの、皆、待っとるんや。
お前がおらんと辛気臭うて、かなわん。特にケンタのアホが、だいぶウザなっとる」
「分かりました。明日には必ず戻ります!」
「言うとくけど、俺に話しかけんでええからな。学校では、なんぼ話しかけても返事せえへんぞ」
「はい。ありがとうございました、中西先輩!
それから、うどんご馳走様でした」
透は最敬礼よりもっと深く頭を下げてから、中西の自宅を後にした。
先程の中西との会話から、すでに透の頭の中でヒントらしき物が形をなしていた。
唐沢が透を追い出した理由は、光陵テニス部がシングルスに偏ったチームだからである。ダブルスに主力を置いているチームなら、きっと答えが見つかるはずだ。
この辺りでダブルス主体のチームと言えば、かつて地区大会で優勝争いをした杏美紗好学院だ。あそこは唐沢と幼馴染みであるエースの季崎を筆頭に、伊東兄弟のライバルもいる強豪校だ。
だが、地区予選を前にライバル校の部員を入れてくれるとは思えない。あとは京極が率いる明魁テニス部だが、そこも可能性は限りなく低い。
そうなると、残された場所はただ一つ。
「区営コートだ!」
ちょうど時間的にも懐かしい面々が練習を始めている頃である。
中学時代にレギュラーになりたくて、練習の後に毎日通い続けた区営コート。あそこなら絶対に答えが見つかる。見つけてみせる。
中西のおかげで息を吹き返した透は、区営コートを目指して駆け出した。